第217話「友情と恋心」

 時刻は12時の昼時。

 黎乃は自宅に帰る前に、アストラルオンラインの攻略仲間であり、友人の祈理いのりと二人で階段を上がる。

 そういえば、こうやって二人だけでいる事ってあまりない事だと考えながら、隣をチラ見すると。


 黎乃は改めて──祈理の胸が凄いと思った。 


 やはり自分にはない、大きな二つの山はブラジャーをしていても、シャツの中で揺れている。

 まるで別の生き物のような存在感に、見慣れている筈なのに、黎乃は圧倒されてしまった。

 近々彼女の家に、蒼空と自分と詩織の三人で泊まることを予定しているけど、温水プールでこの胸が水着という布一枚に収まるのか大いに疑問であった。


 最悪の場合は、蒼空に目隠しをしないといけないか……?


 腕組みをして真剣に悩んでいると、上る階段がなくなる。その代わりに目の前に現れたのは、一枚の扉だった。

 ポケットから鍵を取り出した黎乃は、それを鍵穴に差し込んで解錠し、誰もいない屋上に足を運んだ。

 

 普通なら生徒が立ち入れないように、鍵は厳重に管理されている。

 これは二人っきりで話がしたいと思い、冒険者の権限を使って、校長から貸してもらったのだ。


 どうしてこんな手間を掛けてまで、二人っきりに拘ったのか。


 それは先日デートの最後で、蒼空の告白にOKを貰えた件を、同じく思いを寄せている彼女に伝えるためであった。

 スマートフォンの連絡先は知っているけど、この件に関しては気軽に電子メッセージで済ませたくない。

 真剣に互いに一人の少年の事を思っているからこそ、黎乃は面と向き合う事にした。


 ……そういえば、学校の屋上に上がるのは初めてだ。


 遮るものが何もない為に、ジリジリと太陽の光が容赦なく降り注ぐ。

 転落防止用の柵に囲まれた広い空間には、特別なものは何もない。

 二次元の創作物では、今二人で出てきた塔屋とうやに、主人公かヒロインが上っているシーンを良く見かける。

 少しだけ上ってみたい欲求が湧き上がるけど、今回はそれを目的に来たわけじゃない。

 好奇心を抑えながら、別の機会にしようと気持ちを切り替えた。

 下から聞こえるのは、昼休みをエンジョイする学生達の声。

 強く吹き抜ける風にスカートを反射的に押さえつけながら、少しだけ歩いた後に、その場で立ち止まった。


 自分と祈理、互いの間にある距離はおよそ1メートル程度しかない。

 片目を長い前髪で隠す祈理は、同じようにスカートを押さえて、少しだけ緊張している様子だった。


 ここに呼ばれた時点で、彼女も薄々と何かを察しているのだろう。

 いつも自信のなさそうな顔をしている祈理は、黎乃が話を切り出すのを待っていた。

 じんわり浮かぶ汗をそのままに、


 すぅ……はぁ……。


 大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。

 頭の中に思い浮かべたのは、屋上の階段下で、親友二人と待機している白髪少女の顔だった。


 ……昨日からずっと、どうやって自分と彼との関係を彼女に話そうか考えていた。


 だけど思いつくのは、全て言い訳のような内容ばかり。

 これでは大切な友人に対して、逆に失礼かも知れないと思った。

 自分に必要なのは、回りくどい言葉ではない。

 そう考えた末に、ようやく考えついたのは一つの答えだった。

 流石に緊張するけど、それは目の前にいる友人も同じだ。

 以前ラウラのコンサートを眺めながら、蒼空に告白した時と同じくらいの勇気をもって、黎乃は口を開いた。


「祈理ちゃん。わたし……蒼空にOKを貰って、付き合う事になったよ」


「………っ!?」


 単刀直入に、昨日あった出来事を白状する。

 しかし、返事は直ぐには返ってこない。

 祈理は口を閉ざし、驚いた顔で凝視する。

 時間にして数分間くらいの、長いようで短いような沈黙のひと時を、固唾を呑んで待っていたら、


「そっか……」


 長い前髪から碧いオッドアイを覗かせて、祈理は優しく微笑んだ。


「クロちゃん、蒼空君と付き合う事に成功したんだね。……われやイリヤですら、未だ考えられないって断られたのに」


「その……、わたし……」


「……ううん、そんな辛い顔しないで。だって大好きな二人が結ばれたんだから、これ以上の朗報はないの」


「祈理ちゃん……」


 勝者であるはずなのに、黎乃は泣きそうになった。

 選ばれた者と選ばれなかった者。

 二人の間に生じた隔たりは、とてつもなく大きなものであった。

 勇気を持って伝えたものの、ここから先は何を言っても祈理を傷つけてしまうのではないかと思い、言葉に詰まってしまう。


 この話を始めたのは自分なのに、心の内では正直に言って逃げ出したかった。


 でもそれだけは、絶対にしてはいけない。

 ダメな人間だと思いながら、それでも腹に力を込めて、友人から逃げる事だけは絶対にしないと立ち続ける。


 ……どうしよう。

 ここから、どうしたら良いんだろう。


 何を言ったら正解なのか、まだ未熟な自分には考えつかなかった。

 そんな困り顔の黎乃を見た祈理は、目尻に僅かに浮かんだ涙を拭い捨てた。


「ううん、……われは謝らないといけないの」


「祈理ちゃんが、謝る……?」


「ごめんなさい。……二人が恋人になったのは分かってるの。でも、それでもわれは蒼空君が好きな気持ちを……諦めないから」


 大好きな少年のことを思い続けると、他でもない彼の恋人に向かって宣言した。

 大人しく身を引く方が、お互いの為になる事を理解していながら。

 それでも彼女が「諦めない」とハッキリ口にしたのは、蒼空に対する恋心が大切で、絶対に無くしたくないと結論を出したからだった。

 でもそれは、必ずしも敵対する宣言ではない。祈理は更に続けて、自身の思いを語った。


「だから黎乃ちゃんは、絶対に彼を手放さないように頑張って欲しいの」


「……うん、うんっ。わかった、ありがとう祈理ちゃん……」


 祈理は恋敵である黎乃に、エールを送った。

 覚悟を持って対峙した祈理の思いに、黎乃も真っ直ぐに答えた。

 この数ヶ月、一緒に海の巨大モンスターと戦った事で、二人共お互いの事をどう思っているのかは目を見たら直ぐに分かる。

 黎乃は祈理の事を大切な友人だと思っているし、一緒にいるのが大好きなのである。


 そして、それは祈理も同じであった。


 満面の笑みをたたえて、これからも友でいようと、二人は近づいて握手を交わす。

 すると祈理は、そのまま黎乃に接近して、両手を広げ力いっぱい抱き締めた。


「……!?」


 びっくりして祈理を見たら、彼女の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「………………あー、もう! 悔しいのじゃ! でも黎乃ちゃんの事も、大好きなのじゃー!」


「ちょ、祈理ちゃん!?」


 急に謎のスイッチが入り、ゲーム内のハイテンションで大泣きを始めた少女に、目を丸くする。

 ぶつけられた思いは怨嗟えんさではなく、自分に対する告白だった。

 涙を流しながら、しがみつく祈理の行動に戸惑いながらも、倒れないようにその身体を支えると、


 ……そうだよね、辛いよね。


 うわああああああああん、と大声を上げる祈理を無言で抱きしめながら。

 彼女の抱擁ほうようを受け入れる黎乃は、背中に両手をそっと回した。


「……うん。わたしも大好きだよ、祈理ちゃん」


 大切な友人が泣き止むまで、ずっと二人で抱き締めあった。

 三人で一緒になれたら一番良いのにと、黎乃は胸の内で、幼く甘い考えを抱きながら。

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