ホットミルクと共に、振り返って
程々に温めたミルクに砂糖を少々。それで、心が落ち着く甘い口当たりのホットミルクが出来上がる。
乱れた心を落ち着かせる時には、温かい飲み物が良い。個人的な考えだが、それが甘い味ならばなお良しという奴だ。
そんな、自分自身の経験に基づく判断によってホットミルクを2人分用意した零は、未だに涙の跡が目元に残る有栖と共に暫しそれを啜った後、マグカップの中身が半分ほど減ったあたりで彼女へと声をかける。
「……落ち着いた? そろそろ、冷静になって話せそう?」
「………」
無言のまま、こくりと頷いてみせた有栖の様子に少しだけ安堵する零。
まだ完全に落ち着いたわけではないのだろうが、彼女がもう以前のようなパニック状態に陥る心配は完全になくなったであろうと判断した零は、そのまま続けて慰めと本心が半々である自身の意見を口にした。
「電話でも言ったけど、俺は今回の炎上は有栖さんに非はないと思ってる。確かに切っ掛けにはなったのかもしれないけど、それはあくまでタイミングが悪かっただけだよ」
「……どうして、そう思うの?」
声量は小さいが、震えは随分と消えた声で反応を見せた有栖の様子を確認しながらホットミルクを啜った零は、マグカップから口を離した後で彼女のその疑問に対する答えを述べる。
「簡単だよ。花咲さんの炎上には、有栖さんが配信で喋ってない情報も含まれてた。俺は昨日の有栖さんの配信は観てないけど、花咲たらばの魂が喜屋武さんだってことは流石に話してないでしょ?」
無言のまま、肯定。
Vtuberにとっての最重要事項といって差し支えない魂の情報を同僚である有栖が喋ってしまったとは考えられなかった零は、そのことを彼女に確認すると共に大きく頷いてから話を続けた。
「俺のところにもメッセージが来てるからわかるんだけど、中傷の言葉を送ってる奴らは花咲たらばの魂が喜屋武さんだってことを知ってる。それどころか、俺たちだって知らない喜屋武さんの過去についてまで言及してる奴らが大半だ。あいつらは花咲たらばを叩いてるんじゃない、喜屋武沙織を叩いてるんだよ」
「それってつまり……前世の問題ってこと? 昔から喜屋武さんを嫌ってた人たちが、花咲たらばの正体を突き止めて火を投げ込んできたってこと……!?」
こくりと、今度は零が有栖へと無言で頷く。
小さな両手とそれが掴んでいるマグカップを震わせている有栖は、つい先日も騒ぎになった前世の問題がまたしてもぶり返してきたことに動揺を隠せないようだ。
しかも今回は小規模であった上にすぐに収まった『蛇道枢=ついすとこぶら』説とは違い、複数名のVtuberと企業を巻き込んだ大規模な炎上。
蛇道枢のデビュー時にも匹敵するこの騒動が何の前触れもなく起きたことに狼狽する有栖へと、零は静かな口調で自身の考えを告げていく。
「花咲……いや、喜屋武さんの炎上は、俺たちが感知出来なかっただけで水面下で動き続けていたんだ。俺たちが知らなかっただけで、火種はそこかしこに散らばっていた。有栖さんの配信がなくとも、こうなるのは時間の問題だったんだろうさ」
「でも……でも、どうして? ここまで大規模な炎上が起きるってことは、喜屋武さんは相当嫌われてたってことだよね? 私、あの人がそんな悪いことをするような人には思えないけど……」
「俺もそう思うし、薫子さんの人を見る目は確かなはずだ。でも……」
「でも? どうかしたの?」
不安気に尋ねてくる有栖に対して、零はどう言葉を紡げばいいのかわからずにいる。
本当はこれも自分の時と同じで何かの間違いで、沙織は全くの無罪なのだと彼女に断言し、すぐに事態は収束すると安心させてあげたかった。
しかし……先日の一件、有栖が自分たちの前に姿を現す直前に行った沙織とのやり取りを思い返した零は、その時の彼女の反応に何か深いものを感じ取ったことも確かだ。
『……知りたい、零くん? お姉さんの秘密、教えてあげようか? ……じゃあ、教えてあげる。私の夢はね――』
普段とは全く違う雰囲気でそう自分の夢を告げようとした沙織は、本当に自分のことをからかっていただけなのだろうか?
沙織に限って周囲から言われているような妙な事実はないと信じたいが、あの仄暗い感情を湛えた囁きの中に彼女が抱える闇と弱さを垣間見てしまった零の心には、どうしても拭い去れない一抹の不安が渦巻いている。
もしも、もしもだ。沙織の夢というのが、再びアイドルとして舞い戻ることだったとしたならば、自分はどうすべきなのだろう?
炎上で話題になっている通り、過去にアイドルとして問題を起こした沙織は、どうしてもその夢を諦めきれずにVtuberへと転生した。
過去の問題を、失態を、転生を果たすことで帳消しにするためにVtuberになったというのも、決して有り得ない可能性というわけではない。
沙織は、【CRE8】を利用しているだけなのだろうか?
自分の過去を覆い隠すための都合のいい皮として、花咲たらばのアバターを被っているだけなのだろうか?
……いや、そんなはずがない。そんなわけがないと、零は自分自身の考えを即座に否定した。
先も述べたが、薫子の人を見る目は確かだ。
自分は彼女の目を絶対的に信用している。それは相手の人柄を見抜く能力だけでなく、入念に相手の情報を探るリサーチ能力も含めての評価だ。
仮に、沙織が過去にアイドルとしてなにかしらの問題を起こしていたとしてもだ、その事件のことを薫子が見逃すはずがない。
彼女がその事件について情報を集め、その元凶についても知っているとするのならば……沙織のことは信用しても大丈夫なはずだ。
自身の自業自得で事件を起こした人間を、薫子が事務所に引き入れるはずがない。
ただ過去を清算し、かつての罪をなかったことにしながらファンたちにちやほやされたいというその欲望を、有栖のような強い覚悟を秘めた夢たちと並べるはずがない。
そして、零はこれまでの沙織との触れ合いから、彼女がとんでもない悪事をしでかすような悪人ではないということがわかっていた。
確かに沙織には抜けている部分や、他者との関わり方に独特の癖があることは理解している。
しかし、先日に談話室で初めて顔を合わせたばかりの有栖との接し方や、悪いと思ったことにはしっかりと謝罪出来る態度を見る限り、彼女が悪意を持って誰かを傷付けるような人間だとは到底思えない。
なによりも、沙織がこれまで見せてくれた弾けるような笑顔には嘘はないと、そう確信を持って言い切ることが出来る零は、同時にその笑顔が曇った瞬間があることを思い出していた。
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