啓蒙、ただし本人からではなく別の場所から

【事務所から脅しのメッセージが来たよ。でも、僕と芽衣ちゃんの愛を引き裂くことは誰にも出来ない! 僕は負けないよ! これからも、君への愛を証明し続けるからね!!】


「……はあ。やっぱり駄目、か……」


 数時間後、返ってきたスマートフォンに届いていた件のセクハラ魔からのダイレクトメッセージを確認した有栖は、予想通りの展開に大きな溜息を吐いていた。


 薫子は約束通り、事務所を通してこの人物に対しての警告を行ってくれたようだが……こんなことで止めるようなメンタルの持ち主ならば、そもそもこのような異常行動に出るはずがない。

 むしろここから、逆境に燃えた相手が更に過激なメッセージや画像を送ってくるのではないかと身震いした有栖は、ぷるぷると首を左右に振ってその妄想を掻き消してから、再び大きな溜息を吐き出した。


「解決まで、どれくらいの時間がかかるのかなぁ……?」


 警察や弁護士に相談して、SNSサービスの提供会社に情報の開示を要求して、そこから更にインターネット業者を辿ってから本人の特定に至るまで、どれだけの時間が必要なのだろうか?

 そういったことに詳しいわけではないが、なかなかに手順が多いこの対策法にはそれなりの時間がかかることは明白だ。


 それに、インターネットを通じてのセクハラやストーカー行為が、警察に重大な犯罪だと思ってもらえるかが自信がない。

 Vtuberという存在や仕事について理解を持ってくれるかすら怪しいところではあるし、相手が即座に動いてくれるかどうかという確証もないのだ。


「もう暫く我慢するしかない、よね……」


 自分に言い聞かせるように、今は忍耐の時だと呟く有栖。

 折角、山あり谷ありのVtuber活動を続けてここまできたのだからへこたれてはいられない……と、決意を新たにするも、やっぱり1人になると湧き上がってくる辛い気持ちを誤魔化すことは出来なかった。


「はぁ~~~……」


 本日何度目かわからない、どんよりとした重苦しい溜息。

 それを吐き出し、ぽけ~っと何もする気になれないでいる有栖は、窓の外に見える夕日をぼんやりと見つめ続けた。


 タレント業というのに厄介なファンが付くことは承知の上だし、むしろそれが有名になった証拠だと思えるポジティブな一面もあるにはある。

 しかし、やはりこういった直接的な被害を受け続けるというのは辛いものだな……と、沈み行く太陽を見つめながら考えた有栖は、何をする気にもなれない現状に疲労困憊しながら、視線を部屋の天井へと向けた。


「……今日の配信、お休みさせてもらおうかな」


 この暗い気分をどうにかしないと、配信にまで影響が出てしまうだろう。

 申し訳ないが今日は配信を中止して、気分を切り替えることに注力した方がいい。


 そう判断した有栖はその報告をするためにSNSを開き、自分のアカウントページへと飛ぶ。

 マネージャーに連絡し、本日の配信を休んでもいいかという確認のメッセージを飛ばした彼女が、その返事がくるまでの間、ネットサーフィンでもするかとSNSの急上昇ワードランキングを確認してみると――?


「あれ? 蛇道枢がランキングに載ってる……? 今、配信でもしてるのかな?」


 急上昇ワードランキング堂々の3位に上っている同僚の名前を見つけた有栖が不思議そうな表情を浮かべる。

 夕方のこの時間帯に配信をするだなんて珍しいことがあるものだと配信サイトを確認してみた有栖だが、蛇道枢のチャンネルは特に何の動きも見せていなかった。


「……配信してないの? じゃあ、どうして名前が急上昇に……?」


 なにか、ちょっと、嫌な予感がする。

 デビューした直後の炎上と、自分のせいで巻き込まれてしまった騒動の余波を思い出した有栖は、よもやあの騒ぎがまた起きているのではないかと不安になりつつも、詳しい状況を確認しようと意を決して蛇道枢の名前を検索してみることにした。


 カチッ、とマウスをクリックし、読み込みが終わるまで待つ。

 数秒後、ずら~っと並んだツイートの頂点にあった枢本人の発言を目にした有栖は、心臓が跳び上がるような衝撃を覚えると共にはっと息を飲んだ。


【顔も知らねえ相手からち〇この画像とか丸めたティッシュの画像とか届けられるの、男の俺からしても死ぬほど気持ち悪いしドン引く行為だからな? 自分がなにやってるかよ~~~く考えて、常識と照らし合わせてみろよ】


「これ、もしかして……私が受けてる被害のことなんじゃ……!?」


 多くのいいねやリツイート、そして賛同のリプライが寄せられているそのコメントを目にした有栖は、あまりにも自分の境遇と似ている被害状況に息を飲む。

 そして、薫子が自分との面談の後に零と話をすると言っていたことを思い出すと、1つの結論へと思い至った。


(もしかして薫子さん、零くんに私のことを相談したのかな? また、上手くフォローしてくれるように頼んだのかも……?)


 有栖との面談の後に顔を合わせた零に対して、薫子は同僚が受けているセクハラ被害についての対策を相談として持ち掛けたのかもしれない。

 これこれこういった事情があり、有栖こと羊坂芽衣が矢面に立つことは危険だからと、代わりに蛇道枢として零の口からセクハラ被害に対する牽制や啓蒙を行ってほしいと叔母である薫子から頼まれた零は、その通りにこんな発言をしたのかもしれないと……有栖は、そう判断した。


 確かに先日のアルパ・マリの一件以降、芽衣のファンたちの大半は枢のことを彼女の良きお兄さんとして見ている節がある。

 そんな彼が何の前触れもなく発したこの発言には、多くの【CRE8】ファンたちが驚きを覚えると共に、その裏にある真意を探ろうと考察を重ねていた。


【急にどうした? 何かあった?】

【ちょっとびっくりしたけど正しいことは言ってるよね。CRE8だけじゃなくて他の箱のVtuberたちもそんな被害に遭ってるって報告してるし】

【この間、同じ2期生のラブリーもそんな感じのDM来たって言ってなかった? もしかしてそれ関係?】

【これマジで邪推だし、CP厨って言われることも覚悟で言わせてもらうとさ……これ、芽衣ちゃんに関することなんじゃないの?】


「!?!?!?」


 ズバリと、枢の発言の裏で起きている事件を察したファンのツイート欄に飛べば、そこにもまた多くのリプライが寄せられていた。

 その大半が賛同と納得の意見であり、ファン同士が活発な意見の交換を行っては、厄介ファンについての話し合いを行っているようだ。


【それめっちゃ有り得るわ。芽衣ちゃん、ラブちゃんみたいに声上げるような性格してないし、ギリギリまで溜めちゃう感じの子だから、代わりに発言した的な?】

【有難迷惑って可能性もあるけどさ~。アルパ・マリの時みたいに心労でぶっ倒れるよりかは万倍マシだよね】

【ストップ、ストップ! 確証もないのに俺たちだけで盛り上がってまことしやかに噂作るのはやめようぜ。それこそマリちゃんの時みたいな話になりかねない】

【特定の誰かの話したわけじゃなくて、枢が自分とこのリスナーにそんな真似はするなよって注意喚起しただけかもしれないしな。配信で芽衣ちゃんに詰め寄るとか、そういうことは絶対にすんなよ】

【だね。結構過激な発言だけど、別に間違ったこと言ってないし誰に迷惑かけたわけじゃないから大騒ぎする必要もないよ。枢も次の配信で理由説明してくれるだろうし、それ待ちでいこうな】

【全く関係ないけど、枢がンコ派の人間だってことがわかってよかった←ンポ派】

【枢ガチ恋勢ホモニキここにもいて草。どこにでもいるな】


 憶測が憶測を呼び、盛り上がる者と無責任な発言を控えようと呼びかける者とで半々に分かれているコメント欄を見ていた有栖は、枢の発言が大きな注目を集めている現状にごくりと息を飲んだ。


 これが良い状況なのか、悪い状況なのかはまだわからない。だが、零がまた自分の盾となってくれようとしていることはほぼ間違いないようだ。

 こういったセクハラ被害に遭っているのは自分だけではないようだし、ファンたちの関心が芽衣に向けられたとしても枢が話している人間が彼女であるという確証を得ることは出来ないので、影響はそこまでないだろう。

 逆に、Vtuber界隈全体にそういった注意喚起が成されることによって、セクハラを行っている者たちが何らかの危機感を覚え、粘着行為を止めるかもしれないという希望もあることに、有栖はほんの少しだけ希望を見出す。


 これでもし、犯人が羊坂芽衣へのインターネットセクハラを止めてくれれば、自分が思っているよりも早期に解決が迎えられるかもしれないと……そう、考えていた有栖がスマートフォンの画面を見つめる中、不意にダイレクトメッセージの着信通知が浮かび上がってきた。


 その相手の名に、一瞬だけびくりと体を震わせた彼女であったが……自分を激励すると、意を決してそのメッセージを開く。

 見慣れた名前とアイコンの主から送られてきたそのメッセージには、短い文章でこう綴られていた。


【話したんですか? 蛇道枢に、僕とのことを?】

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