押し込め、相手は怖くない
効いている……そのメッセージを目にした有栖が抱いた最初の印象が、それだった。
これまでの距離感を弁えない馴れ馴れしい口調ではなく、敬語で綴られたその文面からは、送り主の困惑と動揺、そして恐怖がはっきりと感じられる。
蛇道枢の発信を受けたファンの騒動を目の当たりにし、遠回しに自身の行動を大勢の人間から避難されたせいか、あるいは、枢が言った通りに自身の行動を常識と照らし合わせてその乖離に気が付いたお陰かは定かではないが、明らかに相手の様子は今までとは違っていた。
ここからもし、自分が送ったダイレクトメッセージを芽衣が晒したりなどしたら、それこそ自分が大炎上するかもしれない。
メッセージを送っているアカウントは所謂捨て垢という奴だから問題はないかもしれないが、熱心なファンがそれこそ自分のように粘着し、本垢を特定などされたら、待っている事態は想像に難しくない。
叩きに叩かれ、住所や名前などを特定され、ネット上に晒され……実質的な破滅が手ぐすね引いて自分を待っている。
その恐怖を想像したであろう相手の様子を感じ取った有栖は、もしかしたらこのまま向こうが謝罪し、もう二度と自分と関わらないことを約束してくれるのではないかと期待したのだが……。
【ふざけるな。なんでそんなことしたんだ。会社や事務所ならまだしも、ただの同僚に見せるだなんて】
【やっぱり裏ではあいつと付き合ってたんだな? 僕のメッセージを2人して笑い物にしていたんだろう?】
【クソビッチめ、絶対に許さないぞ。僕の心を傷付けた責任を取れ】
……残念ながら、そんなことで引き下がるような相手ではないようだ。
口にする罵詈雑言はどんどん悪辣さを増し、怒り狂った文面へとメッセージが変わっていく。
しかし、有栖は受け取ったメッセージを目にしても、これまでのように恐怖を感じることはなかった。
相手のこの怒りが、じわじわと押し寄せてくる不安を紛らわせるための虚勢からくるものだということを理解していたからだ。
こうして強い言葉を吐くのも、脅すような文面を有栖に送ってくるのも、全ては今、自身が感じている恐怖を誤魔化したいという思い故の行動に過ぎない。
【CRE8】から訴えられるかもしれない。自身の行動を暴露され、ファンに特定されて叩かれるかもしれない。
そんな恐怖を感じ始めた相手は、どうにかしてそれを振り払おうと必死になって怒り、その感情で心を満たすことで怖れを振り払おうとしているのだ。
しかし……幾ら虚勢を張ったところで、事態が解決しない以上はその恐怖を拭い去ることなど出来はしない。
むしろ送られてくるメッセージの発狂度合いが増していけばいくほど、それを読む有栖の心は相手への不憫さで落ち着いていく始末だ。
「………!!」
今がチャンスだと、有栖は思った。
いつまでも零や薫子に頼り、盾になってもらったり助けてもらうだけでは強くなんてなれはしない。
厄介ファンの1人くらい、この程度のセクハラの対応くらい、自分だけでどうにか出来なければ、自分が夢を叶えることなんて出来るはずがないではないか。
そう、自分自身に言い聞かせた有栖が、強い意志を瞳に灯しながらセクハラの相手へとメッセージを打ち込む。
決して感情的にはならず、暴言と取れるような言葉も選ばず、それでいて自身の想いをしっかりと文字として綴った彼女は、再三の確認の後、それを相手へと送信する。
【私はこれまで、何度もあなたからのメッセージをブロックしてきました。直接言葉に出さずともそのことはあなたにも伝わっていたでしょうし、それが拒否の意味を持つことを理解出来ていたはずです】
【事務所の方からも警告が送られたことから考えても、私があなたのことを相談していたことがわかっていただけたはずです。そもそも、こうした事態に直面してそのようなメッセージを送ってくる辺り、ご自身が人様に顔向け出来ない真似をしていたことはご理解なさっているのではないでしょうか?】
【一応、申し上げておきますが、私は蛇道枢さんに今回の件を相談したり、ましてやあなたのことを笑い物にしたこともありません。彼もあの発言を私のことだとは明言していないですし、あの発言以上の意味はないと思います】
既読を意味するチェックマークが自分のメッセージに付いていくことを確認しながら、有栖は自分自身が予想以上に落ち着いていることに驚いてもいた。
薫子から言われた『相手は自分が思っているよりも大した存在じゃない』という言葉を思い返し、実際にその通りだと理解した彼女は、騒動を終焉に向かわせるための最後のメッセージを相手へと送る。
【これが最後です。もうこれ以上、あなたが私に粘着したり、卑猥な文章や画像を送らないと約束してくださるのなら、この件に関しては水に流させていただきます。しかし、それでもまだ続けるというのならば、私も容赦はしません。事務所が警告した通り、相応の措置を取るつもりです】
相手が怯えているのなら、自身のやった行動に後ろめたさを感じているのなら、この警告は文字通りのトドメとなるはずだ。
今はまだ、退くことの出来るライン上にいる。これ以上進みさえしなければ、温情をかけてもらえるという確証も得た。
それを相手が自覚さえしてくれれば、もうこんな馬鹿な真似はしないという言質が得られるかもしれない。
有栖も相手と揉めたいわけではなく、出来る限り迅速かつ穏便な解決を望んでいるのだから、犯人が反省して二度とこんな真似はしないと約束してくれればそれで構わないのだ。
もうこれで、全てを終わりにしてくれという祈りを心の中で捧げる有栖の目に、先のメッセージを相手が読んだという証のマークが付く。
次いで、相手が文章を打ち込んでいることを意味する表示が出現し、固唾を飲んでそれを見守っていた彼女は、十数秒後に送られてきた相手からの答えを目にして……大きく、溜息を吐いた。
【ふざけるな。被害者面してんじゃねえぞ、ビッチ。本当は喜んでたくせに、今更拒否ってんじゃねえよ】
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