一方、会議室では

 同時刻、【CRE8】の会議室。

 零が帰った後で薫子との話し合いを行っていた有栖は、それがひと段落するとすぐさま仕事用のスマートフォンを手に取った。


 Vtuberというタレント活動を行っている彼女にとっては、主戦場であるインターネット界隈のニュースや自分についての話題をリサーチするのも大事な仕事だ。

 しかし、半分は趣味として楽しみながら行うはずのその行動を取る有栖の表情が浮かないことに気付いた薫子は、その疑問を直接彼女へとぶつけてみた。


「どうかしたのかい、有栖? 何か、心配事でもあるのか?」


「い、いえ、えっと、その……」


 不意に声をかけられ、遠慮がちに薫子の気遣いを断ろうとした有栖であったが、そこで先程、零から何かあったら自分や薫子を頼るように言われていたことを思い出し、口を閉ざす。

 幾ばくかの逡巡の後、意を決したように口を開いた彼女は、自分が抱えている問題について正直に所属事務所の社長に相談をすることにした。


「……実は、あるVtuberさんから何度もコラボの誘いを受け続けてるんです。一度はっきりと断ってはいるんですけど、それでも食い下がられちゃってて……」


「……もしかして、その相手ってのはアルパ・マリかい?」


「は、はい……」


「連絡を取るとなると、Twitterのダイレクトメッセージか。ちょっと見せてもらえるかな?」


 しっかりと所属タレントの状況を把握すべく、有栖の許可を得てからスマートフォンの画面を見せてもらった薫子は、先々日から続くアルパ・マリからのお誘いメールに目を通すと、その執拗さに顔を顰めた。


「う~ん、面倒だねえ……きっちり断ってるみたいだけど、向こうも諦めるつもりがないみたいだ」


「はい……さっき阿久津さんにも相談して、2期生コラボが終わるまでは他の誰ともコラボするつもりはないって意思表示をさせてもらったんですけど、今確認したら、それでも食い下がられちゃってて……」


「ここまで好意を寄せてもらえてるのは嬉しいけど、これがストレスになって活動に支障が出たらマズいもんね。だけど、強い言葉を使って、この熱意がそのまま悪意に反転したらって考えるのも怖い、か……」


 こくりと、自分が最も恐れていることを言い当てた薫子の言葉に有栖が頷く。

 マリの活力が、自分への好意が、コラボを拒絶したことを切っ掛けにマイナスの感情へと反転した場合、彼女だけでなく1万人もの彼女のファンが押し寄せてくる可能性がある。


 配信中のリスナーの暴走を止めることが出来ない有栖にとって、自分目掛けて無数の人間が石を放り投げてくるだなんて状況は絶望以外のなにものでもない。

 そういった事態を避けたいという気持ちと、元来の気の弱さが相まって、執拗に自分に声をかけてくるマリを拒絶し切ることが出来ない有栖は、先日の放送の件も相まって、軽く憔悴した状態になってしまっていた。


「……いちおう、確認するよ。あんたにアルパ・マリとコラボをするつもりはない。少なくとも今は、彼女と関わりを持とうとは思えない……それで合ってるかい?」


「はい……」


 薫子の確認に対して、力なく頷きながら肯定の意を示す有栖。

 正直、マリ1人だけの相手ならばここまで憔悴することはなかったかもしれない。

 問題は、先日の放送を視聴していたリスナーたちが、自分とマリとのコラボを楽しみにしているという言葉を投げかけてくることだった。


 ぐいぐい引っ張るアクティブな性格をしているアルパ・マリと、気弱で誰かに主導権を握ってもらった方が活躍出来そうな羊坂芽衣。

 この2人の組み合わせは一見すると相性が良さそうではあるが、実際のところ、芽衣こと有栖の方はマリのような我が強い人間が大の苦手である。


 こちらが断っているというのにも関わらず、何度もコラボの打診をしてくることも相まって、有栖のマリへの苦手意識は更に強まっていた。

 しかして、強気な姉と弱気な妹という女の子Vtuber同士の絡みを観たいという願望を抱いてしまった羊坂リスナーと牧草農家たちは、こぞって有栖へとマリとのコラボすることを懇願してくるのだ。


【マリめいのもこもこコラボ、期待してます! 蛇道枢に邪魔されちゃったけど、いつかは実現させてほしいです!!】

【マリお姉ちゃんに引っ張ってもらう妹芽衣たその姿が見える見える……てぇてぇしたいんで、コラボお願いします!】

【2人のコラボが観れるなら何でもします! スパチャもいっぱい投げます! だから実現させてください!!】


 必死になって懇願する者もいれば、ネットスラングや流行りの言葉を多用しておどけたメッセージを送ってくる者もいる。

 そういったファンたちの声に応えてあげたいという気持ちもなくはないが、有栖の本心としてはマリとは絡みたくないというのが正直なところだった。


 ……それに、本当にやりたかった蛇道枢こと零とのコラボがおじゃんになったというのに、その代役として名乗りを上げた彼女と絡めというファンの言うことに従いたくないという気持ちも少なからず心の中に存在している。


 自分たちが観たくないものはやるな。観たいものは無理してでもやれ。

 誰も口に出してはいないし、これが被害妄想である可能性も十分に高いのだが、有栖の耳には、目には、ファンやアルパ・マリからの言葉やメッセージがそんな風に聞こえ、見えてしまっていた。


「……わかった。それじゃあ、あたしが事務所を通して先方に忠告しておくよ。あまり強い言葉は使わず、デビューしたてでまだまだ慣れる時間が必要ですので、今はそっとしておいてください……って感じで向こうに話を通しておく。それできっと、大人しくなるはずだ」


「社長、でも――」


「有栖、私はあんたたちが所属する事務所の社長だ。私には、所属タレントの安全と心身の健康をケアする責任がある。しつこく迫ってくる相手に対して、責任者としてその行動を咎めることも私の仕事の1つだ。あんたが気に病む必要はなにもないんだよ」


「薫子さん……」


 優しく語りながら、有栖の肩を叩いた薫子が力強く頷く。

 その温もりに涙腺を緩ませた有栖に対して再び頷くと、彼女は続け様にこう語った。


「よく相談してくれたね。後は私とスタッフに任せておきな。万が一、私たちの忠告を受けてもあんたに迫ってくるようなら、こっちもより強固な姿勢を見せる。あんたは安心して自分の活動に専念してくれればいいからね、有栖」


「は、はいっ!! ありがとうございます!!」


 曇っていた心に光が差し込むような感覚に、表情を綻ばせた有栖が笑みを浮かべて薫子に感謝の言葉を述べる。

 1人で抱え込まず、薫子に相談してよかったと……彼女に相談する勇気をくれた零にも感謝しつつ、全てが丸く収まりそうな雰囲気に安堵する有栖。


 気分が軽くなったお陰かその後の話し合いもスムーズに終わり、夜の配信の準備も終えている彼女は、それまでの時間を久々に安らかな気分で送ることが出来ていた……の、だが――

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