第214話「初めてのデート③」

 映画を見終わって外に出ると、時刻はもう午後16時くらいになっていた。


 もう帰らないと、現在家長である詩織が夕飯を作る準備を始める頃だろう。


 近場にある公共バスを利用して、中央区から東区まで移動すると、オレと黎乃は自宅の側にあるバス停で降りた。

 人の姿が全くない通りは静かで、先程までいた中央区の喧騒けんそうが嘘のようだった。

 近隣の住宅からは、美味しそうな夕食の香りが漂っている。

 そんな夕暮れの色に染まる道を、黎乃と手を繋いで自宅に向けて歩き出す。

 話題はやはり、先程見た映画の事だ。ストーリーでここがビックリしたとか、犯人との熱い戦いはドキドキしたとか、二人で内容について交互に語った。

 歩く速度がいつもより遅いのは、多分お互いに二人っきりの時間を少しでも長く過ごしたいという、思春期特有の甘い考えを抱いているせいかも知れない。


「主人公役のアクション、本当に迫力があって凄かったね。流石は詩乃お姉ちゃんって思ったよ」


「ああ、そうだな。ヒロイン役はグレンが担当したみたいだけど、師匠の変態機動に合わせられるのは、流石プロゲーマーって感じがしたな」


「うん。しかも二人が背中を預けて戦うの、お互いを信頼してるって感じが見てて伝わってきて、すごく良かった」


「オレと黎乃も〈アストラルオンライン〉の中では、あんな感じだけどね。前に戦ったヘルヘイムの大戦斧使い……確かフィリーだっけ? アイツとの時なんて、黎乃の掌底が無かったらオレは押し切られて負けてたし」


「わたしは、率先して前に出てタゲを取ってくれる蒼空に、後ろから合わせてるだけだから……」


「いやいや、黎乃が良いカバーリングしてくれるから、大胆な行動ができてるだけだよ。特に最近、武器をカタナに変えてからは、ダメージディーラーとしてオレ以上に活躍してて凄いと思う」


「………………っ」


 素直な感想を伝えると、黎乃は顔を真っ赤にして口を閉ざした。

 褒めすぎたかなと少しだけ考えるが、自分が言ったのは全て偽りなき真実だ。

 第一に今の彼女は、本当に強くなったと断言できる。

 それは武器の性能が、大幅に上がった事だけではない。

 この数カ月間、共に肩を並べて戦っている自分だからこそ分かる。

 カタナを手にした黎乃の剣技が、既にオレと同等の領域にある事を。

 うかうかしていると、本当に妹弟子に追い越されそうだ。──否、もう越されているかも知れない。

 兄弟子という立場が、とても危うい事に危機感を覚えながら、肩を並べて歩く少女の手を握った。


「それに強さだけじゃない。黎乃がパートナーだから、オレは今までの戦いを乗り越える事ができたんだ」


「……もう、ばか。そんなに褒めても、何も出てこないよ」


 褒められすぎて、黎乃は困ったような顔をする。

 夕暮れの光に照らされ、輝く少女の振り向く顔はとても美しかった。

 まるで映画のワンシーンから、切り抜いたような光景。それを目の当たりにした自分は、その場で足を止めてボーッと見入ってしまう。


「蒼空、ぼんやりしてるけど大丈夫?」


「ごめん。大丈夫じゃ、ないかも」


「久しぶりに遊んだからね。帰ったらわたしが詩織ちゃんの料理手伝うから、蒼空はお風呂に入って、リビングでゆっくりしてて」


 彼女はそう言って手を話し、自宅に向かう歩速を僅かに上げる。

 二人の距離が離れると、そこに強い風が吹き、白銀の髪が空中に美しくなびいた。


「ひゃ!?」


 スカートが一瞬浮かび、黎乃は慌てて両手で押さえつける。

 慌てて見ないように視線をそらすと、ふと馴染み深い公園の入口前にいる事に気がついた。


「公園がどうかしたの?」


「あ、いや……ごめん。ちょっとだけ寄って良いかな」


「うん、良いよ」


 許可を得たオレは、黎乃と一緒に遊具が滑り台とブランコしかない、シンプルな公園の中に足を踏み入れる。

 いつもなら、まだ遊んでいる小学生くらいの子供達がいるのだが、今は自分達以外に人の姿はない。

 なんとなく、お気に入りの木製ベンチの前で足を止めると、そこに二人で腰を下ろした。


 ──なんで、早く帰らないといけないのに、こんな所で座ったんだろう。


 全く説明できない己の行動に、心の内側で困惑してしまう。

 だけど黎乃は、一度も疑問を挟まないで、自分の突発的な行動についてきてくれた。

 親友達とは、何度も待ち合わせに利用している公園のベンチ。

 長年ここにある事で、軽く座ってもギシギシ音が鳴る。

 思い出深いこの場所に、今は大切だと思っている少女と、二人っきりでいる。

 背徳的な感覚に、少しだけ申し訳ない気持ちを抱きながら。

 それでも伝えるなら今しかないと、自分の胸中に秘めている大きな炎が、そっと背中を後押しする。


「いきなりでごめん、この前の告白の件なんだけど」


「……っ」


 二人の間で特別な意味を持つ言葉を放つと、隣りに座っている彼女がビクッと震えた。


 自分で始めておきながら、かつてないほどに緊張して、心臓の鼓動が速くなる。


 周囲の音は何も聞こえない。


 瞳が映すのは、横に座るもう一人の白銀の少女だけだ。


 世界が二人だけになる。


 そんな不思議な感覚に陥りながら。


 数日前に歌姫の舞台を眺めながら、勇気を振り絞って、告白してくれた彼女の姿を脳裏に思い浮かべる。


 本当は、あの時に答えるべきだった事。


 全てをぶつけてきた少女に対し、自分は先延ばしにするという、最低な選択肢を取ってしまった。


 だからこそ、真剣に悩んで考えた。


 その末に一つの答えを見つけた以上。


 もう逃避する事は許されない。


 あの時、始めて芽生えた感情。


 これまで重ねてきた密かな思い。


 ひたすら考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて──考え抜いた。


 人生でこんなに頭を使ったのは、過去に〈サタン〉討伐失敗で弟子を失い、ゲームを引退しようか考えた時以来だった。


 正直に言って知恵熱が出そうである。


 それでも、考えなければいけなかった。


 何故ならば、これまでの人生で告白してきたのは、彼女だけではなかったからだ。


 断ってきたイリヤやイノリ、少女達の事も全て振り返った。


 振り返って。


 心の底から、残念そうな顔をしていた彼女達の姿を思い浮かべて。


 胸を痛めながらも振り返り。


 膨大な思いの泉から、浮かび上がって来たのは一つの純粋な答えだった。


 その答えを抱えて、少しずつ。


 少しずつ彼女に近づく。


 物理的な距離と、心の距離を縮める為に。


 指と肩が触れる距離まで近づき。


 お互いの顔が間近まで接近する。


 黎乃もオレも、まるで夕暮れの空のように真っ赤に染まっていた。


 もう抑えることはできない。


 少女の好意を受け入れた自分は、右手で強く脈打つ自身の胸を、上から押さえつけ。


 途方もなく大きくなった感情に、顔を僅かに歪めると。


 答えを口にした。




「──クロが好きだ。オレと付き合ってほしい」




「──────っ」


 少女の瞳から涙がこぼれ落ちる。


 顔をぐしゃぐしゃに歪めた白銀の少女は、嬉し涙を流しながら、ぐっと顔を近づけてくる。


 避けるなんて選択肢は無かった。


 夕日の光に照らされながら。


 大好きな彼女の全てを受け入れたオレは、この日生まれて初めて──甘いキスを経験した。

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