対策、だが光明は薄く……


「話はわかった。ただ、残念ながらこの問題を今すぐに解決するってことは、本当に難しいことだと思う」


「そう……なんですか?」


 ある程度その答えを予測してはいたのか、有栖はそこまでショックを受けた様子ではない。

 だが、やはりそうなってしまったかという失望と、まだネットセクハラの恐怖に耐えなければならないという心苦しさは、はっきりと表情に浮かび上がっていた。


 それでも、自分のことを見つめ返して前を向いている彼女の様子に、薫子は有栖の成長を感じ取る。

 少し前の彼女だったら、そもそも相談も何もせずに自分の中でこの問題を抱え込み続けていたかもしれないと考えると、彼女に影響を与えた自分の甥の存在は結構大きなものなのかもしれないと薫子は思った。


(おっと、満足してる場合じゃないね。今は目の前の問題についての話し合いだ)


 とまあ、喜んでいる状況ではないと自分自身を叱責し、この問題について有栖へと話を始める薫子。

 まずは根本的な問題として、どうしてこの問題に対処しにくいかを有栖に説明をしていく。


「有栖、お前にちょっかいを出してる奴をとっちめるためには、まずこのSNSアカウントから相手の情報を掴まなきゃいけない。個人を特定さえ出来れば、相手に対して直接警告の文書を送ることも出来るし、場合によっちゃあ訴訟だって視野に入れられるわけだ。ただ、そのためには警察もしくは弁護士なんかに相談して、SNSのサイト管理者に情報開示の請求を行わなきゃならないんだよ。そこから更に相手の使っているインターネット通信業者を割り出して、ようやくそこで相手に辿り着けるんだ」


「結構回りくどいんですね。じゃあ、まずは相談に行くところから始めるわけですか?」


「そうだね。有栖は相手を何度もブロックしてるし、拒絶の意志ははっきり感じ取れている。それでも相手が付きまとってくるんだから、これは立派なストーカーさ。ただ、有栖が言った通り、相手をとっちめるまでの手続きは本当に回りくどい。明日、明後日で即日解決するような話じゃないし、有栖にも労力がかかるはずだ」


 訴訟や弁護士費用などは心配いらない。タレントを守るための必要経費として、【CRE8】が全額支払うつもりだということを、薫子は暗に有栖へと伝える。

 ただ、相手の特定までにかかる時間と、弁護士もしくは警察との相談や打ち合わせに費やす労力に関しては、彼女にもどうしようもなかった。


「……一番いいのは、【CRE8】が相手にコンタクトを取って、訴訟をちらつかせつつ警告を行うことだ。それで相手が怖気付いてくれれば、もうこれ以上の粘着セクハラはしてこないだろう。ただ……そういう行動が逆効果になることもあるっていうのは、この間の一件で理解してるよね?」


「……はい」


 アルパ・マリが巻き起こした騒動において、彼女の暴走を招いた最後のトリガーとなったのは【CRE8】からのメッセージであった。

 これ以上、羊坂芽衣に付きまとうことを止めてほしいという事務所からの要請を受け取った彼女はそのことで頭に血が上り、過激な行動に打って出たという部分があり、こうして薫子たち【CRE8】スタッフが動くことで事態が悪化する可能性も否定はしきれない。


「……やっぱり、私がはっきりと相手に言うべきなんでしょうか。こういうことは迷惑だから止めてくださいって……」


「それは止した方がいいと私は思うよ。先日の配信で、有栖がウチの社員寮に住んでることは周知の事実になってる。有栖に拒絶の言葉を投げかけられた相手が逆上して、万が一にも寮の住所を特定なんてことになったら……」


「っっ……!?」


 びくりと、小さな体を震わせた有栖は、その危険性を認識すると共に大きく頷きを見せる。

 彼女を怖がらせてしまったことを申し訳なく思いつつ、すぐに事態を解決出来ない自分自身の無力さに歯痒い思いを抱きながら、薫子は有栖を励ますように、明るい口調で言った。


「心配すんなって! これはあくまで万が一どころか、兆が一レベルの事態の話だからさ。まず間違いなく、そこまで行く前に相手を特定して、何らかの対処が出来るはずさ。心配すんな。私たちがついてる。だからあともう少しだけ、耐えてくれないかい?」


「……はい。大丈夫です。薫子さんたちのこと、信じてますから」


「うん、有栖は強い子だ! ……にしても、こいつのモンは大したことないね。イキって画像を送って来る割には、結構粗チンじゃないか」


「ぶっ!? か、薫子さん!? そ、そそそ、そういう言葉遣い、良くないと思います!!」


「ははははは! ごめんごめん、不謹慎だったね。ただまあほら、こういうグロテスクなモノを見て有栖も怖いだろうとは思うけれど、あんたが考えてるほど相手は恐ろしい奴じゃあないよ、って言いたかったんだ。少なくとも、あんたは相手に物申せるだけの勇気を持ってる。それさえあれば、ネット越しの相手なんて怖くないさ」


 ぽんぽんと有栖の肩を叩き、笑みを浮かべて彼女を勇気付ける薫子。

 頼りになる社長の言葉に元気を取り戻した有栖は、こくりと頷きを見せた。


「よし……それじゃあ、ちょっとあんたのスマホを借りるよ。このダイレクトメッセージのデータをコピーしておきたいからね。今日の夜くらいにはマネージャーを通じて返却するから、安心しておくれ」


「わかりました。お忙しい中、わざわざ時間を割いてくれてありがとうございます」


「ああ、気にしないで。元々、この時間帯は零の奴と話をするために時間を空けてたんだ。あいつとの話し合いの時間を後ろにずらしただけだから、業務には差支えなんてないよ」


「そうだったんですね……また、零くんに迷惑かけちゃったな……」


 先日の事件に引き続き、またしても零に負担をかけてしまったと落ち込む有栖であったが、そんな風にしょんぼりとしている彼女に薫子が発破をかける。


「大丈夫だって! あいつがそんなことを気にするタマだと思うかい? むしろ、そんな風に落ち込んでる有栖を見た方が、あいつだってショックを受けるだろうさ。零のことを思うなら、しゃっきりしな!」


「……はいっ!!」


 再び、薫子の言葉に元気を取り戻した有栖は、ふんすと鼻息を噴きながら社長室を出ていった。

 良くも悪くも周囲の影響を受けやすい彼女の様子に小さく笑みを浮かべつつも、薫子の心境は実に複雑だ。


 これからすぐに警察や弁護士に相談したとしても、事態の解決には早くとも2週間ほどの時間はかかってしまうだろう。

 その間、有栖はライバーとしての仕事を行いつつも捜査に協力し、その上で粘着する相手からの卑猥なメッセージを耐えなければならない。

 そんな日々を送っていけば、心身ともに疲弊した有栖の体調に異変が出る可能性だってあるだろう。


 復帰して1か月も経たずにまた入院だなんて笑えもしない話だし、何より有栖にそんな辛い思いはしてほしくはない。

 ただ、現状では打てる手が限られていることもまた確かな話で、今の薫子に出来るのは証拠集めと法的機関に相談を持ち掛けることくらいのものだった。


「なにかないかねぇ……有栖の負担を最小限にしつつ、この問題を迅速に解決する方法が……」


 流石に、そんな都合のいい話などあるはずがないとはわかっていながらも、ついつい心の中の願望を口にしてしまう薫子。

 可愛い部下を苦しめる問題に彼女も同じように心を痛めながらも、責任者である自分がそんなことでどうすると顔を叩いて気合を入れ直した薫子は、小さく息を吐くと共にそろそろやって来るであろう零を迎え入れる準備を整えていくのであった。

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