第192話「ヘルヘイムの姫」

 大戦斧使いフィリーとの勝利で、ソラのレベルは遂に90まで上がった。

 戦いが終わると、クロはオレと軽いアイコンタクトをした後に、片腕を失った母親であるアリサの元に急ぎ駆ける。

 その一方で、スタンが解けたイノリは近くにいたラウラと抱き合って、心の底から喜んで、子供のように大はしゃぎしていた。

 海底トンネル内に聞こえるのは、戦いに勝利した仲間の少女達が喜ぶ声だけ。

 スキル硬直で未だに身動きの取れないソラは、誰も欠けなかった事に対し一人安堵のため息を吐いた。

 自身のHPに視線を向けたら、ほんの少し前に消えたデバフ効果〈裂傷〉によって、残り二割という所まで削られているのが確認できる。

 後数十秒ほど継続していたら、今頃はセーブポイントであるレストエリアに、リスポーンさせられていただろう。

 先程の激しい戦いを改めて思い返し、ソラは今更ながら、手の平にじんわりと汗を感じた。


 ──ヘルヘイムの大戦斧使いのフィリー、今まで戦ってきた中でも屈指の強敵だった。


 最後にスーちゃんとクロがフォローをしてくれなかったら、戦いに負けていたのはオレの方だ。それ程までに奴の力と技は、驚異的なレベルだった。

 それに加え太刀使いのリッターも、アリサが紙一重でやっと倒せた程の強敵。

 ヘルヘイムには、このレベルの敵がまだいるのかと思うと、恐ろしくて身震いしてしまう。

 先の事を考えるのなら、相棒のクロを守るためにも自分は、もっと強くならなければいけない。

 するとサポートのルシフェルが、何時もの無機質な少女の声で一つ助言をしてきた。


〘マスター、今よりも強くなるのでしたら先ずはレベル100を目指しましょう〙


 ゲームをやり込んでいるものならば、誰もが知ってる当たり前な事を言われて、ソラは顔をしかめる。


 そんな事は、態々伝える程でもない。


 呆れた顔で言ったら、頭の中から直接語り掛けてくるルシフェルは即座に否定をした。


〘いいえ、レベル100になる事は、マスターが思っているのとは意味が異なります〙


 ……異なるとは、どういう事だろう。

 流石に見当がつかなくて首を傾げると、次にルシフェルは少し言葉を詰まらせる。


〘それは……申し訳ございません。回答の権限が、私にはありません〙


 権限がないのか。

 ルシフェルはこの世界のシステムの一つなのだから、それならばどうしようもない。

 とりあえず、彼女が言う通りにレベル100を素直に目指す事にするか、と素直に受け入れたらスキル硬直が解除された。

 ソラは立ち上がり、冷静に周囲を見回す。

 

 オレ達は、ヘルヘイムに所属する二体の強敵である騎士を倒した。


 敵のHPが0になっているのだから、ゲーム内のシステム上それは間違いない。

 ……だが、何故だろう。

 この喜ぶべき状況に対して、先程からソラは例えようのない違和感を覚えていた。


 先ず第一にその原因は、倒した筈なのに未だに消えない二体の騎士の存在だった。


 思い返せば以前、魔竜王の信仰者と戦った際、奴等は倒したらその場で光の粒子となって消滅した。

 つまりそこから考えるなら、アストラルオンラインに設定されている確実な死亡とは、HPが0になる事ではなく『身体が光の粒子となって霧散する事』である。

 まぁ、消えないパターンが存在する可能性も十分に考えられる。

 だけど、これはオレの直感だがそれは無いと思った。


 何故ならば、長いゲーマー歴によってつちかった直感が、これで終わりではないと警鐘を鳴らしていたから。

 そして直感から来る、重くのしかかるような不気味な感覚は、すぐに確信に変わる。


 合流した五人の丁度、真ん中辺り。


 何もない空間が波打つように歪むと、そこから一人の──黒い巫女装束の日本人形みたいな少女が音も立てずに姿を現した。


 切り揃えられた長い黒髪、丈が膝までしかない和服を身に纏い、真紅の瞳はまるで血のように真っ赤だ。

 敵意を全く感じさせない彼女は、手にした錫杖しゃくじょうで地面を軽く突いて、小さな唇から一つの言葉を紡ぐ。


「──〈グラビティフィールド〉」


「「「ッ!?」」」


 スキル名を口にすると同時、急にソラ達の周囲の重力が数十倍以上の重さに変わる。

 不意をつかれた五人は両足で自立する事が出来なくなり、バランスを崩してそのまま地面に強く叩きつけられた。

 スライムのスーちゃんに至っては、可哀想に水溜りのようになっている有り様だ。


 ……これは、まさか重力魔法!?


 苦労して顔を上げると視界には〈白魔術師〉の無属性カテゴリー、周囲の重力を重くして敵を拘束する結界を生成する〈グラビティフィールド〉という情報が映し出された。

 効果時間は30分。使用中は他の攻撃スキルを使用出来ないらしい。

 〈洞察〉スキルが見抜いた初見の魔術に、警戒していたのに避ける事が出来なかったソラは軽い舌打ちをする。

 突然現れた少女は、軽く周囲を見回して二体の騎士を見たら、溜め息混じりに残念そうな顔をした。


「……ボディーガードで付いてくるって言っておきながら、簡単に敗北するとは。第七の隊長さんと副隊長さんは、実に役立たずで情けない」

「冥国の皇女──ヘル姫!?」


 ラウラの声を聞いた少女──ヘルは暗い微笑を浮かべる

 そしてまるで、スーパーの買い物中にバッタリ会ったかのような気軽さで、軽く手を振りながら返事をした。


「ふふ、久しぶりね歌姫の卵さん。そんな所で転がってるなんて、まだ覚醒もまだみたいね。実に無様で可愛らしいわ」

「なんで、貴女がここに……」

「決まっているでしょう、指輪を回収しに来た。……というのは御母様から国を出るための許可を得る建前、本当は白銀の付与魔術師様を見に来たの」

「オレを見に……?」


 ヘルと呼ばれた口の悪い少女は、先程から目が全く笑っていない。

 まるで深淵のような不気味な瞳に見つめられて、ソラは全身に鳥肌が立つ。

 先程の二体の騎士が獰猛どうもうな獣と例えるならば、今目の前にいる少女は余りにも異質過ぎて、底が見えない闇を覗いているような気持ちを抱かされる。

 少女は先程から立ち上がろうと頑張っているアリサを一瞥いちべつすると、楽しそうに笑った。


「……あら、魔槍の担い手さん。貴女でも流石に片腕では、重力の結界内で立ち上がる事は出来ない?」

「そうね……流石にこれは、厳しいわ…… 」


 諦めた彼女は脱力して、ソラ達と同じように地面に倒れた。

 これで全員が動けなくなったわけなのだが、見たところ倒した二体の騎士以外に伏兵が出てくる様子はない。

 しかも、スキルの効果でオレ達を拘束しているが、同時に彼女も攻撃手段は封じられている状況である。

 手にしている錫杖は魔術の補助具で刃物の類は付いていない、つまりはこの状況でオレ達に何かをする事は出来ないと予想できる。

 互いに手を出せない状況の中、少女は一切余裕を崩す事なく次の行動に移った。


「ふふふ、ようやく皆さん静かになってくれた。それでは先ずコレを回収しておきましょう」


 ヘルは右手を前にかざし「従順なる騎士の器よ」とだけ口にする。

 彼女の言葉に呼応したのは、倒れて動かなくなった二体の騎士だ。彼等の身体は光の粒子となり、そこから散るのではなく一箇所に集まり光り輝く球体となり少女の手中に収まった。

 一体これから何が起きるのか。

 気になったソラは、拘束されながらも好奇心からヘルの行動を固唾を飲んで観察する。


「魂を失いし騎士の器よ、闇の巫女に与えられし権限により、今再びよみがえりなさい」


 シンプルな呪文を唱え終えると、二つの光が再び先程の騎士の姿をかたどる。

 失っていたグレートヘルムの隙間から覗く二つの目には意思の光が宿り、状況を確認するように周囲を見回す。

 二体の騎士は状況を理解すると、少女に対して即座に片膝をついて頭を垂れた。

 ソラ達が苦労して倒した大戦斧使いと太刀の使い手は、どうやら少女の能力によって完全に復活を遂げたらしい。


『……姫様、お手を煩わせて申し訳ございません』

「黙れ負け犬、敗者はそこで待機していなさい」

『承知しました』


 ヘルの命令に従い、彼等は口を閉ざす。

 その一方で、アストラルオンラインで確実に倒した敵が復活する様を見せられたソラは、驚きの余り呆然と彼女達を眺めていた。


「今のは……」

「これは冥国の姫だけが持つ力。印を与えた者が死んだ時に、一時間以内なら一度だけ生き返らせる事ができるユニークスキル〈リバイバル〉よ。……と言っても、天命の数だけ生き返るアナタ方冒険者からして見たら、とてもちっぽけでささやかな能力だけど」


 自嘲気味に笑った後、少女はオレを観察するように視線を落とした。

 

「良い顔ね、コレが“あの女”が大切にしている、世界を終わらせる黙示録の……」


 途中で口を閉ざし、彼女はジッとソラの事を上から見下ろす。


 あの女? 黙示録?


 口にした言葉の意味が分からなくて、ソラは眉をひそめる。

 彼女はその様子を見て、心の底から実に楽しそうに、小悪魔的な笑みを浮かべた。


「何も知らないのね。……良いわ、一つだけ面白い事を教えてあげる。貴方が世界に選ばれたのは、けして偶然なんかじゃないのよ」

「……オレが選ばれたのが、偶然じゃない?」


 それはもしかして、ゲームを始めた時に最初から魔王と戦った事について言っているのか。

 もしもそれが本当ならば、一体誰がオレを選んだというのか。どんな目的で、どんなメリットがあるというのか。

 今まで謎とされた一つに言及されて、この状況をどう打破するか考えていたオレは、頭の中が一杯になってしまう。

 全員の視線を一身に受けながら、彼女はそれ以上は何も言わなかった。

 身を翻したヘルは待機している二人の騎士の側まで歩み寄り、最後にラウラを見ると、


「──歌姫の卵さん、貴女が覚醒していたらオマケで指輪を狙っても良かったんだけど。その様子じゃ、あの試練を越えるのは無理そうだから大人しくやめとくわ」

「ヘル姫様……」


 彼女が指を鳴らすと、何もない空間が歪んで大きな円形を描く。

 その先には、見たことがないお城のような景色が確認できた。


「目的も果たす事ができたし、それではソラ様、またどこかで会いましょう」


 最初にヘルが歪みの中に入ると、最後に二体の騎士は、オレを一目して歪みの中に消えていった。

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