第243話「土の大天使」
負の魔力が砂を巻き上げた竜巻となって、地面を
それはまるで
だがその砂竜巻ですら六之村に張り巡らされている結界には、一切触れることはできない。
触れた瞬間に全て巫女の力によって弾かれ、力を散らされて自然消滅する。
正に地獄のような光景。
その中を「ヒャッハー!」と高笑いしながら、村に向かってチキンレースする上級者達は、どう見ても頭のネジが外れていた。
──まぁ、馬車が近寄れないから徒歩で向かっているオレ達も大概だけど。
「この土地は普段、気候も穏やかでこんな常軌を逸した災害は発生しない」
「オレの〈洞察〉も、アレは〈暴食の大災厄〉が外に漏れ出たものだって教えてくれるな」
セツナと共に並走しながら〈シルヴァ・アヴニール〉の柄を握った。
竜巻の影響で進路上にモンスターは一体もいないが、その最奥には決戦の地が待っている。いつでも全力を出せるようにしていなければ。
「そういえば村人は大丈夫なのか?」
「その点は心配いらない。嵐の接近を見た村長が、ラセツの到着前に村人全員を避難させたと連絡があった。今頃は近隣の村に保護されてるはずだ」
「つまり戦場は村の中だけど、周りを一切考えず全力で戦えるって事だね」
セツナの説明を聞いたクロが、どこかホッとした顔をする。
「ということは、ラセツ姫から大災厄を解き放つ事がハッピーエンドに必須なのね」
「……うちに任せてくれ、巫女の力で必ずやり遂げて見せる」
「やる気に満ちてるのは良いけど、程々に肩の力を抜けよお姫様」
「そうですね。この終盤では特に冷静な判断力、そして盤面を見渡す力が何よりも大事です。というわけで深呼吸をしましょう」
やや力んでいるセツナに、シンとロウが実に的確な忠告をする。
彼女は反論などは一切せず、頬を緩めてアドバイス通り深呼吸を一つした。
「ふぅ……、忠告痛み入る」
「その調子なら大丈夫みたいだな」
「雑談もここまでにしましょう。もうすぐ村に入るわよ」
「オーケー、ここからはオレが先頭になるぞ」
口を閉ざしてオレは加速して前に出る。そして全神経を前方に集中させる。
発動した〈洞察〉と〈感知〉スキルは村全体に広がり、嵐の発生源がどこにいるのか、その情報を伝えてくれる。
「──見つけた。このまま真っ直ぐ行って、大きな広場のど真ん中に
「ラセツの状況は!?」
「うーんと、例のヤバそうな黒い毒みたいなのを散布してる感じだな。近づきすぎると毒を付与されると思う」
「わかった、うちが何とかしよう」
セツナは両手で印を結ぶ。すると周囲に白い光が広がり、俺達の身体を保護するかのように包む。
これは〈鬼巫の加護〉──大災厄の固有スキル〈
この状態なら広場に入れる。
「ラセツ、今行くから!」
俺とセツナを先頭に、部隊は最終決戦のフィールドとなる村の中央に向かった。
◆ ◆ ◆
頭の中にずっと聞こえる。
人の悪意を煮詰めたような、ドス黒い怨嗟に延々と続く呪詛が。
──許サヌ、許サヌゾ。
──〈光齎者〉ト、我ノ戦イヲ台無シにシタ不届キ者共。
──アノ憎キ金色ノ天使、絶対二殺シテヤル。
──ソノ為ニモ、貴様ノ身体ヲ寄越セ。
──寄越セ、寄越セ寄越セ寄越セ。
ルシファーの〈ヘヴンズ・ロスト〉で倒されなかった怨念は、戦う身体を求めて現世に必死にしがみついている。
バアル・ゼブラが求めるは、自身を滅ぼした金色の天使に対する復讐。
そしてルシファーとの真なる決戦。
魔王から与えられた使命を果たす為、大災厄はラセツの身体に固執している。
「ふ、ふふふ、まさかこんな悪質な変態に憑かれるなんて……」
汗が額から頬を伝って流れ落ちる。
身体の感覚は全くない。もっとも聖なる力が集まる村の中央にいるが、もう指一本動かすこともできない現状だ。
「ウリエル様、せっかく封印を解いたのに……」
手の中にある〈琥珀の指輪〉を見つめる。
語り継がれる天使の力。
それを借りる事ができたら、取り憑いている怪物を取り除けると思ったのだが。
ここにあるのは、選ばれし者にしか反応を示さない力の器だけ。
四大天使の意識は欠片も残っていない。これでは力を貸してもらえない。
「完全に読み違えましたね……」
父親に生きろと言われたのに。
最後の希望が、こんな形で潰えるなんて。
「せめて最後は、姉上の膝の上で逝きたかったです……」
地面に倒れたラセツの精神が、どんどん塗り潰されていく。
もう耳も機能していない。全てがバアル・ゼブルに支配されていく。
「……姉上、助けて」
視界が徐々に闇に染まる。
胸の内には、強い後悔しかない。
楽しかった記憶、それすらも身体の機能を奪われると同時に失われていく。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
それだけは奪わないで、姉上との思い出だけは取り上げないで。
辛い、苦しい、胸が張り裂けそうだ。
大好きだった姉の顔が、思い出せなくなるなんて耐えられない。
止まらない涙。なんで自分が泣いているのか、その理由すら失われる。
「あね、うえ……」
あれ、あねうえって誰だっけ。
沈む。真っ暗な泥の中に沈む。
それでも無意識下で、助けを求めようと最後の力を振り絞り、伸ばした手は空を切り、
「──ラセツ!」
致命的になる寸前に間に合ったセツナが、力強く両手で掴み取った。
覚醒した巫女の魔を祓う力。それが手を伝ってラセツの身体に浸透する。
「しっかりしろ、ラセツ!」
死人のように冷たい体温にゾッとするが、ラセツは辛うじて呼吸をしていた。
絶対に死なせない。妹を救う。
全身全霊を注ぐセツナの思いが、魔の侵食を危ういラインでギリギリ食い止める。
「ふ、ぐぅ……っ!?」
少しでも押し負けたら妹は死ぬ。
歯を食いしばり、唸り声を上げる。
自身のHPが減少を始めても構わず、セツナは徐々に侵食を押し返す。
こんな呪いに負けてはいけない。
絶対にこの手は離さない。
一緒に父と母の元に帰る。
その一心だけで、一国を滅ぼす怪物の呪いに一歩も引かず立ち向かう。
足りない。覚醒した巫女の力だけでは、全力で五分に持ち込むのが精一杯だ。
「……ふふふ、うちだけだったら妹と共に負けてたかもしれない。でも」
セツナは顔を上げて天を見上げる。そこには数多の絶望を打ち砕いた、双翼を広げる救世の天使がいた。
「うちは、一人じゃない」
天使化したソラは急降下し、左手に集めた力を振り上げ、一気に解き放つ。
──それは選択した対象の付与効果を全消去する天上の力。
セラフィックスキル・〈アイン・ソフ・オウル〉
純白の光はラセツを包み、彼女の奥底に根付いていた大災厄の繋がりを消去。
取り憑いた状態を解除した事で、大災厄は支配をリセットされる。
そして全力で行使した巫女の力が、ラセツの中から大災厄を追い出した。
「あ、あ……あね、うえ……どこ……?」
虚ろな目で、ラセツは姉を求め明後日の方角を見る。目の前にいるのが、セツナだと認識できていない様子だった。
「ラセツ!」
深刻なダメージを受けている妹を、セツナは泣きそうな顔で抱き締める。
巫女の力を絶えず使用し、回復に努めるがかなり厳しい状態だった。
特に精神の汚染が酷い。このままだと、最悪廃人になる可能性が考えられる。
仲間達も合流するが、ポーションで解決できるような問題ではない。
「ルシフェル、どうにかできないか?」
『マスター、ウリエルの力ならば彼女を助けられる可能性があります』
「ウリエルの力?」
『土の大天使には人々の精神を補助する役割があります。その力なら、彼女が受けた傷を癒やす事も可能だと思います』
「分かった、ありがとう!」
ソラは〈琥珀の指輪〉を拾い、仲間達に今ルシフェルから聞いた内容を伝える。
「なるほど、それでしたらシオさんが適任だと思います」
「ロウ君、良いの?」
「良いんですよ、多分ウリエルの性質からボクは選ばれないと思うので。……その証拠にほら、指輪を持っても全く反応しません」
ロウから指輪を返却されたソラは、使えないならしょうがないとシオに渡す。
この緊迫した状況で、兄から指輪を渡された事を意識して顔を赤く染める彼女は〈琥珀の指輪〉を見下ろす。
すると指輪はシオを主に認め、ラセツが集めた宝玉によって取り戻した輝きを魅せる。
恐る恐る指輪を指に通したシオは、眩い光を放ち天使化した。
「……うん、これならいけそうね。セツナ、一緒に助けるわよ」
「シオ殿……!」
狐色の双翼と天輪を得たシオは、彼女の隣に腰を下ろし、共にラセツの手を握る。
発動するスキル名は──〈ウリエル・フィールド〉。
一定範囲内の味方のHPとMPに加え、状態異常を全て回復する大地の加護。
それはラセツの傷ついた身体だけでなく、魂をも治癒する。
そして巫女の力と合わさる事で、次第に彼女の顔色に生気が戻った。
「姉、上……」
「……この、馬鹿者が……っ」
虚ろだった目に光が宿り、ようやく目の前にいるのが姉だと認識する。
涙を流して抱きしめる姉妹の姿。それはオタクならば黙って見守りたい光景だが。
「空気を読めない奴がいるんだよなぁ……」
ソラは剣を手に、上空に集まる悪意を睨みつける。
『ルシファァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』
天使と巫女のタッグに敗北した怪物は、自身の溜め込んだ命を大幅に削り顕現する。
姿は全長10メートル以上。甲殻を鎧のように纏ったハエの怪物は、六本の足で這うように地面に立ち、六枚の羽を広げ宿敵を倒さんと相対する。
しかし自身の命を削って顕現した代償で、HPゲージは残り一本しかない。
そしてここには天使化した仲間達、そして〈剣聖〉の力を開放したシノがいる。
「お邪魔虫には、ここから退場してもらわないといけないわね」
「いくぞシオ、しつこいハエ退治だ!」
戦闘が開始して三十分後。
暴食の大災厄〈バアル・ゼブル・グラトニー〉は、ソラとシオの連携技によって、史上最短時間で討伐された。
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