かいだん

私誰 待文

かいだん

「けんた知ってる? “オゥイサン”の話」

 行間ぎょうかん休みの時間、友達のゆき君が話しかけてきた。オゥイサン? 何だろう。


「最近、子供が一人の時をねらって出てくる幽霊なんだって! オゥイサンは上の階からこっちに向かって【オゥイ、オゥイ】って呼ぶんだ。でも呼ばれたからって絶対に行っちゃいけない」

 どうしてと聞くと、往君はへびみたいにニタっと笑った。


「二階に行っちゃうと、オゥイサンが体をつかんで、そのまま何処かに連れてっちゃうんだって!」


「オゥイサンだって誰だって、知らない人に呼ばれてもそっちへは行かないでしょ」

 思ったことを話すと、往君は蛇みたいに目を丸くしておどろいた。

 その後、往君はオゥイサンの話をしなかった。


 ○


 夕食の時間、パパとママと一緒にハンバーグを食べてる中、僕はゆき君に聞いた“オゥイサン”について知ってるか聞いてみた。


「オゥイサン? 似た話だったらママが子供の頃にもあったわ。ママの時代は下校中に『お母さんの具合がわるくなったらしいんだ、私はお母さんの知り合いだから連れてってあげる』って言って、そのままどこかへ連れ去っちゃうの」


「母さんの話は幽霊というより、不審者とか誘拐犯のたぐいだろう。母さん、水を一杯んでくれないか」

 ハンバーグを食べ終えたパパは、いつも通り食後に一杯の水を飲んだ。


「呼び声といったら、お岩さんの怪談が有名だな。他にも、山で見知らぬ声がしたら、それは山の神がんでいるから返事してはいけないとかもあるな」


「それもオゥイサンなの?」

「かもな。でもなけんた、お父さんはそういった怪談話をいくつも知ってるぞ」


 それからパパはオゥイサンみたいに、声に関する怖い話をいくつもいくつも半笑いで話した。ハンバーグを食べ終えるころ、僕は胸のおくが何だか寒くめ付けられる気がして、ごちそうさまをすると、いつもより早く寝た。


 お風呂にいる時も、布団に入った後も、もしかするとパパの話してた声がするんじゃないかってビクビクしてたけど、結局いつの間にか朝になってた。


 ○


 次の日、僕は朝からお腹がいたかった。起きてから朝ごはんを食べる間に5回はトイレとリビングを行ったり来たりした。

 ママにお腹が痛いことを話すと、ママは学校に休みの連絡をしてくれた。それから僕のためにおかゆを作ってくれた。


「ごめんね。ママこれから仕事に行くから。夕方には帰って来れるようにするから、そしたら病院に行こうね」

 スーツ姿のママは玄関げんかんで振り向くと「何かあったらスマホで電話して」と言い残して、仕事に出かけてしまった。



 ずっとお腹は痛かった。トイレに行って、でも痛みは引かなくて、リビングに戻って、ちょっとしたらまた行って……。ゆき君や皆が学校に行ってる中、僕は痛みのおかげで土日みたいに休むことが出来たけど、痛みのせいで一日中不機嫌ふきげんなままだった。


 ○


 お昼、昨日ママが残したハンバーグをあたためて食べた後、僕はもう一度トイレに行った。少しだけ用を足せたけど痛みは止まない。ため息を吐きながら僕は、テレビのいたリビングに戻ろうと歩き出した。



「おーい」



 えっ?



「おーい」



 まただ。急に胸のおくが冷える。

 僕は声のする方向へ、ゆっくりと顔を向けた。


 トイレとリビングの間にある、2階へ続く階段。薄暗うすぐらい2階の見えない場所から一定のリズムで「おーい、おーい」と声が聞こえてくる。

 それだけでも怖いのに、僕は恐怖と混乱できそうになっていた。


 2階から「おーい」と呼ぶ声は明らかに、パパの声をしていたから。


 ○


 何で? だってうちはパパもママもはたらいてるはず。いつも僕が起きるころ、パパは仕事に出かけてていない。だから今日もパパはもう家にいないと思ってた。


 だけど上から僕を呼ぶ声、それはどう集中して聞いても、昨日たっぷり階段を話していたパパの声だった。


「おーい、けんた」


 僕の名前を呼んだ! 声の主はどうして僕の名前を知ってるんだ?


「けんた、今日は仕事が休みになったんだ」


 僕の疑問を見透みすかしたように、階上の声が答える。本当に、今日は仕事が休みなのか?


「けんた、いるんだろう?」


 パパは階段下で棒立ぼうだちになっていた僕に話しかける。パパの声はするのに姿が見えないのがこわくて、僕はリビングに進めなかった。


「けんた、頼みがあるんだ」


「な」

 返事をしようとした直前、僕は昨日パパが話していた怪談を思い出した。


 見知らぬ声がしたら、返事してはいけない。

 このままパパじゃないかもしれない存在へ返事をしたら、ダメじゃないか?


 でも、本当に上からの声がパパだったら? 

 取りあえず、ママに電話した方がいいかもしれない。僕はポケットにしまったスマホでママに電話しようとした。


「けんた、リビングから水を汲んできてくれないか?」


 ふと、上から頼み事が聞こえた。よくパパが食事の後、水をたのむときの声と全く同じだ。


「けんた、いるんだろう? いつもの通り、コップ一杯でいいんだ」


 パパの声がやさしくなる。でも僕は知っている、パパの声が優しくなるのは、おこる前の声だってことを。もし上の声が本当にパパだったら、もうすぐ僕は怒られてしまう。

 どうすれば……。


 ○


「……ぱ、パパ?」

 結局、僕はウサギみたいに小さな声で返事をしてみた。


「けんた、いるじゃないか! 水を持って来てくれるかい?」

 声があかるくなった、気分がいい時のパパの声だ。


「お仕事はどうしたの?」

 おびえながら僕は、階上へ気になっていた質問をする。


「クライアントとの会合が先延ばしになってね、急遽一日だけ休みになったんだ」

 むずかしい話をしているけど、どうやら休みなのは本当らしい。


「水、だけでいいの? ご飯は?」

「ご飯はもう食べたよ。今は食後の水を持って来てくれればいい」


「……ほんと?」

「こんなことに嘘をつく理由はないだろう?」



 僕はリビングからキッチンで水をむと、もう一度階段へ戻ってきた。相変わらず2階は、陽当たりがわるいから薄暗い。


「水、持ってきたけど……」

「ありがとう。苦労をかけるようだけど、こっちへ持って来てくれ」


 僕はにぎったコップに目を落とした。水が小刻みにらいでいる。


「どうした? 持って来てくれー」

 パパの声が僕をかす。早く持っていかないと、また声がやさしくなった後に怒るかもしれない。


 階段に足を踏み入れる前に、僕はもう一度だけ聞いてみた。

「パパは……ほんとに、パパだよね……?」


「何を言ってるんだ? 当たり前だろ、パパはパパだよ」


 本当に優しい声だった。

 その声で心のおくで氷みたいに張り詰めてたものがけた。

 僕は上の階にいるパパに水を届けるために、階段へ足を踏み出した。


 ○


——ピンポーン


 突然、家中に甲高い音がひびく。インターホンが鳴った音だ。間髪入れずに、玄関からノックの音が聞こえた。


「けんたー。ママ家のかぎ忘れっちゃったのー、開けてー」

 あわてて玄関の内鍵を開ける。ママは朝と同じスーツ姿で、ゼイゼイと息を切らしていた。


「……けんた、何で右手にコップ持ってるの?」

 ぼくは2階のパパへ水を持っていく途中だったと話した。僕の話を聞いてる間に、ママの顔がどんどんしかめっ面になっていった。


「それ、おかしいわよ」

「どうして?」



「だってうち、マンションの最上階じゃない」



 言われて気付いた。僕の住んでる家は平屋、五階建てマンションの一番上の階だ。2階へ上がる階段なんてあるはずない。



 ママと一緒に階段の場所へ行く。

 階段のあったトイレとリビングの間には、白塗りのかべしかなかった。



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かいだん 私誰 待文 @Tsugomori3-0

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