唸れ、その怒りと共に

 はっきりとしたその声は、無音の社長室によく響いた。

 Vtuberとして、タレントとしての辞意を伝え、じっと薫子を見つめる沙織が発した言葉を耳にした零は、カラカラに乾いた喉から震えた声を絞り出す。


「本気、なんですか……? 事務所を辞めるって、その……」


 デビューしてまだ間もないこの状況で、花咲たらばとしての活動を終えると告げた沙織へと、それが本気かと尋ねる零。

 この場にいるのは薫子だけだと思っていたらしき沙織は、予想外の人物の声を耳にして初めて彼がこの場に立ち会わせていたことに気が付いたようだ。


 ほんの数拍、目を軽く見開いて驚き、ほんの少しだけ気まずそうな表情を浮かべた後、何かを諦めたように笑った彼女は……その笑顔のまま、零の問いかけに肯定の返事を口にする。


「うん、本気さ~。もう、色々と全部バレちゃったみたいだしね~……私の過去が暴かれたせいで、事務所や他のVtuberさんに迷惑はかけられないよ~。って、もう手遅れなんだけどさ~、あはは」


 心の籠っていない、空虚な笑い声。

 それを発した沙織が零に手をひらひらと振ると共に、物悲しそうな表情を浮かべて続ける。


「……ごめんね。零くんや有栖ちゃんには特に迷惑かけちゃったよね~。ちょっと前に炎上させたかと思ったら、今度は洒落にならない騒動に巻き込んじゃってさ~、お姉さんってば本当に迷惑かけっぱなしだよ~」


「………」


「でも、これでもうそんなドタバタもお終いさ~。私が消えれば、【SunRise】のファンたちも落ち着くはず。【CRE8】も騒動の基になってる部分を切り落としたって体裁は整えられるし、そうすれば今回の一件で起きた被害に対するケジメって奴として受け取ってもらえるはずでしょ? 炎上を鎮めるためには、まずは火の元を排除しなきゃ駄目だってのは、お気楽なお姉さんにもわかってるさ~」


 無言のまま、俯いたまま……自分の話を聞き続ける零の肩を叩いた沙織が、寂し気な明るさを湛えた声で喋り続ける。

 彼を置き去りにし、社長用の椅子に座す薫子の前へと進んだ沙織は、用意していた辞表届を差し出すと、一呼吸おいてからこう述べた。


「……これ以上、私のせいで沢山の人が争うような事態になってほしくない。【CRE8】や2期生のみんな、そしてVtuberを愛してくれているみんなを守るためにも……これを、受け取ってください」


 差し出された書類と、沙織の顔を交互に視線を送った薫子が、彼女の顔をじっと見つめる。

 その瞳に、意思に、本当にこれでいいのかと眼差しで問いかけた薫子が、口を開こうとした時だった。


「きゃっ!?」


「れ、零……!?」


 薫子が口を開くより、声を発するより早く、無言で俯いたままだった零が動き出し、沙織の手から辞表を奪い取る。

 そのまま、勢いよく音を立ててそれを引き千切った彼は、肩で大きく息をしてから鋭い視線を沙織へと向けた。


「零、くん……なにを……?」


「……俺のすること、なんでも2つまで許してくれるんでしたよね? その権利、1つ使わせてもらいました。そんで……そのままもう1つも使いますね」


 先日、彼に迷惑をかけた代償として、他ならぬ沙織自身が出したその権利を引き合いに出した零が、大きく息を吸い込む。

 そうして、沙織の辞表届を引き千切って作った紙屑を放り投げた彼は、荒くなった息と共に先程とはまた違った意味で震えている声を、彼女へと放った。


「格好つけて、自分を犠牲にすれば全部片付くとか言ってんじゃねえよ。あんた、ただ逃げてるだけだろうが」

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