どう足掻いても、炎上からは逃げられない


「うぎ……っ!?」


「零くん、どうかした~? やっぱキツいなら、退いた方がいいんじゃない?」


「あ、いや、大丈夫っす! ってか喜屋武さん、あんまり動かないで……っ!!」


 ぴんっ、と背筋を伸ばし、何かを恐れるような表情を浮かべて額から汗をダラダラと流し始めた零の様子に、能天気な沙織も流石に心配の感情を抱いたようだ。

 無理せず、自分の前から退いた方がいいのではと提案しつつ、少しでも彼の負担が減るように体勢を変えようとする彼女であったが……その行動こそが今、零に絶体絶命の危機をもたらしているのである。


(む、胸がっ! むにゅっ、って!! ヤバい……しっかりばっちり、当たってる!!)


 至近距離で真正面から沙織と向かい合う形になった零は、間近に見える彼女の顔ばかりに気を取られていたが……それ以上に距離を詰めている部位があることを完全に失念していた。


 それはそれは見事に育った、沙織の2つのたわわな胸の南国果実が、自分の体に押し当てられているのだ。


 軽く触れる程度ではなく、自分の体にぶつかって形が変わる感触すらも覚える程の密着具合に動揺する零であったが、対する沙織の方はまるでそのことを意に介していない。

 羞恥心の薄さとあけっぴろげな性格が災いし、彼女は零が何に困っているのかを理解出来ていないのだろう。


(うおぉ……!? やべぇ、今更ながら対応ミスった……!!)


 既にエレベーター内の密集具合は零に身動きを許さぬ程の様相を呈しており、ここから彼が沙織の傍から離れることなど到底不可能だ。

 自分が他の客と沙織との間に入らなければ、それはそれで別の問題が生まれたような気もするが……こうして壁となったことで、零にとっての大問題が発生してしまったこともまた、確かな現状である。


 どうにか踏ん張って沙織と距離を離そうとしても、背後に押し寄せる人の波はびくともしない。

 だからといって零の方はどうしようもないことを悟った沙織が体勢を工夫してどうにか彼の負担を減らそうと動きをみせれば、そのせいで彼女の胸が上下左右に動き回り、柔らかな感触が零自身を方向から追い詰めてくるのだ。


「う、ぐおぉぉぉ……!?」


「ごめんねぇ、零くん。私のために無茶させちゃって……」


「お、お気になさらず、俺は、大丈夫ですから……!!」


 そう口では言いながらも、零の本能はけたたましいくらいの警報を鳴らしていた。


 これは不味い。肉体的にも精神的にも、色んな意味で危ない。 

 どうにか気持ちを鎮めさせ、これ以上の問題が起きぬように踏ん張る力を強くする零であったが……神はそんな彼の努力を無に帰すようにして、更なる試練(ご褒美)を与えてきた。


「あきさみよー!? まだ人が入ってくるの!? 流石にもうこれ以上は無理やさー!!」


「げぇ……っ!?」


 ポーン、と軽快な音が響き、エレベーターが2度目の停止を迎える。

 開いた扉の向こう側からはまたしても人の波が押し寄せてきており、それに押し込まれた内部の客たちは更に詰め詰めの状態へと追いやられることとなってしまう。


 そうなれば当然、壁際に追い詰められている零も踏ん張り続けることなど出来るはずもなく……微かな抵抗を嘲笑うかのような強い力で背中を押された彼は、更に沙織との距離を詰めることとなってしまった。


「うぎぐぅぅっ……!?」


「零くん、大丈夫!? あんまり踏ん張らんでいいよ~!!」


「だ、大丈夫、大丈夫、っす……!」


 僅か1歩、されど1歩……詰めたその距離は確かに零と沙織の密着度合いを強め、ほぼほぼ抱き合うような形になってしまった2人がそれぞれの感情を抱きながら口を開く。

 零の身を案じ、あまり無理をするなと彼に語り掛ける沙織と、その言葉ではなく自分自身の理性に対しての言葉を述べた零の間には、会話が通じていながらもお互いに違う意味合いで話をしているという異常な状況が出来上がっていた。


「ぬおぉぉぉ……っっ!!」


 先程までよりも強く押し付けられ、潰れる胸の感触がよりはっきりと感じられてしまう。

 やや薄手の素材で出来ている服のせいか、沙織の胸の形までもが想像出来るくらいの感触に呻きを漏らしながら、零は必死にこの状況を好転させようとするも、状況は芳しくないままだ。


 両手を壁に付いて沙織との距離を作ろうとも、荷物を持っているせいでそれも出来ない。

 ならばと両脚に力を込めて背後へと人の波を押し退けようとしても、数名分の体重が乗ったそれを跳ね除けることなど零1人の力では到底不可能な芸当だ。


「ぐぬぬぬぬ、ぬぅぅ……っ!?」


「零くん、顔が真っ赤だよ? そんなに踏ん張ってたら血管が切れちゃうさ! もう無理せんでいいから、楽にしてよ~」


「そ、そういう、わけには……っ!!」


 正直、もう全てを諦めて沙織の胸の中に飛びこんでしまいたいという気持ちもある。

 どうせどれだけ抵抗してもそれは無駄な足掻きだし、こうしてほぼ密着している彼女との距離をほんの数mmだけ広げる程度の成果しか生み出せないのだから、全てを投げ捨ててしまえと心の中の悪魔が語り掛けていることも確か。


 しかし……ここでその努力を放棄すれば、自分は人として何か大切なものを失う気がしていた。

 男としては羨まけしからん体験をすることが出来るが、沙織の羞恥心が薄いのをいいことにそんな破廉恥な真似を行うなど言語道断だと判断した零は、恥を承知で最後の手段に打って出る。


「あの、喜屋武さん……大変、申し訳ないのですが……!!」


「ん? どうかした?」


 出来ることならば、これだけはしたくなかった。

 しかし、零1人の力でこの状況をどうにか出来ないというのならば、沙織自身の手を借りるしか方法はない。


 そのために、多少の恥を被ったとしても……彼女の尊厳と安全が守られるのなら、それは必要な犠牲だったと納得出来るはずだ。


「ど、どうにかして、胸をガードしてくれない、でしょうか……!! さっきからそれが当たって、心苦しいので……っ!!」


「えっ……!?」


 赤裸々に、正直に、顔を赤くしながら零が自身を追い詰める最大の要因を沙織へと告白し、対策を願う。

 これでいい、これでよかったのだ。これで、沙織が零の体を手で押し退けるなり、両腕で胸をガードするなりの防御策を取ってくれる。

 そうすれば、精神面は本当に楽になるはずだ……と、これまでその事実を伝えなかったことを彼女に悪いと思いながら、これでもう一安心だと、事情を知った沙織の驚いた顔を見つめていた零であったが――


「な~んだ! そんなことで踏ん張ってたんさ~! 気にせんでええよ~! ほら!!」


「えっ!? へっ!? はいいっ!?」


 ――にぱっと笑みを見せた彼女が取った行動は、零の想像の斜め上を行くものであった。

 どうにかして沙織が自分との距離を空けることを期待していた零であったが、彼女が取った行動はその逆……なんと、零を自分の側に引き寄せてみせたのである。


 予想外の展開に驚いた零は、沙織の招きに逆らえずにそのまま彼女と完全なる密着状態に陥ってしまう。

 そうなれば当然、彼を追い詰めていた最大の要因である南国果実たちが最大限の存在主張をし始め……今まで以上に強く感じられるその柔らかさに、零はパニック状態に陥ってしまった。


「零くんは本当に真面目で可愛い子さね~! こんなもの、全然気にしないでいいのに~!! ハグぐらいうちなーのおじいおばあとよくしとるし、挨拶みたいなものさぁよ~!」


「あば、あば、あばばばば……!! と、特大パイナップルが2つ……!?」


「無理して体を痛めたらそっちの方がよくないさ~。ここはお姉さんにどーんと頼っていいところだよ~!!」


「やばばばば、おおおちちちちちつつつつ、あばびぶべべべ……っ!?」


 完全に錯乱している零と、そんな彼の様子などまるで意に介していない沙織。


 零にとっては天国であり、地獄とも呼べるこの状況は幸か不幸か1つ階層を上がる度に停まるエレベーターのせいでたっぷり数分は続く羽目になり、屋上で降りる頃には、彼は完全に燃え尽きて真っ白な灰になっていたそうな……。









『……って、ことがあってね~! そん時の枢くん、すっごく可愛かったな~!!』


「あ、あは、あははははは……ははははははははは……」


 数日前の自分のやらかしを思い返し、それと全く同じ内容をリスナーたちへと語ってみせた沙織こと『花咲たらば』の配信を視聴していた零が乾いた笑いを口にする。

 この先の展開が容易に想像出来ている彼は、全てを諦めた表情のままコメント欄を見て、やっぱり自分の想像が正しかったことを確信した。


【へえ、くるるんがねえ……? きっとさぞや幸せだっただろうねぇ……!!】

【見損なったぞ枢! お前もやっぱり巨乳が好きだったんだな!?】

【蛇道枢、羨ま……けしからん! これは炎上待ったなし!!】


『あれぇ? なんか私、マズいこと話しちゃったかな~? う~ん、枢くんが可愛いと思っただけなんだけどね~……』


 リスナーたちの嫉妬の感情が炎として燃え上がり、それが段々と大きく育っていく様子を目にした零は、とぼけた沙織の声を耳にして口の端をひくつかせていた。

 『蛇道枢=ついすとこぶら』説が否定され、それによる炎上は回避出来た零であったが……自分を助けてくれたはずの相手から繰り出された第2の火矢によって、また別の炎上に巻き込まれることが確定してしまったようだ。


【枢ぅぅぅっ! お前っ、許さないからな! たらばのたわわなたらばにダイブしやがって!!】

【一度上げてから突き落とす、たらばちゃんもなかなかのワルだね】

【芽衣ちゃんはどうした枢!? 所詮はお前も乳には勝てない男だったっていうのか!?】

【巨乳が好きならお前が芽衣ちゃんを揉んで育てろ。ロリ巨乳に仕立て上げるんだ】

【↑それはそれで炎上不可避だろwww】


「あは、あははははは! あーっはっはっはっはっは!!」


 どこか虚しい零の高笑いが防音室に響く。

 同時に、先程までよりも早いスパンで通知を鳴らし始めたスマートフォンの様子を見て取った彼は、起床してから1時間足らずの間に、何と3度目となる悲痛な叫びを上げるのであった。


「ああ、チクショウ……! もう、何もかも……めんどくせえええええええっ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る