行こう、成すべきことを成すために
同日、20時56分。
とある動画共有サイトのとある配信ページでは、数分後の配信開始を待つ視聴者たちが大いに盛り上がり、賑わいを見せている。
その配信チャンネルの名は『アルパ・マリのお日様農場』。
その名が示す通り、個人勢Vtuberアルパ・マリのチャンネルである。
彼女のチャンネル登録者10000名に対して、現在の視聴者数はなんと30000人。
まだ配信が開始していない時点でこれなのだから、これからどんどん増えていくことだろう。
登録者との比率にしても、他に配信を行うVtuberや実況者が多くいる時間帯にここまでの人を集められることから考えても、これは異様な盛り上がりといえるだろう。
どうして、ここまでこの配信が盛り上がっているかと聞かれれば、その答えはこの配信のタイトルと内容にあると言うほかない。
『緊急配信 今回の一件についてと、羊坂芽衣ちゃんとCRE8・蛇道枢との関係を本人に問い質す!!』……というのが、この配信のタイトルだ。
チャンネルの主であるマリがTwitterで大々的に告知を打ち、注目を集めた配信の出演者の中には、零の分身である蛇道枢の名前もあった。
そう、昨日の羊坂芽衣の配信で起きた放送事故と、そこから連なる炎上やその原因となった事件や諸々の疑惑について、アルパ・マリが蛇道枢へと直接インタビューを敢行するというのがこの配信の内容であり、リスナーたちはここで行われるマリと枢のやり取りに大いに注目しているのだ。
本当に蛇道枢は羊坂芽衣と同棲しているのか? あるいは、枢は【CRE8】のスタッフで、常に芽衣を監視しているのか?
事務所からの圧力はあったのか? 枢と芽衣のコラボは事務所からの指示の下で行われようとしていたのか? どうして昨晩、羊坂芽衣の配信を蛇道枢が終わらせたのか? etc.etc.
リスナーたちの疑問は山ほどあり、この配信の中でその答えを知ることが出来るかもしれないという期待を抱く者たちは、配信が始まるまでの1分1秒が途轍もなく長い時間に感じられるような苦しみと期待を入り混じらせた感情を抱きながら待機している。
しかし、この配信を訪れている視聴者の大半の目的は、疑惑に対する答えを知ることなどではなかった。
【ここが蛇道枢の処刑会場か~! テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるな~!!】
【公開処刑待機】
【マリちゃんガンバ! 蛇道枢をボコボコにしてくれることを期待してます!!】
待機中に寄せられているコメントの一部を抜粋してみても、こんな有様。
マリのファンである牧草農家たちが枢を下げ、糾弾するような発言を連発している様が目に映るだろう。
『牧草農家』のファンネームを付けていない者たちの中にも、今回の責任を取って蛇道枢の引退を求める発言を繰り返している者たちもいる。
彼らは羊坂芽衣や他の【CRE8】所属Vtuberのファンであり、自分たちが推す箱の異物を排除するための手掛かりを見つけにこの配信を視聴しに来ていることは明らかだ。
マリのチャンネルという、向こうに有利な会場。
そこに集った者たちも枢のことを責めるつもり満々であり、彼の味方をするつもりなどさらさらない。
絶対的アウェーの、一方的な糾弾を受け続けることになるであろう配信。
端的に言ってしまえば、この配信は『今回の一件を盾に蛇道枢を公開処刑するために用意された』場だ。
もはや炎上や言葉での謝罪程度では自分たちの気が済まない。
【CRE8】の忌み子、蛇道枢には、そろそろ自分たちが推す箱から出ていってもらおう。
それが、この配信に集ったリスナーたち大半の総意であり、彼らは枢がマリに徹底的に嬲られる様を見に来たというわけだ。
【蛇道枢が芽衣ちゃんの彼氏だったら絶望して死にます……もう僕は何も信じられない……】
【俺は芽衣ちゃんを信じる。蛇の野郎がただのストーカーか事務所の犬であるって可能性を捨ててない】
【マリちゃんも言ってたけど、蛇道はCRE8側のスタッフなんでしょ? だから、住所の情報と合鍵を持ってるって噂だし】
【うわっ!? ってことはあいつ、他のVtuberたちの家の住所も知ってて、鍵も持ってるってこと!? あんな奴が俺の推しの家にいつでも侵入出来るって思ったら、マジで発狂しそうになるわ……!】
【やっぱ引退させて、事務所からも追い出すべきだろ。あいつが居てもいいことなにもないよ】
リスナーたちの意思は蛇道枢排除という1つの目標の下で一致し、彼が公開処刑される瞬間を今か今かと待ち侘びている。
味方なんて誰一人として存在していないこの圧倒的アウェーの空間の中で、自分に対する罵詈雑言が寄せられるコメントを見ながら、零は深く息を吸い、吐いた。
「………」
無言のまま、瞳を閉じる。
ここから先、この配信に登場した自分目掛けて、リスナーたちは思う存分恨み言や憎しみの言葉を吐き掛けるのだろう。
だが……そんなものが今更なんだというのだ?
残念ながら、毎日のように起きる炎上のお陰で誹謗中傷にも慣れた。そもそも、本日に至るまで毒家族とのやり取りの中でスルースキルを磨き続けた自分にとって、画面の向こう側から寄せられるアンチコメントなど、痛くもかゆくもない。
散々な目に遭うことも、好き勝手に罵詈雑言を吐き掛けられることも、既に慣れ切った。
炎上なんて日常茶飯事、焼かれ燃やされ危険人物というレッテルを張られ、そうやって今日まで自分は蛇道枢として活動してきた。
……いや、違うか。これまで自分は、活動らしい活動なんてしていない。
今だってVtuberとしての活動というよりかは、今回の炎上に関しての釈明をしに来ているのだから、まだ自分はVtuberらしいことなど何もしていないのだ。
軽く、マウスをクリックして画面を操作。
黒い短髪に赤メッシュ、暗色を基調に纏めたコーディネートをしたシンプルな男性といった雰囲気の蛇道枢のアバターを表示した彼は、再び呼吸を行うともう1人の自分へと静かに語り掛ける。
「面倒だよな、この世界。お前も俺も、結構苦労しいだよなぁ……」
現実世界も、バーチャルの世界も、何ら変わることはない。
生きることは面倒で、厄介な出来事の連続で、時にこうして何の罪もない人間に多くの人や世間が牙を剥くことだってある。
だが、それでも……自分たちはこの面倒極まりない世界の中で生きているのだ。
「……始めるか、相棒。俺たちのやるべきことをやりに行こう」
配信ソフトを起動、同時に通話アプリに指定されたURLを張り、マリが待つ通話チャンネルへと飛ぶ。
恐れはない。後悔だってしていない。ただ、自分は自分がやりたいと思ったことをするだけだ。
強い自分になりたいと、己の願望を叶えたいと、そう涙ながらに語った有栖の夢を守る。
そのために、彼女を涙させる者たちを止めるために、自分は今、ここにいる。
燃えるのなら、いっそ灰になるまでもえつきてやろう。
だが、その火は誰かに投げ入れられて広がったものではない。零が、己の内側で燃え盛る熱を表に出したことで燃え上がった炎だ。
今、自分はここにいる。
自分のやりたいことをやるために、阿久津零は蛇道枢としてこの場に立っている。
「かかって来いよ、クソッタレ牧草農家。てめえらが生やした草全部、燃やし尽くしてやるからよ」
マイクをONにする前にそう呟き、不敵に笑った零の視線の先で、配信画面が切り替わる。
自分の分身、蛇道枢とアルパ・マリの姿を映し出された瞬間、コメントの勢いが一気に加速した。
時刻は21時ちょうど。きっかり寸分の狂いもなく、予定通りに始まった配信。
零と枢が臨む大勝負のゴングが、今、鳴らされた。
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