彼女だけが、気付いていた


 静かな……不気味な程に静かな声が、控室の中で響いた。


 自分の励ましに対する疑いの言葉を口にしたメンバーへと視線を向けた静流は、必死に感情を押し殺しながら彼女へとその真意を尋ねる。


「今の言葉はどういう意味かしら、祈里? 私がなにか、間違ったことを言ってる?」


 自分やこの場の全員の不安を煽り、神経を逆撫でするような言葉を発した祈里へと、冷静ながらも圧を感じさせる雰囲気で詰め寄る静流。

 対する祈里は、そんな静流の態度にも一切の怯えを見せず、眼鏡の奥にある2つの瞳を光らせ、再び同じような言葉を口にした。


「沙織さんの配信の盛り上がりは一過性のもので、時間が経てば自ずと私たちの方が優れていると証明される……本気でそう思っているのかと、聞いているんです」


「ちょ、ちょっと、祈里!!」


「いいわ、奈々。……質問に質問で返して悪いけどね、逆にあなたはどう思っているのかしら? 是非ともあなたの意見を聞かせてちょうだい、祈里」


 不遜な物言いの祈里に顔を青くした奈々が声をかけるも、それを制止した静流が怒りを滲ませながらそう問いかけた。

 段々と不穏な空気が漂う控室の中では、スタッフや【SunRise】メンバーたちがひやひやしながら2人のやり取りを見守っている。


 そんな中、李衣菜は祈里の言葉から何かを感じ取っていた。

 この場の空気の悪さだとか、険悪になっていくメンバーの雰囲気とはまた違った意味での不穏な気配を感じた彼女が拳を握り締める中、多くの人たちの注目を浴びる祈里が再び淡々と自分の意見を述べる。


です、とても。どうしてそこまで自分たちが勝てると信じ込んでいるのか、私には理解出来ません」


 それが、祈里の意見だった。弱気とも慎重とも取れる意見を堂々と述べた彼女に対して、静流がはんっ、とわかりやすく鼻を鳴らす。

 そうした後、その意見に対する反論を述べようとした静流であったが、それを制するようにして、祈里が続けて言葉を発した。


「これが無名のアイドルが相手だというのならわかります。情報がまるでないデビューしたての新人だというのなら納得出来ます。でも……相手はあの沙織さんですよ? どうしてそこまで、静流さんたちは堂々と勝てるって言い切れるんですか?」


「祈里……あなた、私たちが過ごしたこの2年間をなんだと思ってるの!? 沙織には確かに才能があった、それは認めるわ! でもあの子は、引退してからもう2年も経ってるのよ!? その間に私たちはレッスンを重ね、活動を繰り返し、努力してきたじゃない! 如何に沙織に才能があろうと、この2年の差は絶対に埋められない! 今は私たちの方が実力は上よ!!」


 流石に冷静さを保てなくなった静流が大声で叫ぶも、祈里は彼女の言葉を完全に無視した。

 おそらく、静流と話していても埒が明かないと判断したのだろう。


 そうやって、視線を目の前の最年長メンバーから、もう1人の【SunRise】の中心核へと向けた彼女は、僅かに熱を込めた声で問いかけの言葉を口にする。


「李衣菜さん、質問です。あなたは数週間前、沙織さんと顔を合わせたんですよね? ……2年前と比べ、沙織さんに何か変わったことはありましたか?」


「……いいえ、何もないわ。私が見た限り、あいつは2年前とほとんど変わってなかった」


 そんな風に、祈里の質問に答えた自分自身の言葉を耳にした李衣菜は、感じていた不穏な空気の正体に気付き始めていた。

 少しずつ、少しずつ……その答えに気が付き、背筋に寒気を覚えていく彼女の前で、静流が再び祈里を問い詰める。


「今の質問になんの意味があるの? 沙織の現在を聞いたところで、何がわかるっていうのよ?」


「変わってなかったそうですよ、沙織さん。1番近くにいた李衣菜さんがそう断言出来るくらい、変化がなかったそうです」


「だから、それになんの意味が――!?」


……こう言えば、ちょっとはその異常性が理解出来ますか?」


 ぴりっと、空気に痺れが走る音がした。

 多分、その音が聞こえたのは李衣菜だけではないのだろう。

 奈々も、羽衣も、恵梨香も、静流も……この場に集まったスタッフたちを含めた全員が、祈里の言葉に何かを感じ取っていた。


「……静流さんの仰った通り、沙織さんが【SunRise】を抜けてから2年もの月日が経っています。過酷なレッスンや厳しい節制の日々から解放されてそれだけの時間が過ぎたというのに、沙織さんの体型にはほとんど変化がなかったそうですよ。この意味が、理解出来ますか?」


 静流が、言葉を失った。空気がシンと静まり返っていた。


 じわじわ、じわじわとそれを理解し始めた一同が込み上げてくる何かに吐き気を催す中、いち早くそれに気付いた李衣菜が先程よりも深く強い後悔に全身を震わせる。

 あの日、2年ぶりに沙織との再会を果たしたあの時、彼女が再び逃げようとしている姿を目にした自分は激高し、怒りで頭をいっぱいにしてしまっていたが……よく考えれば、その不自然さに気が付いていただろう。


 2年ぶりに再会した沙織は、自分が知る彼女の姿と全く変わっていなかった。

 誇張表現抜きに着ている服を水着に変えて、そのままカメラマンの前に出せば、雑誌のグラビアを飾れるであろうと思わせるくらいに、彼女の抜群のプロポーションは未だに健在だ。


 あまりにも見慣れた姿過ぎて完全に失念していたが……2年という月日を経て、その体型を維持し続けているというのは決して容易い話ではない。

 それも、多くの人の目に晒され、尊敬と憧れの感情を送られるアイドル級のプロポーションとなれば、猶更の話だ。


 現役のアイドルならば話は別だろう。

 人気を獲得するため、ファンの期待に応え続けるため、応援される側のアイドルたちは必死に節制を重ね、自分を律し、最高の状態を維持し続ける義務があるのだから。

 しかし、沙織にはそんな制約はない。アイドルを引退した彼女には、厳しい体調管理や食事の制限をする必要はないはずなのだ。


 実際、李衣菜はアイドルを引退してから別人のように肥えてしまった女性たちを大量に見てきた。

 それまでの我慢から解き放たれ、暴飲暴食や不摂生な生活を許されるようになった元アイドルたちが現役時代の姿など見る影もなく太り、まるで別人かと思わせるような姿に変貌してしまうだなんて話は別段珍しくもなんともない話だ。


 逆にいえば、そういう己を律することが出来ない人間はアイドルとして大成することは出来ないという話でもあり、それはそれで納得出来る話でもある。

 そして、これを逆に返すならば……現在も現役時代と変わらない姿を維持し続けている沙織は、引退してからもそういった甘い誘惑を断ち切ることが出来る、十分に成功の資格を持ち合わせた女性ということになるのではないだろうか?


 思い返せば、肌の張りも、髪のツヤも、2年前と比べて衰えるどころかむしろ立派になっていたような気がする。

 暴飲暴食を重ねたり、不規則な生活リズムや睡眠時間を取り過ぎたり、取らな過ぎたりするような毎日を送っていたとするならば、沙織の容姿は多少なりとも劣化していたはずだ。


 だが、現在の沙織にそういった変化は一切見受けられない。

 それは、2年前アイドルとして活躍していた彼女の姿を誰よりも見てきた李衣菜が証言している。


 それは、つまり――


「それがなんだって言うのよ? あなたは沙織を高く評価してるみたいだけどね、そんなのはただ太りにくい体質だって可能性も十分にあるでしょう? それに、今の沙織がどんな体形であろうが関係ないわ! だって今のあの子はVtuber! 人前に本当の自分の姿を晒すことなんてない、動く絵みたいな存在なんだから! 沙織が今、どんな姿をしていたって、この勝負には関係ないじゃない!」


 静流のその言葉はとても正しい。

 今の沙織がアイドルとしてではなく、彼女本人としてではなく、Vtuber花咲たらばとして人前に出ているのであれば、沙織が太っていようが痩せていようが何の関係もないのだ。


 だが、しかし……祈里の意見を聞いた李衣菜は、これまで失念していた、失念すべきではなかった、その事実にようやく気が付いた。

 それはきっと、恵梨香も奈々も羽衣も同じだっただろう。メンバーの中でその事実を忘れたままなのは、静流ただ1人だけだ。


 忘れていた。沙織の最大の武器がなんであるかを、自分たちは完全に失念していた。

 沙織の最強の武器は生まれ持ったアイドルとしての優れた素質ではない、関わる者全てを魅了する明るい性格でもない、女性として優れたプロポーションも、その武器を前にすれば有って無いようなものだ。


 喜屋武沙織という人間を知っているはずの自分たちが、そのことを忘れるべきではなかった。

 祈里の言葉は、この上ない正論なのだ。彼女だけが、自分たちが失念していたその事実を覚え続けていたのだ。


「時……を、……して」


「え……?」


「時間を戻して! 沙織の配信を巻き戻して、あいつが歌ってる場面を見せて!」


 その声は最早、悲鳴といって差し支えのないくらいに悲痛な感情に満ちていた。

 クールに、堂々とした態度で、グループを引っ張ってきた李衣菜が見せる異様な雰囲気に圧されたスタッフは、動揺しながらも彼女に言われた通りに時間を巻き戻し、配信の始まり付近にシークバーを移動する。


 ややあって、流れ始めた楽曲……自分たちもライブの先陣を切る曲として選んだ【SunRise/Up Rising!!】のイントロが流れ始めた瞬間、李衣菜は自分の心臓が何者かに鷲掴みにされたような恐怖を感じた。


 奈々も、羽衣も、恵梨香も……おそらくは祈里も、同様の感覚に襲われたことだろう。

 ここでようやく、静流も何かに気付き始めたかもしれない。


 自分たちが選んだ、聞き慣れた、ライブの始まりを告げる音楽が、どうしてだか危険を知らせるサイレンのように聞こえている。

 そして……沙織が短く息を吸い込む音をマイクが拾った次の瞬間、李衣菜たちは全員揃って、頭を金槌でぶん殴られたかのような衝撃に襲われた。

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