第193話「覚醒のキス」

「ふぅ、何事もなくて良かった………って言いたいところだけど、どう考えても見逃されたとしか思えないな」


 感知と洞察、二つのスキルで敵が完全にいなくなった事を知ったソラは、ゆっくりその場から起き上がる。

 他の皆も地面から身体を起こし、危機が去った事に対して緊張から解放され、張り詰めていた気持ちを休ませていた。


「そうね、もしも誰か連れて行くって流れになってたら、私も魔槍を起動させて奴等を道連れに一度死ぬしかなかったわ」


 自身の考えを口にするアリサは、苦々しい顔をして立ち上がる。

 神殿で入手できる遅効性のアイテムによって、失われた片腕は何時の間にか生えていた。

 天命残数に余裕があるとはいえ、この世界に囚われているベータプレイヤーである彼女から死ぬ発言を聞かされると、何とも言えない気持ちになる。

 しかし、あの場面で仲間に危害が加わるのならば、自分も最悪〈ルシファー〉を発動させる覚悟でいたので、アリサの考えを正面から否定する事はできなかった。


 だが母親が自爆するつもりだった事を聞いた娘の方は半目になり、当然だが不機嫌そうな顔で睨みつけてくる。

 その様子を見たアリサは、少し困り顔になった。


「あらあら、困ったわね」


「自業自得なんで、自分で何とかしてください」


 どうしようもないとソラが肩を軽くすくめたら、アリサは不機嫌そうな娘を両手で思いっきり抱きしめた。


「もう、この可愛い娘はー!」


「むぅーッ! いつもそうやって誤魔化そうとする!」


 取っ組み合いみたいなバトルが始まるが、傍から見るとじゃれ合ってるようにしか見えない。

 母と娘の仲睦まじい?光景を尻目に、ソラは未だに地面に座り込んでいるラウラを見下ろした。

 重力の結界から開放されたというのに、皇女様はどうしたのだろうと首を傾げたら、


「妾は、何もできませんでした……」


 ずーん、とそこだけ重たい空気が具現化し、漂っているのが肉眼で確認できた。

 同じ姫との邂逅かいこう、それも以前に出会った事のある相手から色々と言われ、かなり落ち込んでいる。

 特に何もできなかった自分にショックを受けたようで、旅で少しは得た自信をヘル姫に木っ端微塵にされた様だ。


「ラウラ……」


 洞察スキルで確認すると、今まで見る事のできなかった皇女の情報を読み取る事ができる。

 一通り目を通してみたら、彼女の覚醒に必要な条件の一つである、レベルと三つの試練は達成していた。

 ただ、その中で一つだけ『?????』と表記されている不明瞭なモノがある。どうやらコレを達成しなければ、ラウラは歌姫として覚醒する事が出来ないらしい。

 正直に言って、何をしたら良いのかサッパリ分からない。

 ただ言える事は、これが根性とか脳死的な要素で、簡単に達成できるような内容ではないのだけは何となくだけど分かる。


 以前に共に冒険をした二人の姫、アリアとアリスには、こんなイベントは無かったので参考にはならない。

 彼女達はいつの間にか覚醒していたので、特別何かをしたという覚えがないのだ。

 一体どうしたものかと悩んでいたら、話を聞いて一緒に考えていたラウラがこんな提案をしてきた。


「お姫様の覚醒の定番としては、愛する者か自身のピンチだったりするのじゃ。でも先程の窮地の状態で満たされていないと考えるのならば、戦闘中でHPがギリギリまで減らないといけないパターンが考えられるのじゃ」


「これまたリスキーな話だな……」


「この先に何か試練があると言っておったから、恐らくは敵が出てくると思うのじゃ。狙ってやろうと思って、出来なくはないのじゃが」


「HPを意図的に減らすのは怖いから、それは最終手段だな。他にできる事をやってから考えよう」


「ならばギャルゲーをやり込んだ、我の経験から言わせてもらうならば……」


 途中まで語って、急にイノリは顔を真っ赤に染めて言葉を詰まらせる。

 本人の心境が忠実に再現されて、汗がダラダラと流れ落ち、小さなサクランボ色の唇は真横にビシッと固く一文字を描く。

 そんな只事ではない様子を見て、急にどうしたのかと聞いてみると、イノリは実に言いづらそうな顔をして、自身の予想を語った。


「こ、こういう時の鉄板ネタは、接吻せっぷんなのじゃ!」


「……………………………………………………接吻?」


 かなり間を置いて聞き返すと、彼女は自分で口にして恥ずかしくなったらしい。

 耳まで赤く染めて無言になり、勢い良く何度も頷いた。


 ──接吻、キス、マウスツーマウスかぁ。


 基本的に現代のゲームでは、未成年に対する規制の為にセンシティブな内容に関してはプロテクトが一番強固になっている。

 故に恋愛シュミレーションゲームであっても、攻略対象とのキス場面になると寸前で壁みたいなのが出現して、次の場面に移る事が多い。

 次に接触判定に関しては無しにしているゲームが殆どで、プレイヤーは基本的には手とか肩とかにしか触れられない事が普通である。


 だが〈アストラルオンライン〉は、普通のゲームと違う。


 NPCが心を許せば、プロテクトが解除されて一緒に添い寝くらいはできるし、身体に手で触れる事もできるのは実体験済みだ(助平心で触れた事は一度も無いが)。

 この世界の住人達は、正直な感想としては全てにおいて現実の人間と全く同じである。

 手で触れたら温かいし、肌も滑らかで柔らかい。ここら辺は良く風呂に連れ込まれる事が多いので、嫌という程に知っている。後覚えているのは、


 ──と、そこでソラは以前〈風の皇女〉アリアに頬にキスをされた事を思い出し、無意識の内に片手で押さえた。


 それだけで何かあったなと察したイノリと、直に現場を目撃したクロが母親との格闘を中断して、二人揃って険しい顔をする。

 突き刺さる二つの視線から身の危険を察知したソラは、逃げるようにラウラの方を見た。


「ソラ様、妾は……」


 イノリの言葉を聞いた海の姫は、顔を赤く染めて恥ずかしそうに視線を地面に落とす。頭の両サイドにある羽も、元気無く垂れ下がっていた。

 自分の目線から見ると、どう考えても彼女の様子は接吻は嫌という感じにしか見えなかった。

 そりゃ恋人じゃない者に、いきなりキスをするというのは無理な話だろう。


 ──最終手段も確信があるわけではないし、苦労してここまで来たが、最悪の場合は指輪を一旦諦めないといけないか。


 ここは一つ皆に相談しようと思いながら、彼女に手を貸そうとした、その瞬間の出来事だった。


「……し、失礼します!」


「は?」


 覚悟を決めたラウラが、目の前で急に勢い良く立ち上がった。

 少し興奮気味の彼女は、頭から生えている鳥の羽をブンブン上下に振る。

 油断していたオレはあっさり捕まると、ラウラは目をつぶって顔を近付けてきて、


 口と口が触れる寸前で、目を瞑っていた彼女の狙いは僅かに外れて左頬に触れる。


 突然の出来事に、少しの間だけ全員が思考と動きを止めて、重なる二人を眺めていた。

 思わず「危ないところだった」と言いそうになるのを我慢して、ソラは一歩だけ後に下がった。

 左頬を手で押さえ、呆然とした顔をしながら、オレは目の前にいる皇女を見る。

 ラウラは視線が合った後、余程恥ずかしかったのか、整った美しい顔を左右の羽で覆い隠してその場にしゃがみ込んだ。


「ちょ、ソラ────ッ!?」


 どうしてオレの名前を叫ぶ。

 一番最初に、衝撃による硬直時間が解けたクロが咎めるような叫び声を上げ、ムッとした表情で二人に詰め寄る。

 その小さな身体から放たれる気迫は、メンヘラ恋愛ゲームを乗り越えた自分を震え上がらせる程だった。

 例えるならば、約束を忘れて妹と出掛ける時間にゲームをして怒らせた時に似ているだろう。


「く、クロ、落ち着いてくれないか? これは、ラウラが覚醒するために起きた仕方のない事でむぎゅ」


 被害を最小限に抑えるために、とっさにラウラを守るように前に立ち、ソラは説得を試みた。

 しかし、至近距離まで接近したクロに思いっきり両頬を引っ張られて、動かしていた口は途中で強制的に止められる。


 何故かは分からないが、彼女は複雑な顔をしていた。


 見たところ、やむを得ない事だったのを理解している心と、感情的に許せない心がせめぎ合っているらしい。

 二つの感情を抱え、どうするか悩む彼女は、まるで飼い猫のシロが不満がある時に鳴く「ムゥー」という唸り声を出した後に、


「……ばーか」


 と悪口を呟き、すんなり開放してくれた。

 うん、ゲームの恋愛シュミレーションを何度経験しても、女の子という生き物は未だに良く分からない。

 この場で一人だけ理解に苦しんだ後、ふと頬にキスをしたラウラがどうなったのか確認するのを忘れていたソラは、視線を下に落とす。


 顔を隠す羽を開き、顔を真っ赤に染める少女は淡い青色の粒子を放ちながら、ゆっくり立ち上がった。


「……ありがとうございます、ソラ様。そしてごめんなさい、クロ様。お陰様で、最後の試練に挑めそうです」


 御礼と謝罪を口にしながら、ラウラは凛とした顔付きになる。

 無事に覚醒を果たした歌姫は、覚悟を決めた眼差しで海底トンネルの終点にある〈海の神殿〉を見据えた。

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