第230話「秘密の部屋」

 ふと目が覚めた時間は、深夜の二時頃。

 珍しい時間に起きたなと思いながらオレは、自分の右腕を胸に抱いて眠っているクロを横目で見た。

 小さな寝息をたてる彼女の姿は美しく、こうして眺めているだけでも、つい溜息がこぼれてしまう。


 ──好きだ。

 数日前に初めて抱けるようになった恋心を、『ライク』ではなく『ラヴ』の感情を、心の中で何度も確認する。

 付き合っている事を意識して、胸中に甘い感情が広がっていく感覚に頬が自然と緩んだ。

 大事に抱き締められているオレの右腕は、彼女の体温とか心音がダイレクトに伝わってきて、クロが幻なんかではない事を教えてくれる。


 こうしてずっと眺めていたいが、──残念ながらそういうわけにもいかなくなった。


 寝る前に水を沢山飲んだせいか、急に尿意が込み上げてきた。

 漏らすわけにはいかないので、惜しみながらもクロの拘束から抜け出しベッドから離脱する。

 大きな音で眠り姫を起こさないように気をつけながら部屋を出て、そのまま一階に降りる事に。


 当然こんな時間に起きている者は一人もいないので、家の中は真っ暗で物音一つしない静寂が支配している。

 大きな音を出さないよう、廊下の電気をつけながら進むと真っ直ぐトイレに入った。


「ふぅ、スッキリした」


 手短に済ませた後、手洗いをして自室に戻ろうとボンヤリ歩いていたら。

 無意識に使用している〈感知〉スキルで、廊下に自分以外に人がいるのを察知した。


 巧妙に気配を消しているその人物は、何やら我が家の一階にある物置部屋の前で棒立ちしている様子。

 一体誰なんだろう。ゲーム内と違って詳細に見ることができない、劣化版〈感知〉スキルの漠然とした感覚を頼りに警戒しながらターゲットをこっそり確認したら、


「──っ!?」


 無言で立っている父親の姿を見つけて、これには少々ビックリさせられた。


 しかもこちらに気づかずに、何やら真剣な表情でじっと扉を見つめている。

 そこに普段の気の抜けた雰囲気はなく例えるならば、まるで戦場に挑むゲーマーのような感じだった。

 明らかに普通ではない様子に、何だか不安になったオレは勇気を出して声を掛けることにした。


「親父、こんな時間になにしてるんだ」


「……ん? ああ、蒼空か」


「蒼空か、じゃないよ。そこは確か……ただの物置部屋だろ。扉の前で突っ立ってガン見してんの、トイレに起きてきたクロとか詩織が見たらびっくりして漏らすぞ」


「……ああ、そうだったな。ここは物置部屋だよな?」


 何やら意味深な発言をする父親に、遂にボケが始まったのかと呆れてしまった。


「オレが生まれる前から、物置部屋として使ってるだろ。なんで疑問形なんだよ」 


「うーん、世界が色々と変わってしまっているだろ。もしかしたら家の中で何か異変が起きていないか、色々と調べていたんだが……この部屋だけ何だかずっと違和感があってな」


「違和感……?」


 扉を見ても、自分にはそんな違和感は全く感じられない。

 両親の部屋の近くにあるこの部屋は、自分が物心がつく頃から『物置部屋』として使っている。


 もしもこの『物置部屋』だと認識しているのが間違ってるとしたら、オレ達は何らかの干渉を受けていることになるのだが……。

 脳裏にふと白髪の少女、神様を自称するエルの顔が浮かび上がり、何だか急に不安になってきた。


(……なんでこんな時にエルの顔が思い浮かぶんだ。まさかこんな所にも、アイツが関係しているのか?)


 最近は色んなことがありすぎて、少々過敏になっているのかも知れない。

 これは気にしすぎだと思い、頭を左右に振って考えを振り払う。


 しばらくして親父は扉に手をかけると、ゆっくり開いて部屋の明かりをつける。

 気になったオレは、端の方から顔だけを出して一緒に中の様子を覗いてみた。


 目の前に広がっていた光景は、──想像していた物置部屋とは少し違うものだった。


 壁に設置されているのは大きな本棚。そこにはアルバムが数冊並んでいる。

 他には神話に関係する本とか『シミュレーション仮説』とか『仮想空間説』とか『VR技術』関連の小難しい本が棚にびっしりと収納されていた。


 まさか親父のか?


 前者はまったく分からないが、デバッガーをしている父親は後者のVR技術本を所有していてもおかしくはない。

 きっと此処にしまって、忘れていた可能性は高い。


 そう思いながら見回す室内は、他に古いゲーミング用のPCが一式置きっぱなしで、マイクとか色んな機材がダンボールの中に詰まっている。

 パッと見は物置部屋というより誰かの配信用、或いは作業用の部屋だったような感じ。


 今まで一度も興味がなくて開けたことがなかったけど、まさかこのような内装になっていたとは。

 しかも定期的に掃除がされているらしく、部屋を開けてもホコリが宙を舞ったりしない。

 こんな丁寧な作業ができるのは、母親か詩織の二人くらいしかいない。


「うーん、本は親父のものっぽいけど機材は母さんが配信部屋で使ってたのかな。そんなの一度も聞いたことなかったけど」


 機材の中にはお高いASMR用の物とかある。

 秘密にしていたのは、息子にバレるのが恥ずかしいと思ったのかも知れない。


「なるほど、だから物置部屋ってことにしてオレに気づかれないようにしたのかな?」


「この事は言わないでくれよ、バレたら一週間は不機嫌になると思うから」


「わかった、夕飯がヤバい事になりそうだから秘密にしとく」


 そんな男同士の約束を交わしながら、部屋の中に入った親父は本棚に並んでいるアルバムの中から一冊を手にする。

 中々に分厚いそれを開いた後、いつも飄々ひょうひょうとしている彼は珍しく険しい表情を浮かべた。


「親父、どうかしたのか?」


 明らかに様子がおかしいと思い、オレは横からアルバムを覗き見る。

 貼られている写真は、赤ん坊の頃の自分が写っているだけで、これといって特別なものは何もなった。


 ──いや、注意深く見ると一つだけ違和感に気がつく。

 それは写真の中にいるのがオレだけなのに、半分以上の写真が共通して中央におさまっていない事だった。


 写真を撮るのが下手、という話は一度も聞いたことがないのだがそれにしても酷い。

 当時の未熟な撮影技術にショックを受けているように見える親父の姿から、そんな推測をしていると、


 親父は何も言わずに手にしていたアルバムを、そっと閉じて本棚に戻す。

 すると今度はPCに歩み寄り、電源のスイッチを軽く押し込んだ。


 直ぐに立ち上がったPCは、大きな液晶画面にホーム画面を表示させる。

 だがパッと見た感じでは、こちらもこれといって変なものは何も見つからなかった。


「初期化されてるのかな? 変わったファイルとかは入ってない、普通のパソコンだな」


 一通り何かデータが残っていないか確認をした後、親父はパソコンの電源を落とした。

 起動音が消えると、再び部屋の中をシーンという音が支配する。


 けっきょく、面白そうなのは何も見つからなかったな。

 そう口にしようとしたオレはパソコンの前に立つ父の隣にある椅子に、白髪の少女が座っている姿を幻視した。


「───っ!?」


 慌てて目を擦り、再度確認する。

 だがすでに少女の姿はなく、そこにいるのはオレの反応を見て、怪訝な顔をした父親だけだった。


「急にどうした、蒼空?」


「あ、いや……なんでもない。たぶん疲れてるんだと思う……」


「まったく、おまえは明日約束があるんだろ。疲れてるなら早く寝ろ」


「ああ……そうだった、明日は祈理の家で集まってプライベートプールで遊ぶんだ」


「え? おまえビキニとか着るの?」


 真顔になった父親に対し、こめかみに青筋を浮かべた。


「……流石にぶち殺すぞ親父、そんなの着るわけないだろうが」


「そ、そうだよな。いくら女性化したからって水着は着ないよな!」


 声が上擦うわずっている辺り、半分以上は本気で発言していた事がうかがえる。


 まったく、実の息子がそんな全力で女の子ライフを楽しむわけないだろ。

 大いに文句を言いたかったが、今は深夜の二時。

 下手に言い合いを始めるのは、寝ている人達を起こすことに繋がりかねない。

 ぐっと怒りを飲み込み、オレは自室に戻ることにした。


「ふわぁ……眠い。そんじゃ、明日のこともあるし先に寝るよ……」


「ああ、お休み」


「お休み、親父もはやく寝ろよ」


 さっきの幻覚は疲れてるから見たんだ。

 早く寝て、明日に備えよう。

 部屋を出たオレは、自室に向かって足を向ける。


 ──蒼空、約束だからね。


 不意に背後から、エルの声が聞こえた気がした。

 けれど睡魔に襲われたオレは、これはきっと幻聴だと思い、振り返らず前に進んだ。

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