暗雲、扇動の序章

「おっ、始まったな。今回はうっかりコメント誤爆しないように注意して、っと……」


 切り替わった画面に映し出されたやや緊張した面持ちの羊坂芽衣の姿を目にした零が一人呟く。

 ぎこちなさを残しながらもオープニングトークを始める芽衣こと有栖の声を聞きながら、それをラジオ代わりにして、零はサムネイル作りの作業を始めた。


 1人で黙々と作業する時に感じる寂しさを紛らわせるために、何かしらの音楽やラジオを聞くというのは結構定番の手法だ。

 様々な動画、配信サイトが普及した今、インターネットに接続出来る機器さえ持っていれば、誰でも好きな時に好きな曲や番組を聞きながら仕事や勉強を行うことが出来るとは、いい時代になったものではないか。

 とまあ、そう長く生きているわけでもない零は、その利便性に感謝しながら画像加工のアプリを使い、配信で使うサムネイルを作っていった。


「あんまりうるさくない配信ってのはこういう時いいよな。意識を持ってかれる心配もないし、落ち着いて作業が出来る」


 賑やかな歌声やゲームの音声が聞こえてくる配信というのも明るくていいが、何か作業をしている際にはちょっと遠慮したい。

 そちらから聞こえる物音が気になって、仕事に集中出来なくなってしまうからだ。


 昔から零は勉強の際にはゆったりとしたBGMをかけ、意識を集中させる癖のようなものがあったが、Vtuberとしてデビューしたここ最近は、同業者の配信を漁ってはいい感じに仕事に集中出来そうなラジオ代わりになるようなものを探していた。


 そんな中で出会った有栖こと羊坂芽衣の配信は、非常に穏やかで落ち着きのある零の趣向にぴったりとマッチしたものだ。

 大きな声で騒がず、聞いていると落ち着く有栖の声と語り口を耳にしながらならば作業も捗るだろうと、同期の同僚の配信をチェックしながらの作業効率の上昇という一挙両得なこの考えを思い浮かべた自分自身へと賛辞を送りつつ、零がキーボードを叩く。


『あー、うん、ゲームのことね。まだ何やるかは決めてないけど、取り合えず2期生コラボでやるワレワレクラフトについてちょっと勉強しておこうかなって思ってます。みんなの足を引っ張ることになったら嫌ですしね』


 昨日の配信で出した話題を引き継ぎ、今後プレイするゲームについて語る芽衣。

 その際に巻き起こった騒動にはリスナーたちも触れず、芽衣自身もそれについて触れないようにしているお陰か、非常に緩やかな雰囲気で配信は進んでいる。


 もしかしたら、そういった火種になりそうなコメントはモデレーター権限を持つリスナーが排除しているのかもしれないなと思いながら、零は昨日の炎上の影響を全く感じさせないその配信の内容にほっと胸を撫で下ろしていた。


(よかった、大丈夫そうだな。入江さんの雰囲気も昼間に会った時より明るくなってるし、問題は片付いたんだろう)


 Vtuberとしてのモデル越しの感想であり、声の陽気さから感じ取っただけの零の個人的な勘ではあるが、どことなく今の羊坂芽衣の雰囲気は抱えている悩みが一応の解決を迎えたような感じがある。

 そのことについても安堵すると共に、有栖が自分同様の炎上被害に遭わずに済んで本当に良かったと、数日前のコラボ騒動から連なる一連の事件についての終息が見え始めたことに、零は安心していたのだが……。


『あ、あれ……? なに? どういう意味、ですか……?』


「うん……?」


 視聴者たちとの雑談を楽しんでいたはずの芽衣の声が、困惑の感情を見せると共に沈み始めたことを感じ取った瞬間、零は自身の覚えていた安心感に揺らぎを感じ始めた。

 明らかに異変を感じさせる芽衣の雰囲気に異常事態を察知した彼は、一度作業の手を止めると配信画面を呼び出し、彼女を困惑させたであろうコメント欄の反応を見る。


【マリちゃんの動画から来ました! 事務所に圧力かけられてるって本当ですか!?】

【CRE8は所属Vtuberに個人勢とコラボさせるつもりはないって噂の真偽は?】

【どうしてマリちゃんとのコラボを断ったの? いい話だと思うんだけど……】


「なんだ、これ……? いったい何がどうなってやがる……?」


 そこに流れるリスナーたちからの声に、眉と表情を顰めることしか出来ない零が呻くような声を漏らす。

 コメントとして寄せられるリスナーたちの声は、事務所と芽衣との間で行われた、アルパ・マリとのコラボに関する協議について詳しく聞かせてほしいというものが大半であり、その大半が根も葉もない噂を元にした、CRE8上層部への非難が大半だ。


 アルパ・マリと羊坂芽衣のコラボを潰したのは、個人勢と所属タレントが関わることを避けたい【CRE8】側の考えを芽衣に押し付けた形の判断である。

 彼らは事務所のブランドを守るため、チャンネル登録者やファンを稼げる可能性があるコラボを禁止するよう、芽衣へと圧力をかけた。

 その結果、自分にラブコールを送ってくれたマリとのコラボを、芽衣は断らざるを得なくなった……という、妙な噂を本気にするリスナーたちの様子は、明らかに普段とは違うものだ。


 事務所の内情を知る零や有栖からしてみれば、そんな噂は根も葉もないデタラメだということが断言出来てしまう。

 しかして、有栖の感情や配信の裏側で何が起きているかを知る由もないリスナーたちからしてみれば、その噂が真実のように思えてしまうのだろう。


 改めてそういったコメントを投稿する者の名前を確認してみた零は、そのほとんどに【牧草農家】というファンネームが付いていることに気が付く。

 そして、同時に先のコメントにあった【マリちゃんの動画から来た】という一文を思い出した彼は、即座に新たな画面を開くと、アルパ・マリのチャンネルのURLを打ち込み、そのページへと飛んだ。


 予想通りというべきか、何というべきかはわからないが、そこにはつい数十分前に投稿された動画が上がっており、そのタイトルを声に出して読み上げた零の表情が、みるみるうちに蒼白へと染まっていった。


「『Vtuber事務所【CRE8】の闇 所属タレントの活動を縛るあくどいやり口』……だって?」


 なにがなんだかわからない、といった表情を浮かべながらも、詳しく情報を収集するためにその動画を再生し、視聴を開始する零。

 まだ動画投稿から1時間も経っていないのにも関わらず、再生回数が彼女のチャンネル登録者数を遥かに超える3万回を記録していることに焦りと動揺を覚える彼は、動画の読み込み時間にも苛立ちを覚えてしまった。


「くそっ、早くしろよ……!!」


 なにがどうなっているのか、一刻も早く状況を把握しなければならない。

 なにか……自分たちの想像も及ばないとんでもない事態が起きていることを悟った彼が感じている苛立ちを声にして、何度もキーボードを乗せている机に指を叩き付ける中、ロードを終了させたPCが、件の動画を再生し始めた。


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