とあるVtuberファンの晩酌

「ビールよし! つまみよし! 配信を聞く準備は万全! 後は時間を待つだけだ!!」


 同日、20時58分。自室のPCの前に座った界人は、お気に入りの缶ビールのプルタブを開けて中身を1口飲むと、堪らないといった表情を浮かべる。

 面倒な仕事を終わらせ、呼び止めてきそうな中年上司の目から逃れて仕事場から脱出した彼は、1日の最後を締めてくれる蛇道枢の配信を晩酌と共に楽しむ態勢を完璧に整えていた。


「マジでこの瞬間のために仕事してるわ……! 明日からの活力を貰いにきたわ……!!」


 空調の聞いた部屋の中で、好物であるビールとつまみを貪りながら推しの配信を観る、これ以上の天国が何処にあるというのだろうか?

 少なくとも、現世でこれ以上の楽しみを知らない界人は、用意した柿ピーを口の中に放り込むとそれをボリボリと噛み砕きながら時間を確認した。


「そろそろ開始時刻だな、っと……」


 イヤホンを装着し、その時に備える界人。

 咀嚼を止め、聴覚に神経を集中させた彼は、PCの時計が21時を示した瞬間に聞こえてきた声に胸を躍らせた。


『おい~っす。こんばんは、っと……【CRE8】所属のVirtualYouTuber蛇道枢で~す。今日も今日とて中身のない雑談をやってくぞ~』


 やや気怠い感じの、さりとてやる気を全く感じさせないわけではない枢の声を耳にしただけで、既に界人は笑みを浮かべている。

 少しばかり憔悴している枢の表情も今の彼の目には色っぽく映っており、ガチ恋勢のフィルターの凄まじさが何となく見てとれていた。


【おいっす! なんか疲れてない?】

【何か嫌なことでもあったのか? 俺たちに話してみろよ!】


『……お前ら、知ってて言ってるだろ? っていうか、こうなったのも半分以上はお前らの責任みたいなもんだろうが!!』


 開幕、リスナーたちをそう叱りつけた枢が苦笑を浮かべる。

 別に本気で怒っているわけではない彼は、暫しの間、コメント欄を確認した後で自身の疲れている理由を語り始めた。


『いやもう、朝からダイレクトメッセージが馬鹿みたいに届くんだよ。妬みと祝福と告白のメッセージが数十秒間隔で俺の所に送られ続けてるんだよ。あれだろ? 昨日、芽衣ちゃんが口を滑らせて俺が作った料理を一緒に食べた、っていう話をしたからだってことはわかってるんだ。向こうからも謝罪受けたし、別に炎上らしい炎上はしてねえけどよ。お前ら全員、ノリが良すぎないか?』


 昼間に見たあの記事はそこまで影響を見せていたのかと驚きつつ、それも当然かと納得する界人。


 今、蛇道枢という男は【CRE8】のファンのみならずVtuber界隈のファンたちからの強い注目を浴びている存在だ。

 界人としては、デビュー直後から続いた炎上を乗り越え、多くのファンに認められつつある彼の現状を思うと胸にくるものがあるのだが、同時に愛しの彼が遠いところに行ってしまったような物悲しさも感じている。


 しかして、ファンとしては応援しているタレントが有名になり、多くの人から注目される立場になることは素直に喜ぶべきなのだ。

 この寂しさは、悲しみは、自分の胸の内に秘めておこう……と、なんだか感動的な展開を自分の中だけで界人が作り上げている間に、枢はオープニングトークを終えて用意した話題へと雑談の内容を移していた。


『ああ、そうそう。収益化に続きまして、チャンネル登録者数が4万人を突破しました。ホント、応援してくれる皆さんに感謝してます。こんな俺に構ってくれて、ありがとうな』


【オメ! 同期たちに並んできたな!】

【勢いで見れば2期生でもNo1でしょ!!】

【このまま10万人1番乗り目指して頑張っていけ~!!】


「そうか、もう4万人突破か……! この間までの配信が嘘みたいだなぁ」


 つい数週間前まで、枢のチャンネル登録者はたった3000人ぽっち。他の【CRE8】2期生と比べると10分の1以下の数字でしかなく、配信を観に来るリスナーの数も数百人程度しかいなかった。

 しかし、それからごく僅かな期間で彼は登録者数を10倍以上に膨れ上がらせ、それに比例してリスナーの数も安定して1万人を超える人気を得てきている。


 古参勢としては、最初期の放送が懐かしくもあるが……それもまた、先に述べたファンとしての心得を胸に祝福の言葉を送ろう。


 そう考え、キーボードをタイプした界人は、いつもの調子で枢へのメッセージをコメントとして打ち込んだ。


【枢、おめでとう。いつまでも愛してるぞ!】


『くははははっ! またお前か!? なんかもう、俺の配信の名物みたいになってるよな?』


【ガチホモ兄貴もよう観とる】

【安定と信頼のガチホモ兄貴】

【これを観にくるるんの配信に来てんだ】


 自分のコメントで枢が笑い、リスナーたちが盛り上がってくれることがとても嬉しい。

 この配信の雰囲気の一部になれていることにちょっとした誇りを抱いている界人は、そこからはあまり出しゃばらずにビールを飲みながら枢の雑談を楽しんでいった。


【5万人見えてきたけど、記念配信とかどうするの?】

【先輩リスナーは歌枠とか取ってたけど、枢もやる?】


『あー、記念配信かあ……なんも考えてねえや。でも歌はちょっと厳しいかなって……』


【俺は聞いてみたいけどな、くるるんの歌】

【まあ生歌はハードル高いからね、ちかたないね】

【んじゃ逆に5万人寸前から初めて超えるまで○○する、的な配信にする?】


『う~ん、ちょっとその辺に関しては詳しくないから、みんなの意見を聞かせてくれ。先輩たちとか、何やってた?』


 話題は着々と迫っているチャンネル登録者5万人突破記念の配信を何にするか? というものになり、枢からの質問を受けたリスナーたちがそれぞれに案を出し始める。

 やれ歌枠だ、やれ突破するまでの耐久だのと色んな意見が飛び交うコメント欄を確認していた枢は、何度か頷いた後でこう自分の考えを述べた。


『やっぱ耐久にすっかなあ? 歌は無理だし、凸待ちってのも知り合いが少ない今じゃ無茶な話だろ。芽衣ちゃんしか来ない寂しい配信になっちまうだろうし』


【芽衣ちゃんが来てくれれば俺的には十分な気がするけど、5万人記念だもんね】

【凸が1人だけってのは流石に寂しい……】


 こういう時の定番である凸待ち配信もVtuber界に知り合いが少ない今は無理だと述べる枢の言葉に同意するリスナー一同。

 コメント欄が唯一の知り合いである芽衣だけが来てくれても寂しさは拭えないという意見一色に染まる中、あるコメントがその空気を一変させた。


【いっそ芽衣ちゃんと2人で記念配信すれば? このペースなら、ほぼ同時期に5万人行くでしょ】


「!?!?!?」


 瞬間、界人の脳内に衝撃が走る。

 枢と芽衣。推しと推しが互いに記念日を祝い、2人で1つの企画を協力して成功させようとする様子を思い浮かべた彼は、早鐘を打ち始めた心臓を鎮めるように左胸を強く掴む。


「お、落ち着け、俺……! まだ企画として出ただけで、決定事項じゃない。早まるな……っ!!」


 そう自分自身に言い聞かせる界人であったが、既に妄想はノンストップで進んでいる。

 5万人突破記念配信をくるめいで行い、お互いにお祝いの言葉を送りながら企画した何かを行う2人の姿を想像してみれば、これはもう実質結婚したようなものではないかという突飛な発想が出てきてしまう。


 同じ社員寮に住んでいるのならこの記念配信は絶対にオフコラボになるだろうし、1つの部屋で仲良く配信する2人があんなことやこんなことをしてイチャコラする様を観れるというのなら、幾ら金を支払ってもいいくらいだ。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……っ!!」


 どんどん早くなっていく心臓の鼓動を感じながらマウスを動かした界人は、何かを操作した後でキーボードのエンターキーを叩く。

 暫くして、コメント欄に自分の名前と金額だけが記載された赤い長方形が出たことを彼が確認した次の瞬間、噴き出したような枢の笑い声と共に突っ込みの言葉が飛んできた。


『あっはっは! お前、無言で赤スパチャは笑うから止めろって! せめてなんかコメントしろって!!』


 無言スパチャ……ただ何も言わず、それをネタとしながら配信者に投げ銭を送るその行為に大爆笑する枢。

 特に、界人が投げた金額は配信サイトが設けた上限に近い金額であり、それだけの投げ銭をしながらもなんのコメントもしないということが、一種のネタとして枢やリスナーたちの間で笑いを起こす鉄板となっていた。


【またガチホモ兄貴が限界民になっておる。救急車を回せ!】

【手遅れだろ。葬式の準備しとくわ】

【じゃあ俺は蘇生のためにくるめいの切り抜き用意しておく】

【くるるんの一挙手一投足で限界に達し、くるめいの情報と妄想で逝き、諸々の後に復活する。ガチホモ兄貴は無敵だな】


「っふうぅぅぅぅ……落ち着いた。やっぱり推しを応援するのは心臓に悪いけど心臓に良いわ」


 一行で矛盾する言葉を口にしながら、ビールとつまみを頬張る界人。

 スーパーチャットに対する枢からの感謝の言葉に再び心臓が止まりかけたが、それを何とか乗り越えた後は楽しく配信を視聴し続けた。


『んじゃまあ、無言赤スパチャに応えるためにも軽く芽衣ちゃんに記念配信のことを聞いてみるよ。ただ、期待はすんなよ? タイミングとか色々あるし、無理だったら即座に諦めるからな!』


 そうして、1時間の雑談の終わり間際、自分の意見を取り入れようとしてくれる枢の反応に界人は感謝していた。

 ぶっきらぼうに見えて面倒見がよく、感謝や礼儀を忘れないその性格こそが彼が枢を推す理由であり、今日もそういった自分の好きな一面を観ることが出来て満足した彼は、今度は最低金額でのスーパーチャットを放り投げる。


『あ、こら、増やすな! もう十分だって。必要以上に俺に金を投げてないで、美味いもんでも食ってくれよ』


「いや、枢が俺の金で美味しい物を食べてくれ。枢は俺が養うから……!!」


 ヒモを養う彼女のような言葉を口にしつつ、画面の向こうの枢と出来るはずのない会話を繰り広げた界人が残っていたビールを一気に飲み干す。

 あっという間に終わってしまう1時間に寂しさを覚えつつも、また次の機会に枢と会えることを楽しみにする彼の目に、耳に、ただ立ち絵でしかない蛇道枢からの感謝の表情と声が届いた。


『え~っと、ガチホモ兄貴こと、Pマン。今日もスーパーチャットありがとうな! また遊びに来てくれよ!』


「ああ、必ず行くよ。楽しみにしてるから……」


 自分以外の支援者の名前を呼び、配信を締めにかかっている枢へとそう告げた界人は、回ってきた酔いと共に心地よい微睡を覚えていた。

 今日はいい気分で眠れそうだ……と思いつつ、デスクの上に空き缶を置きっぱなしにした彼は、その眠気のままにベッドに潜り込む。

 

「芽衣ちゃんが1人……それを追って枢が1人……2人で仲良く記念配信……うぐっ、心臓が……っ!!」


 勝手に妄想し、勝手に苦し気な呻きを上げる界人のドタバタとした物音が部屋の中に響く。

 今晩、この流れをあと3度ほど繰り返した後でようやく眠りに就いた界人は、夢の中でも限界に達し、幾度となく飛び起きることとなるのであった。


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