有栖、その過去
唐突なその告白に、零の思考が置いてきぼりを食らってしまった。
炎上中の蛇道枢と羊坂芽衣のコラボは、所属事務所【CRE8】の発案ではなく、有栖が自ら計画し、薫子に実現してもらえるように働きかけたという有栖の言葉に、流石の零もぽかんとした表情を浮かべている。
何故? どうして? という言葉が頭の中を駆け巡る中、彼のその疑問を察した有栖は、大きく息を吸うと自分自身の全てについてを語り始めた。
「私、実は……女性恐怖症、なんです。一部の例外を除いて、同性の方と顔を合わせると頭の中が真っ白になって、パニックになっちゃって……何も考えられない、言えない、そんな風になっちゃうんです」
「えっ……!?」
「……少し、つまらない話をさせてください。聞いてて気分のいい話じゃないと思うんですけど、阿久津さんに聞いてほしいんです」
再び、俯いたままそう自分に告げる有栖の横顔を呆然としたまま見つめていた零は、その表情から彼女の覚悟を感じ取ると、大きく頷いてみせた。
零の対応に感謝するように、僅かに視線を彼へと向けた後で、有栖は己の抱えている痛みとその原因について話し始める。
「私は幼稚園の頃から、私立のお嬢様学園に通っていました。エスカレーター式の学校で、幼稚園、小学生、中学校、高校……と、ほぼ同じ顔ぶれが揃う学園で、結構偏差値も高い学校だったんです。でも、私は……中学校に上がった頃から、殆ど学校に行かずに引き籠るようになりました。行ったとしても保健室に入り浸って、授業もまともに受けない日々が続いたんです」
「それは、どうして……?」
「……もう、おおよその予想はついていると思いますが……いじめです。小学4年生の頃から、私は同級生たちから執拗ないじめを受けるようになったんです」
おぞましい過去を思い返した有栖の体が、恐怖によって大きく震える。
先程よりも強くシーツを握り締め、声を震わせる彼女は、それでも自身の心の根元にある出来事を零へと語り聞かせていった。
「最初は小さな悪口から始まって、どんどんそれがエスカレートしていきました。無視されて、私物を隠されて、トイレに入っているところに水をかけられて……そうやって、何が原因であるかもわからないままに幼稚園の頃からの同級生たちからいじめを受けるようになった私は、いつしか学校に行くことが怖くなっていったんです。それで、中学に昇級したのをきっかけに、引き籠りになって……」
「教師は? そんだけいいところの学校だったんなら、動いてくれるんじゃ……?」
「……いいところの学校だからこそ、ですよ。立派な名門私立校としてのブランドを守りたい学校は、いじめの事実を黙殺しました。誰も、何も動いてくれなかった。私が助けを求めてるのに、先生たちは見て見ぬふりをして……唯一力になってくれた保健医の先生がいなかったら、私は全てに絶望していたでしょう」
少しずつ、零は有栖が抱えているものを理解していくと共に、彼女の苦しみの根幹にあるものを感じ取っていた。
女性に囲まれた環境の中で、自分を苦しめ続ける同級生や教師たちの姿を見たことが彼女の心にトラウマを植え付けたのだろうと……そう、思い始めた零であったが、事態は彼の想像を超える深刻さを見せていく。
「……でも、私を一番追い詰めたのは、同級生たちでも先生でもないんです。私が一番いやだったのは……母親からの、罵詈雑言でした」
「えっ……!?」
寂しそうに……いや、それすらも通り越した空虚な呟きを口にした有栖の声には、感情というものが乗っていなかった。
何もかもを諦めたような、それでいてその痛みが一生残り続けることに苦しんでいるような、そんな呟きを漏らした彼女は、遠くを見ながら零へと自身の母について語る。
「同級生たちからのいじめを受けた時、私が真っ先に相談したのは母でした。苦しくて、辛くて、もう耐え切れないって必死に助けを求める私の叫びに対して、母は……お前が悪いんだって、吐き捨ててきたんです」
心の中に落ちる、冷たくてどす黒い塊のような想い。
その感情の名前が絶望であることを知っている有栖が、乾いた笑みを浮かべながら語り続ける。
「いじめられるのは、周りの人間に気に入られないのは、お前に問題があるんだ……その問題点を見つけて、自分で解決しなくちゃ駄目なんだって、母は言ってました。でも、具体的にどこが悪いのかは教えてくれないんです。ここをこうしろとか、どんな風に他人と接しろとか、そういうことは何も教えてくれない、言ってくれない。ただ自分の理想の娘の姿を押し付けて、そうなれない私を罵倒して……全部全部、あなたのために言ってるのって、そう、私に言うんです」
「っ……!!」
「昔っから、母はそういう人でした。自分の願望を叶えるためなら、私がどんな辛い目に遭っても構わない人だった。あの人は、お嬢様学校に通う娘を1人で育てあげたっていう周囲からの尊敬の眼差しが欲しかったんです。そのために、私を無理にあの学校に通わせ続けた。いじめを受けるのはお前が悪いんだ。お前が完璧な娘じゃないからだ。そう、言い続けて……それで、あの人は……っ!!」
「もう、いい。もういいですよ! もう十分、わかりましたから……!!」
あまりにも苦しそうな有栖の様子を見ていられなくなった零が、彼女の言葉を遮るようにして叫び声を上げた。
その過去を、女性を恐れるようになった原因を、自身の口から語って聞かせた有栖は、両手で顔を覆いながら呻くようにして声を漏らす。
「私の頭の中ではずっと、母の声が響き続けてるんです。お前は駄目な娘だ、完璧じゃない、失敗作だ……って、そんな母の声が鳴り止まない。私は、私はただ、一言だけ言ってほしかった。あなたは悪くないって……! 辛かったね、苦しかったねって、そう言ってもらって、私の中の痛みに寄り添ってほしかった!! ただ、それだけだった、のに……」
「入江さん……」
何処にも行き場をなくした痛みが、その小さな体で、たった1人で抱え込むしかなくなった苦しみが、今も有栖を縛り続けている。
もしも彼女の母親が、いじめを受ける娘を抱き締め、励まし、彼女の痛みと苦しみを分かち合ってくれたなら、有栖は引き籠りにはならなかったかもしれない。
自分は駄目な人間で、弱く、臆病で、何の取柄もない女だという思いが、長年のいじめと母からの言葉によって有栖の心に刷り込まれてしまった。
しかし、今の彼女はその呪縛を自らの力で打ち壊そうと努力している。
【CRE8】に所属し、Vtuber『羊坂芽衣』となり、多くの人たちの前に立って、自分自身の弱さを克服しようと足掻き続ける有栖の中には、確かな熱となりたい自分自身のビジョンが存在していた。
「……そんな時でした、【CRE8】の新人Vtuber募集記事を目にしたのは。叶えたい夢を、なりたい自分のビジョンを持つ人を応援する……スタッフと、ファンと、タレントが一体となって一緒に明日を創っていくっていう記事を読んだ時、これだって思えたんです。弱い私が、新しい自分として生まれ変わって、少しずつでも前に、明日に進んで行けるようになる最後のチャンスかもしれない。そのために今、勇気を振り絞って一歩踏み出す時が来たんじゃないかって考えて、オーディションを受けて、それで――」
「……あなたは受かった。羊坂芽衣として、【CRE8】からデビューすることが決まった」
「……合格の通知が来た時は、本当に嬉しかった……! こんなに情けなくてちっぽけな私の夢を、薫子さんは応援してくれるって言ってくれました。今までずっと、誰にも寄り添ってもらえなかった私の脆い部分が受け入れられたみたいで……上手く言葉に出来ないけど、救われた気分になったんです。だから、薫子さんから受けた恩に報いるためにも、自分の夢を叶えるためにも、頑張ろうって決めました。女性恐怖症なんかに負けてなんかいられない。私はここで変わるんだって……そのために、まずは男性の阿久津さんとお話して、誰かとお喋りする練習をしようって考えて……コラボのために働きかけてくれるよう、薫子さんにお願いしたんです」
「そういうことだったんですね……」
それが、薫子の言う熱かと、零が理解する。
母親の言葉に負けない強い自分。完璧じゃなくとも、自分自身に胸を張れる強い自分。
羊坂芽衣という分身と共に、自らが思い描く強さを得るために、有栖は今日まで戦い続けてきた。
蛇道枢とのコラボ配信も、そのために必要なプロセスだったのだろう。
コラボ配信に限らず、誰かと協力して共に何かを成し遂げるというのは、人間社会において当たり前に行われること。
まずはそれを当然にように出来るようにするために、マイナスをゼロに戻すために、有栖は一生懸命努力しようとした。
女性恐怖症である彼女は、男性である零が炎上中であることを承知で、コラボを持ち掛けた。
自分自身の目的のため、彼女自身が強くなるために、零を利用しようとしたのだ。
「改めて考えてみると、私って酷いですね。自分の目的のために薫子さんを頼って、阿久津さんを利用しようとして……だからきっと、バチが当たったんだと思います。そんな打算を抱えたまま、自分の口から阿久津さんを誘うことも出来ずに、誰かに頼りっぱなしになってた私に、神様が罰を与えたんです。でも、そのせいで阿久津さんや薫子さんにまで迷惑をかけてしまったことが、本当に申し訳なくって……」
事の発端は、自分が無理を言って蛇道枢とのコラボを提案してもらえるよう、薫子に働きかけたことだった。
2期生コラボまでの間になんとか人との会話に慣れたかった自分が炎上の勢いを舐めたせいで余計なトラブルを招き、協力してくれた薫子や零にまで迷惑をかけている。
その勢いは止まるところを知らず、今や【CRE8】は所属タレントに圧力をかける悪徳事務所として、そして蛇道枢は前々から抱かれていた嫌悪感を爆発させられて大炎上の真っただ中だ。
「全部、私のせいなんです。私がわがままを言わなければ、こんなことにはならなかった……事務所が悪く言われてるのも、阿久津さんの炎上が収まらないのも、全部私が悪いんです……やっぱり、無理だったんですよ。こんな私が、人前に出るような仕事をすること自体が。こんなに駄目で弱い私が、強くなんてなれるはずがなかったんです……」
悔恨と、諦め。
その感情を滲ませた涙が、呟きと共に有栖から溢れる。
もう、終わりだと。何もかもが終わってしまったのだと、そう諦める彼女が空虚な響きを持つ言葉を発した瞬間、零は自分でも気が付かない内に口を開いていた。
「そんなこと、ないと思いますよ」
――――――――――
昨日、ちらっと感想欄を見た時に「なんでCRE8側は男性Vのデビュー時に事務所の方向性を説明しなかったんですか?」という感じの質問が届いていたのを見たのですが、暫くしたら削除されていたことに気が付きました。
返信が出来ずに申し訳ありません。その答えめいたものがこのお話の中にあるので、軽くですがその質問に回答させていただきます。
簡単に言ってしまえば、【自分が書いてないだけで薫子は別に女性オンリーのVtuber事務所を作るとは明言しておらず、何だったら男性も受け入れるよという意思表示をしている】ということになると思います。
このお話で有栖が軽く触れていたと思うのですが、【CRE8】所属のタレントは基本的に蛇道枢=零を除いてオーディションを受けた上でその熱意を認められて入所しています。
そのオーディションの募集要項には女性限定の文字はなく、有栖が述べた通り、叶えたい夢を持つ人間を応援するという事務所の方向性もまた公式サイトに明記されているんです。
偶々、1期生のメンバーが全員女性であったことでV界隈に詳しくない零を含めた周囲が勘違いしただけであって、【CRE8】は初期からその方針を明確に示してきました。
蛇道枢の炎上はそういった部分を理解していないor理解していても嫉妬の感情が前に出てしまう人間が起こしているものであって、事務所の説明不足とはまた少し違う、人災とでも呼ぶべきものなんです。
(この辺はエピソード0的な感じで描くかもしれませんが)
薫子としても、蛇道枢の炎上を見て事務所の方針を改めて強調すべきか悩みはしました。
しかし、このタイミングで事務所側が動くことで逆にアンチの活動を活発化させてしまうかもしれない。
加えて、零が自分の甥であることが万が一にも露見した場合、ここで彼を庇うような動きを見せたことが後になって彼自身の首を絞めることになるかもしれないとも考えたのです。
故に、彼女は内側のケアに努め、この事態を静観した。
零ならばこの苦境を乗り越えられると信じ、敢えて動かない決断を下した。
そしてもう1つ、この炎上が彼の中にある燻った熱を燃え上がらせてくれるのではないかという打算的な面もあったと付け加えておきましょう。
……というのが、自分なりの答えとなっています。
納得出来ない部分があるやもしれませんが、そこは素人の小説として大目に見て頂けると幸いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます