第180話「ノンアクティブ」

「ウソだろ、遂にモンスターまで出るようになったのかよ!?」

「ちょ、逃げないとヤバくない!?」

「すっごーい、写真撮らなきゃ!」

「モンスターを刺激する行為はやめなさい、生徒の皆さんは慌てず校舎に避難して!」


 目の前に現れた怪物に、大きくざわめく学生達。彼等の顔には困惑と恐怖といった二種類の感情が浮かんでいる。

 中には初めて目にするモンスターの存在に、目を輝かせてスマートフォンのカメラを向ける者もいた。


黎乃くろの祈理いのりの側で待機、オレが行ってくる!」


 相棒に指示を出して、蒼空は頭の中に思い浮かぶ〈速度上昇付与〉のスキルを発動。

 オリンピックで優勝できそうなくらいの足の速さで、生徒達の間を駆け抜ける。

 あっという間に蒼空は、騒ぎの中心にいる、モンスターの目の前まで移動。

 教師達が懸命に避難誘導をしている姿を尻目に、この世にあってはいけない存在を、蒼空は正面から睨み付ける。


 〈インクリィーシン・クラブ〉。


 それはアストラルオンラインに登場する、冒険者達と敵対するモンスターの名前。

 海の国〈エノシガイオス〉では、最近トップクランの冒険者達によって最も狩られているモンスターだ。

 Dランク程度の武器では、防御値を抜いてダメージを与える事もできない程の甲殻こうかく。唯一の弱点は剝き出しになっている防御値の低いお腹。

 注意するべきポイントは、一度捕まると抜け出す事が困難なハサミか。

 攻略法としては、体当たりや打撃は見て回避は余裕。左右のハサミに掴まれないように気を付けていれば、怖くないといった評価である。

 しかし、これはあくまでゲームのデータ。リアルに出現した怪物が、全く同じ行動パターンなのかは分からない。


「遂にモンスターがわくようになったのか……」


 雨でずぶ濡れになりながら、蒼空は緊張した面持ちで呟いた。

 モンスターのサイズは全長二メートル。

 大きなハサミは、大人一人程度なら余裕で挟めそうなサイズ。自分が挟まれたらどうなるか、想像するのは容易い。

 正直に言って、内心では目の前に立っていることを後悔していた。

 感知範囲内にモンスターの反応、それと悲鳴を聞いて思わず現場に飛び出してきたが、全くのノープランだ。

 かと言って、今更ここから逃げる事は許されない。もしそうしたら情けない冒険者として広まり、今後の学校生活に多大な影響を及ぼすだろう。


 上條蒼空、勇気を振り絞れ。


 少しばかり震える足を強い意思で地面に縫い付け、オレはモンスターと相対する。

 ゲーム内と違って、当然だが手元に武器は無い。


 いざという時、手刀だけでヤツの胴体を打ち抜けるか?


 避難している学生達が固唾を呑んで見守る中、蒼空が敵の動きを警戒していると。


『カニィ!』


 以前にゲーム内で聞いた鳴き声を口にしながら〈インクリィーシン・クラブ〉は急に走り出す。


「ッ!?」


 蒼空は突進攻撃だと思い、左に跳んで迫る敵の身体を回避。

 だがすぐに自身の選択を、後悔する事になった。

 何故ならば回避した後にモンスターは再度向かって来ず、そのまま背後の学生たちが開けた道を通って、この場を去ろうとしたから。


「ちょ、待……!?」


 攻撃ではなく、まさかの離脱。

 慌てて止めようと、蒼空は濡れたコンクリートの地面を蹴って駆け出す。

 すると、最悪なタイミングで恐怖に固まってしまった女学生が、モンスターの行く手を塞ぐような形になる。

 ヤバいと思うが、既に状況は手遅れ。

 このままだと〈インクリィーシン・クラブ〉と彼女が、衝突してしまう。

 質量的にも、アレが何の防具も身に着けていない人間にぶつかれば、どうなるのかは想像するまでもない。

 この場にいる誰もが、最悪の事態を想像して、凄惨な結末から目を背ける。


 ───だが、そうはならなかった。


 走る蒼空の目の前でモンスターは少女の目の前までやってくると、急に図体に似合わぬ華麗な身のこなしで衝突を回避。

 そのまま「カニー」と、ツッコミどころしかない鳴き声を上げながら、雨の中どこかに消えていった。

 余りにもシュールな光景に、その場の誰もが固まったまま動けなくなる。


 避けた……のか?


 尻もちをついた女学生に、教師達が駆け寄って安否を確認する。

 幸いにも怪我はないようで、放心状態の彼女は速やかに保健室に運ばれた。

 ポカーンと口を半開きにして、足を止めて何もできなかった蒼空の真横に、誰かが並び立つ。

 黎乃かと思い視線を向けた先には、予想を外して白髪金眼の自称神様、エル・オーラムがいた。

 見た目十代前半の、妖精みたいな白いワンピースを身に纏った少女。

 傘を持っていないので、その小さな身体を雨で濡らしているかと思いきや、不可思議な力で周囲に結界みたいなものを発生させて、雨から身を守っている。


 うわ、出た。


 急に現れた自称神様に対して、警戒心を抱いていると、彼女は先程のモンスターのおかしな挙動について説明をした。


「アレは此方から手を出さなければ、無害な部類ですよ、ソラ様」

「どうして、そう言い切れるんだ」

「世界の制約……この世に出現するモンスターは、二つを結びつける〈世界樹(ユグドラシル)〉を介する際に、アクティブ性がノンアクティブに変わるからです」


 世界の制約。

 何やら聞き慣れない単語に、思わず怪訝な顔をする。

 蒼空の顔を見たエルは、少しだけ考える素振りを見せると。


「何それって顔をしてますね。説明は、要ります?」

「ああ、説明してくれ」

「簡単に言うのなら、制約はモンスター達に世界が課す呪いです。天上にポップする代わりにダメージを受けるまで、彼等は人に一切手を出してはいけないのです」

「なるほど。という事は、攻撃とかしなければアクティブになることはないのか」 

「そういうことになりますね」


 例えるならば、安全装置みたいなものか。

 言われただけならば、納得する事はできなかっただろう。

 しかし、蒼空の目の前で起きたを襲わなかった現象は、その事を裏付ける。

 彼女の言葉を聞いた、周りの学生達からは「そうなんだ、よかったー!」「手を出さなければ大丈夫なのね!」「神様が今言ったことSNSで拡散しなきゃ!」という安心した声が上がって。

 ただ唯一気になる事と言えば、そこまでしてこの世界にモンスターが出てくる事に、果たして意味があるのか。


 うーん、わからん。


 いくら考えても、すぐに答えは出てきそうにないので、取り敢えずこの件は保留する事にした。


「全てのモンスターがノンアクティブか……。でもそれって、万が一攻撃したら襲ってくるようになるんだから、対応を間違えると大惨事だよな?」

「そうですね。ですのでこれから、全国放送で国のトップから注意喚起がされるでしょう。私もお仕事があるので、ここら辺で失礼します」


 仕事があるのに、何でこんなところにいるんだ。

 蒼空が疑問に思っていると、エルは笑顔で踵を返す。


「そろそろ、朝のホームルームが始まりますよ。特にソラ様は、またお召し物を変えないといけなさそうなので、急がれた方が良いと思います」

「……あ」


 全身ずぶ濡れの自分の姿に、蒼空はハッとした顔になる。

 彼女は、小悪魔的な微笑を口元に浮かべた。

 

「うふふ、ちゃんと予備の服はありますか? 持参しないと学校には、男子制服の予備はありませんからね」

「なんでそんなことを知って──まさか、お前の仕業か!?」

「神様は、そんな邪神みたいなことはしませんよ」


 彼女は否定して鼻歌混じりに、校門の前に止まっている白い車に向かって、この場から歩き去る。

 小さな後ろ背中を見送った蒼空は、深い溜め息を吐いた。


「はぁ、どう考えても変だと思ってはいたんだよな……」


 肩を落として、その場で立ち尽くす蒼空。

 不意に隣りに誰かが並び立つと、身体を打つ雨がシャットアウトされる。

 今度は安心して視線を隣に向けると、傘をさした黎乃と祈理が、自身と蒼空のカバンを持って立っていた。


「蒼空、大丈夫?」

「……蒼空君、怪我はない?」

「ああ、オレは避けたから、怪我もないし大丈夫だよ。……服は、着替えないとヤバいけど」


 全身びっしょりに濡れた蒼空を見た黎乃は、どこか呆れた顔をしている。


「保健室に行って、着替えないとダメそうだね」


 返す言葉もない。

 彼女の言葉に、蒼空は大人しく従う事にした。


「そうだな。風邪なんてひいたら洒落にならないし、大人しくそうするよ」

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