ライバル、それと同時に
「……でもね、ある日気が付いちゃったのよ。あの馬鹿が、ただの天才じゃあないってことに」
「え……?」
唐突に、急に……それまでの激しい怒気を引っ込めた李衣菜が静かな声で語る。
その言葉の意味を理解出来ずに目を丸くする零の前で、彼女はその気付きについて淡々とした声で語っていった。
「新しい曲が出来て、そのダンスや歌についてのレッスンが始まった時、あいつは決して最初から何でもかんでも出来たってわけじゃなかった。あの馬鹿はセンスはあったけど、一目で何でも歌えるようになって、ダンスも完璧にこなせるようになるなんて人間ではなかったわけ。でもね……そこから解散して、全員が地元に戻って、次の集合レッスンが行われる時……大体、1週間から2週間くらいかしら? その頃になるとね、あいつは何もかもが完璧以上の水準で仕上げてくるのよ」
そう言いながら、李衣菜が瞳を閉じる。
過去を語るその声色からは、先程まで感じられた怒りの感情が完全に消え失せていた。
「どんなに私が必死に努力しても、その背には追いつけなかったわ。笑顔で、飄々とした様子で、私の努力を軽く飛び越えていく。どんなに研鑽しても、どんなに努力を重ねても、あいつには勝てなかった。これが才能の差なのかって、その時は本気でそう思ってた。でもね……話は、もっと単純な話だったわけよ」
「単純な、話……?」
「……ある日のレッスンの時にね、あいつの履いているシューズが新品になってることに気が付いたの。思い返してみれば、あいつはレッスンの時には毎回のように新しいシューズを履いて来ていた。それを見て、理解しちゃったのよ」
「……何を、ですか?」
あまりにも言葉少なな李衣菜の話に、当然の疑問をぶつける零。
そんな彼の言葉に小さく微笑んだ李衣菜は、窓の外の景色を見つめながら自分の気付きについて語る。
「新しいダンスの振り付けを教えられたら、当然それを練習するでしょう? 地元に帰って、養成所のレッスンスタジオで狂ったように踊って、踊って、踊って……技術を磨いて、絶え間なく練習を重ねていけば、当然その時に履いてるシューズは履き潰れる。私にとっては、2週間も練習期間があれば、新しいシューズに履き替えなきゃいけなくなるだなんてのは当たり前の話だった。そしてそれは、あの馬鹿も同じ……ううん、あいつの努力は私以上だったってことよ」
窓ガラスに映る李衣菜の表情が、微笑みと共に和らぐ。
それは、沙織に感じていたコンプレックスの感情が、純粋な尊敬に変わった時のことを思い出したからなのかもしれない。
「……あいつの努力の証は、シューズだけじゃなかった。渡された楽譜には歌う際の注意点がびっしりと書き込まれていたし、学業も疎かにならないよう、地元と東京の行き帰りの道では当然の如く勉強もしてた。あいつは、合同練習の時には誰よりも早くやって来て、誰よりも遅くまで残って練習する……そういう馬鹿だった」
ほんの少しだけ、李衣菜が目を細める。
沙織が重ねた努力を、アイドルに掛ける想いを、それを理解した日のことを……全て思い返しながら、噛み締めるように心の中で反芻しながら、彼女は胸の内にある正直な想いを零へと告げた。
「あいつは、才能だけの人間じゃあなかった。誰よりも努力してる癖に、その苦労を表に出さず、常に眩しく輝く自分を見せ続ける……正真正銘、本物のアイドルだった。飄々とした態度の裏に隠された努力の証に気が付いた時、素直に負けたって思ったわ。同時に、勝手に心の中で相手を格付けして、その努力にも気が付かずに才能だけでやってる人間だって思い込んでた自分が恥ずかしくなった」
ふぅ、と深く長い溜息を吐いた李衣菜は、過去の自分の愚かしさと沙織の輝きを思い返すと、清々しい表情を浮かべた。
窓の外、ビルの上に浮かぶ眩い太陽を見上げながら、彼女はただ黙って自分の話を聞き続ける零に、沙織のかつてのライバルとして抱えていた感情を吐露する。
「そこから、私はあいつにも負けないように努力した。あいつが来るのと同じくらいに早くレッスンスタジオに行ったし、あいつが帰るまでずっと一緒に歌もダンスも練習した。私はずっと、あいつに勝ちたくて、あいつを利用してたつもりだったんだけど……ホント、あの馬鹿は馬鹿なのよね。勝手に私のことを友達だと思い込んで、これで1人じゃ出来ないレッスンも出来るって大喜びでメニュー組み始めて……本当に、馬鹿」
「……いい関係だったんですね。小泉さんと、喜屋武さんは」
「あいつが勝手にそう思ってただけよ。一緒に【SunRise】を盛り上げて、2人で世界一のアイドルになろうだなんてふざけた夢まで語っちゃってさぁ……出来る訳ないじゃない、そんなこと。実際、その夢を掲げたあいつは私たちを置いて芸能界から消えた。スタートラインにも立たず、御大層な夢だけ掲げて、一足先にいなくなった。そして、なぜだかVtuberなんざになって戻って来たかと思えば、また仲間を置いて消えようとしてる。昔とは違った意味で、大馬鹿になっちゃったみたいね」
ここまでの話を聞いて、零は自分が抱いていた李衣菜への印象を確定的なものとした。
彼女は、インターネットで囁かれているような人間ではない。ファンを利用して、沙織を陥れるような人間ではない。
そもそも、彼女は沙織のことを嫌ってなどいなかった。
李衣菜は沙織のことをライバルとして尊敬すると共に、かけがえのない友人だと思っていたはずだ。
【CRE8】に乗り込んできたのも、本当は沙織に対して憎まれ口を叩きに来たわけではない。
彼女の現状を心配したか、あるいはどんな想いを持ってVtuberとして活動しているのかを確かめに来たのだろう。
しかして、そこで沙織の引退宣言を耳にしてしまったことで、これまで抱いていた彼女への信頼が失望に変わってしまったのだ。
だが、それで決して李衣菜の沙織への想いが途切れたわけではない。彼女のことを憎むようになったわけでもない。
彼女も、きっと自分と同じだ。
2年前、本当は何があったのか? どうして沙織はアイドルを引退しなければならなくなってしまったのか? その真実が知りたい。
あの日、途切れてしまった夢への道をもう1度見つけ出すための手掛かりが欲しいと、それだけを願っているのだろう。
「……長話が過ぎたわね。そろそろ目的地よ。帰りもマネージャーに送っていかせるから安心しなさい」
「色々、ありがとうございます。最後に1つ、聞かせてもらっていいですか?」
「……手短に答えられる質問にしてもらえたらね」
ビルが立ち並ぶ窓の外の景色を眺めながら、李衣菜がぶっきらぼうに言う。
自分の方を見ようともしない彼女に対して、それで構わないと思いながら……零は、最後の質問をその背にぶつけた。
「2年前、喜屋武さんは彼氏との別れ話がこじれてトラブルになったと噂されています。それは、真実だと思いますか?」
「思わない。さっきも言った通り、私たちはアイドル活動に全力を尽くしてた。シューズが履き潰れることが当然のレッスンをずっと続けておいて、同時に彼氏と付き合うだなんて出来っこないってことは、私自身が自分の生活で実証済みよ。それに、私はあいつの口から彼氏の存在を示唆するような言葉を聞いたことはないわ。あの馬鹿がそんなに上手く隠し事を出来るはずないじゃない」
即答だった。
一瞬の迷いも、躊躇いもなくそう言い切った李衣菜の声からは、強い意志が感じられる。
その答えに、言葉に、心の中で安堵の溜息を吐いた零は、本当に聞きたかった最後の質問を口にした。
「今も信じてるんですね、喜屋武さんのことを」
「……さあね」
ぶっきらぼうにそう答えた後、駐車場に止まった車から李衣菜が降りていく。
別れの言葉も言わず、ただ黙って去っていく彼女の背を見つめた零は、自分の最後の質問に対して李衣菜が否定の言葉を口にしなかったことがすべてであると、その想いを原動力に沙織を信じ抜くことを心に決めるのであった。
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