疾走、誰が為に


【CRE8から何か言われてるんでしょ? 思い切ってゲロっちゃいなよ!】

【俺たちみんな、芽衣ちゃんの味方だよ!! なにがあってもついて行くから!!】

【1人じゃ怖いならマリちゃんを頼れば大丈夫さ! 必要があるなら、暴露系のVtuberに情報を流してみる?】

【待てよ。この配信も見張られてる可能性があるから、ここで何もかもを話すわけにはいかないだろ】

【芽衣たそが安心して全部を話せる方法をみんなで考えようぜ!!】

【CRE8潰す。蛇道枢もぶち〇す。それで全部解決じゃね?】

【俺の人生1つで芽衣ちゃんや他の被害にあってるVtuberが救えるなら、安いもんだぜ……!!】


『あ、あああ……わ、わた、わたし、わたし……っ』


 コメント欄には、【CRE8】や蛇道枢に対する罵詈雑言や危害を加えることを示唆するような発言が山のように寄せられている。

 一瞬で流れ、消えていくコメントの主たちは、名前に【牧草農家】のファンネームが記されているものが大半を占めていた。


 【CRE8】と蛇道枢への嫌悪感や不信感を種火に、アルパ・マリの告発動画を燃料として、羊坂芽衣の配信で起こった大炎上。

 自分のデビュー時や、コラボ配信の発表の際とは比べ物にならないそれが、徐々に力を増した大炎と育っていく様子を目の当たりにする有栖のか細い狼狽の声が、いやに大きく聞こえる。


 コメントの中には、そんな彼女の雰囲気を察知して落ち着けとリスナーたちに注意喚起を行う者もいるが、それもまた熱狂の渦に掻き消されて一瞬で流れ去ってしまう。

 モデレーター権限を持つ者も、3000のリスナーの大半を占める炎上コメントを打つ者たちの勢いに負け、統制が間に合っていない状況のようだ。


【蛇道、お前見てるんだろ!? なんとか言ってみろよ!! 事務所の犬!!】

【芽衣ちゃんは俺たちが守るぞ! お前やCRE8の好きにさせないからな!】

【引退! 引退! とっとと引退! 蛇道!!】


「くそ、くそっ! 頼む、誰か出てくれ……っ!!」


 これはもう、自分がどうこう出来る問題ではない。

 怒り狂ったファンと、それに便乗しているであろうアンチが放つ炎を、零が単独で鎮火出来るはずがない。


 先日のように、炎上の矛先を自分に向けさせて解決するような状況どころか、むしろここでのこのこと姿を現したら一瞬にして灰にされかねない勢いの炎上を目の当たりにした零は、【CRE8】事務所に急ぎ電話をかけ、事態の収拾を委ねようとする。


 だが、しかし……現在時刻は、およそ22時。既に通常の会社は業務を終了し、社員は帰宅している時間帯だ。

 もしかしたら誰かが残ってくれているかもしれないという淡い希望を胸に連絡を取ろうとした零であったが、やはりその電話を取る者はおらず、段々と酷さを増していくコメントの様子に焦燥感だけが募っていく。


「マズい……! 薫子さんに直接連絡を取るか? いや、あの人のことだからもう既に状況を把握してる可能性もある。だったら、俺が連絡することで逆に向こうの邪魔になるってことも――っっ!?」


 ここから、どう動くべきか?

 今すぐの事務所との連絡を諦め、一度電話を止めた零は独り言を呟きながら再び芽衣の配信画面へと視線を向け……あることに気が付き、愕然とした。


 画面に映る羊坂芽衣のアバターが、先程からぴくりとも動いていない。

 やや俯いた、苦し気な表情を浮かべたまま一切の挙動を停止した彼女は何の声も発しておらず、その光景に気が付いた零の顔から血の気が引いていった。


(アバターが動いてないってことは、入江さんは今、PCの前にはいないってことだ。逃げた? この状況に耐え切れずに逃亡したのか? でも、それでどうなる? まさか入江さん、パニック状態になってるのか!?)


 配信をそのままに、PCの前から消えた有栖の状況から、様々な推理を巡らせた零が辿り着いた結論に息を飲む。

 リスナーたちの中にも数分もの間、ぴくりとも動かず、言葉も発しない羊坂芽衣の様子に気が付いた者がいるようだが、その人物たちの声は熱狂する牧草農家たちの声に飲み込まれ、掻き消されていた。


「どう、する……? どうするべきだ……!?」


 ひしひしと感じる嫌な予感に心臓を鷲掴みにされたような不安を覚えながら、PCを置いているデスクに両手をついた零が焦る心を落ち着かせるようにして自分に問いかける。

 有栖の住処はこの社員寮。部屋の番号も、彼女の口から教えてもらっている。

 行こうと思えば数分も経たずして行ける位置であり、自分が声をかけることで有栖が我に返る可能性があるのなら、そうすべきではないかという思いが零の中にはあった。


 しかし、それがまた新たな炎上を引き起こす可能性だって十分にある。

 もしかしたら既にこの異変を察知した薫子が女性スタッフを有栖の部屋に派遣しているかもしれないし、自分が行っても何の役にも立たないどころか状況を悪化させるだけかもしれない。


(何が正しい? どうすればいい? 俺が今、出来ることってなんだ……!?)


 自問自答を繰り返しても、その答えが出ることはない。

 時間にしてほんの数十秒。しかし、零にとっては数時間にも、数日にも思えるような苦難の時間が続く中……彼の心に過ぎったのは、昨日にとあるリスナーから寄せられたあの言葉だった。


「あのフォローが出来たのは蛇道枢だけだった。炎上してるあなただからこその行動に、僕は敬意を表します……」


 自然と頭に、心の中に浮かび上がってきたその言葉を口にした零は、開いていた手をゆっくりと握り締めていく。

 あの日、あの時、あの瞬間、困っていた有栖の姿を想像した自分は、自らを犠牲にすることで事態を終息させようとした。

 その行動を取る時、迷いはなかったはずだ。これで良いのだと、そんな思いが心の何処かにあったはずだ。


 今更、新たに得た好感度を失うのが惜しいか? またバッシングに晒され、心無い言葉を投げかけられることが恐ろしいか?

 そんなことよりも今、目の前で苦しんでいるかもしれない同僚を見捨てることの方が、何千倍も恐ろしく、苦しいことだとは思わないのか?


 そんな思いを胸に顔を上げた零は、次の瞬間には自分の部屋を飛び出し、有栖の部屋に向かって駆け出していた。


 これが自分の杞憂で済めばいい、もう誰かが駆けつけていて、ただのお節介で終わるならそれで構わない。

 だが、そうでなかった時、自分は絶対に後悔するだろうから……そう、浮かび上がった思いのままに駆け出した零は、苦し気な息と共に有栖への言葉を吐き出す。


「頼む、入江さん……俺が考えてるような馬鹿な事態にだけは、ならないでくれ……っ!!」

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