決戦、耐えて耐えて耐えて、そして――!

「……牧草農家のみんな、そしてVtuberファンのみんな、こんばんは。個人勢Vtuberのアルパ・マリです。そして――」


「Vtuber事務所【CRE8】所属タレント、2期生の蛇道枢です。まずは今回、このような場を用意してくだったアルパ・マリさんや、集まってくださった皆さんに感謝させてください」


 配信の始まりは不気味な程に静かで、落ち着いた立ち上がりだった。

 普段の陽気な雰囲気を封印し、真面目で真剣な配信の空気を作り出したマリは、アバターの表情からも読み取れる不機嫌さをぐっと堪えながらコメントの流れを見守る。

 そこに表示されるファンたちの声がおおよそ蛇道枢へのバッシングであることを見て取った彼女は、表情に変化が現れぬよう心の中でほくそ笑むと共に、早速この配信の本題へと話を進めていく。


「……この配信は、先日から続く【CRE8】や蛇道枢さん、そして羊坂芽衣さんの不審な行動についての説明を当事者であるあなたに行ってもらうための場です。彼女や事務所、そしてVtuber界隈に関わる全ての人たちのためにも、嘘偽りのない回答をお願いします」


「はい、そのつもりで来ました。ただ、私個人ではお答え出来ない質問もあるということを念頭に置いていただけると幸いです」


 蛇道枢も、アルパ・マリも、普段はこんな丁寧な口調で喋る人物ではない。

 同じ敬語を使って会話する両者ではあるが、淡々と話す枢に対して、マリの方からは怒りのあまり逆に丁寧な口調になっているという真逆の雰囲気が感じ取れるだろう。

 その空気と、高まる緊張感を感じ取った視聴者がコメント欄で騒ぐ中、マリが第一の質問を蛇道枢へと投げかけた。


「では、最初にリスナーたちが最も知りたいであろう部分について質問します。あなたと羊坂芽衣さんは恋人関係であり、同棲しているというのは本当ですか?」


「いいえ、違います。恋人であるという話も、同棲しているという情報も、全くのデマです。同僚として顔を合わせたことはありますが、それ以上のことはなにもありません」


「ならば何故、あなたは羊坂芽衣さんの部屋に入ることが出来たのですか? PCを操作していたことから考えても、あなたが彼女の部屋に入ったことは覆しようのない事実でしょう? その点について、納得のいく説明をお願いします」


「申し訳ありませんが、それは先に述べた私個人ではお答え出来ない質問になります。羊坂の個人情報に関わる部分になり、私が勝手に話すことは許可されていません」


「逃げるんですか? そうやって上手くはぐらかして、都合の悪い質問を答えることを避けるんですか!?」


「この場での回答は出来ないと申し上げているだけで、今後一切の説明をしないとは申しておりません。少し前にTwitterや公式サイトで事務所から告知があった通り、羊坂は今、体調不良で入院している状況です。そういった事情に関しては、復帰配信の際に彼女が自分の口から説明すべきことであり、彼女もそれを望んでいるでしょう。私個人が今、勝手な真似をして、その機会を奪ってしまうことは避けるべきだと、そういった部分を汲み取っていただけないでしょうか」


「彼女がそれを望んでいる、ねぇ……本当のところはどうだか……?」


 事実と常識を盾にしたとしか思えない零の回答に嫌悪感を剥き出しにした呟きを漏らすマリ。

 コメント欄も詳しい話をしない蛇道枢への罵倒で溢れ、彼を取り巻く環境はまたしても悪化していった。


「……では、質問を変えましょう。あなたと【CRE8】のスタッフが羊坂芽衣さんに圧力をかけ、彼女の活動を強制していたという疑惑が持ち上がっています。この件に関しては、当事者としてどのように答えますか?」


「そちらに関しても全くの誤情報だと返答させていただきます。私個人も、【CRE8】の社長、スタッフ全体も、羊坂に対して何らかの強制や圧力をかけたという事実はありません」


「羊坂さんに圧力をかけたことはなかった? ……ふざけるのも大概にしろ!! そんな見え見えの嘘を口にしたところで、もう全部バレてるんだよ!!」


 零の回答に激高したマリが、それまでの丁寧な口調をかなぐり捨てて大声で叫ぶ。

 堪えていた怒りを爆発させたように振る舞い、蛇道枢へと怒気を荒げた彼女は、自身の味方である牧草農家たちの声援を背に、彼を追い詰めていった。


「じゃあ聞かせてもらうけど、どうして芽衣ちゃんはあんたとコラボすることになったわけ? 弱気で臆病な芽衣ちゃんが、どうして男である上に炎上の真っただ中にいるあんたと一緒に配信をすることになったんだよ!? そんなことしてもあの子にメリットなんて何もない! どう考えても、事務所が命令したとしか思えないじゃん!!」


「……そういった事実はありません。中止されたコラボ配信は、羊坂本人が希望し、当事務所の代表である星野が仲介となって私に伝えてきた案になります」


「はぁ!? それってつまり、芽衣ちゃんの方があんたとコラボしたいって言ってきたってこと? ふざけんな! そんなわけないだろ!! 腐ってるよ、あんたも【CRE8】も! 全部の責任を芽衣ちゃんに押し付けて、知らんぷりするつもりなんでしょ!?」


 淡々と、激高するマリに対して真実だけを伝える零であったが、その態度が余計に彼女の顰蹙を買ったようだ。

 事務所からの圧力はあったということを大前提に話を進めているマリと、実際に存在しなかった圧力を抜きとして真実だけを伝えている零。


 両者の……というより、マリの見ている現実には大きな乖離が存在しており、その歪みに気が付かない彼女の言葉が、リスナーたちに更なる大きな誤解を生み出させている。


【マリちゃんの言う通り! ふざけんな、蛇道!!】

【マジで〇ね。クソパワハラ男】

【CRE8推してたけどもう止めるわ。芽衣たそも引退して、他の事務所か個人勢でもう一度デビューし直してほしい】

【どうせ弱気な芽衣ちゃんを脅して言うこと聞かせてたんだろ? 正直に言えよ、蛇道!】

【ここに来て嘘を吐くとかマジで終わってる。こんな奴が推しと同じ事務所にいるとか最悪としか言いようがない】


「……あんたにもコメント欄に寄せられてるみんなの声が見えているでしょう? ファンたちがそんな言葉で納得すると思ってんなら、大間違いだよ! いい加減事実を認めろ、蛇道枢っ!!」


「……詳しい事情を説明出来ないことは、本当に申し訳なく思っています。ですが、私が話していることは全て真実です。羊坂本人と事務所から話すことを許可されたのは、羊坂芽衣が私に対してコラボすることを要望したという部分のみ。それ以上は、彼女のデリケートな部分に踏み込むことになってしまう。どうか、そのことをご容赦いただきたく――」


「芽衣ちゃんを盾にして逃げるな! この卑怯者がっ!! こんな事態になったのは全部あんたたちのせいでしょ!? この事態についての責任も取らず、事実を認めもせずに逃げ回って、それで私たちが納得するとでも思ってんのか!? 何度だって言ってやるよ、この卑怯者っ! 男なら潔く、芽衣ちゃんを苦しませたことの責任を取れってんだよ!!」


【いいぞ! もっと言ってやれ!!】

【マリちゃんかっくいいーっ!!】

【CRE8聞いてるか~っ!? これがファンの総意だぞ~っ!! とっとと謝罪声明発表して、ガンにしかならないクソ蛇を追い出してくれよな~!!】


 もはや、事態は圧倒的にマリが優位な展開で進んでいた。

 空気を、リスナーたちを、状況全てを味方に付け、一方的に零を殴り続ける彼女の姿に、配信を観る大半の者たちが声援を浴びせている。


 逆に、苦し紛れの言い訳を口にしているようにしか見えない蛇道枢には罵詈雑言と引退を求めるコメントを繰り返して、芽衣や自分たちへの謝罪を行わせようとするリスナーたちは、この公開処刑を存分に楽しんでいたのだが――


「……1つ、今の発言についての確認をさせてください。あなた方は、今回の問題の責任は全て【CRE8】と蛇道枢にあり、その代償として私の引退と羊坂芽衣の解放を望んでいる……ということで、よろしいでしょうか?」


「……そこまでは言ってない。ただ、私たちはファンとして誠意を求めてるってだけ。この一件に対して【CRE8】が反省の気持ちを持っているというのなら、それを明確に示してくれって言ってんの」


 静かに、淡々と、これまで質問に答えるだけだった蛇道枢が逆に自分の発言に対して問いを投げかけてきたことに驚きつつも、ある程度の予測を立てていたマリはそれを冷静に躱す。


 この一件の解決を迎えるために、【CRE8】側に対して蛇道枢の引退を直接的に求める言質を取られることは非常にマズい。

 そういった行動を取ってしまえばマリも厄介ファンとして見られ、少なからず炎上の被害を受けることになってしまうだろう。


 零の、蛇道枢の目的はその発言を引き出すことにあるのだと、マリは確信を持っていた。

 彼の目的は自分との共倒れであり、自分やVtuber界隈のファンたちに引退に追い込まれる前に、一矢報いてやろうという腹持ちでこの場に姿を現したのだと、それを理解しているマリは絶対に枢にそういった言質は取らせまいと、念入りなシミュレートを重ねて配信に臨んでいる。


 だから、万に一つとして逆転はない。

 自分の手で【CRE8】の闇を暴き、蛇道枢を追い出し、羊坂芽衣を救い出すのだと意気込んでいるマリは、相手からの奸計紛いの質問を上手く躱したことに心の中で笑みを浮かべたのだが……?


「つまり、我々の対応に関して以外の部分の意見は概ね認めるということですね? なるほど、なるほど……」


「……なに? あんた、人を馬鹿にしてんの? 自分が今、どういう状況に置かれてるか本当に理解して――っ!?」


 ――ゆっくりと、場の流れが変わり始めた。

 どこか意味深な発言を口にした蛇道枢の声に、自分を小馬鹿にしたようなニュアンスを感じたマリがその態度を咎めようと口を開くも、途中で聞こえてきた不気味な笑い声によって、彼女の発言は途中で止まることとなる。


「く、くくっ。くくくくくっ……!!」


 喉を鳴らし、低く唸るようにして笑う蛇道枢の、零の声が、とても恐ろしいものとして頭の中で響く。

 急に態度を一変させ、明らかに異常な雰囲気を漂わせ始めた彼の様子にマリが言葉を失う中、大きな溜息を吐いてから口を開いた零は、心底呆れ果てた様子で彼女と、この配信を見守るリスナーたちへと吐き捨てた。


「面倒くせえんだよ、てめぇら」

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