第179話「資産家の娘」
眠っていると、頭の上らへんに無造作に放り投げられているスマートフォンが大きな音を出す。
〘お二人とも、もう朝ですよ。起きてください〙
「うーん、もうそんな時間なのか……?」
「ふにゃ~」
最近目覚まし時計となりつつあり、ゲーム内よりもサポートシステムとして活躍している〈ルシフェル〉の無機質な少女の声に目を覚ますと、蒼空はゆっくりと小さな身体をベッドから起こして壁に掛けてある時計に視線を向ける。
時刻は午前7時10分。
時間的に言うのならば、もうそろそろ学校に行く準備をしなければヤバい。
Tシャツと短パンを雑に脱いで、神里高等学校の男子指定の白いシャツと紺色のズボンに着替えながら、隣で何故か何のためらいもなく着替えだしている
ツッコミを入れるべきなのだろうが、今は頭が回らないし面倒くさい。
彼女は妹みたいな存在なのだから、気にするほうがヤバい。
そんな考えで、意識しないように努めていると。
ふと何か違和感を感じて、カーテンが閉じられている窓に視線を向ける。
あれ? 外が明るい?
この一週間はずっと雨模様だったというのに、外からは日が差し込んでいる。
まさか〈アストラルオンライン〉の災害が消えたのかと思い、異変に気が付いていない黎乃を背にして窓に歩み寄った蒼空は、カーテンを恐る恐る開いていく。
するとそこには、空いっぱいに広がる青空と────それとは反対に地上には土砂降りのような大雨が降り注いでいた。
Oh……、なんだこれは。
この現象にぴったりな言葉を選ぶとするのなら、狐の嫁入りだろうか。
どこからどう見ても異常気象。
〈アストラルオンライン〉の影響が消えていない証拠である。
降り注いでいる雨は実に勢いが強くて、傘をさして外を歩いている学生達やスーツ姿のサラリーマン等がしんどそうな顔をしていた。
窓から見ただけで、濡れないで登校するのが大変なレベルの降雨量だと察することができるのだから、実際に外を歩いている彼らの気持ちは間違いなく現在進行形でどん底を低空飛行している。
今から自分たちも同じ思いをするのかと、蒼空は久しぶりに拝むことができた現実の太陽を眺めながら溜息を一つ。
うわぁ、学校に行きたくねぇ。
そんな感想を抱いていると、隣で何事なのか様子を見に来た黎乃が「ふぇー、すごいね」という短い感想を口にした。
オレは気持ちが萎えているのだが、彼女は目を輝かせている様子。
これが若さなのかと、まだ高校一年生だというのにしみじみと思っていたら、背後の扉が開けられて誰かが入ってくる。
最近はクセになっている感知スキルを使用して、妹の
妹はテンションの低いオレの様子に少しばかり呆れた顔をすると、
「さっき
「……マジか! それは助かるな!」
少しだけ、明るさを取り戻す蒼空。
この雨の中を進むと、この前と同じように濡れて女子の制服を着るなんて事も十分にあり得るから、車での送迎はとても有り難い。
そうと決まればさっさと朝食を済ませるために部屋を出ようとすると、黎乃が蒼空の肩を軽く叩いてきた。
どうしたのだろうと振り返ると、少女は一つだけ質問をしてくる。
「そういえば祈理ちゃんって執事さんがいるけど、すごいお金持ちなの?」
黎乃の質問にオレは、そういえばちゃんと説明していなかったなと思った。
◆ ◆ ◆
四人の少女───その中の約一名の中身は男だが───を乗せた黒いベンツは、中学校の前で詩織を下すと大雨の中を再度走り出す。
別れ際に軽く手を振る妹に対して、黎乃が手を振り返す光景を微笑ましく眺めながら、蒼空は広い空間に向き合うように正面の椅子に腰かけている祈理を見る。
オレの視線を受けて、ゲーム内のアバターと同じように片目を長い髪で隠している少女は、少しだけビクッと震える。
黎乃が疑問に思っている旨を伝えると、許可を得てから以前に彼女に聞いた情報を口にした。
「えーと祈理の家は、ここら辺じゃ有名な資産家でホテルの経営とかしてるんだったよな?」
「うん、合ってるの……」
「そうなんだ、執事さんとかメイドさんがいるってすごいね」
「……ほかの人達からも、同じようなことを言われるの」
祈理には、送迎と身の回りの世話をしてくれる執事とメイドが、二人付いている。
理由としては仕事であまり家にいない両親の代わりに、病弱で自分のことですら上手く面倒を見ることができない彼女の生活を、二人にサポートしてもらうためだ。
ちなみにあくまでサポートなので、すべてを二人がするわけではない。
病弱だから仕方がないと寝込んでいては、何もできない人間になってしまうことを両親は一番に心配している。
故に体調の具合を見ながら、少しだけ家事などは彼女もやっているらしい。
二人は祈理にとっては、使用人と主の愛娘ではなく友人とか家族という感覚に近い。
時折屋敷に二人の家族を呼んでは、みんなで食事をする事もあるとの事。
「……とはいえ、良くありがちな両親とも交流がないわけじゃないの。外で思いっきり遊ぶことのできないわれの為にVRゲームを買ってきてくれたし、時々一緒にゲームをする程度には遊んでくれてたの。今は……〈アストラルオンライン〉のアレコレで、忙しいみたいだけど……」
「うん、厳しいけど優しい両親なんだね」
両親の話が出てオレは内心ドキッとしたが、遂にアリサと会えたからか黎乃は微笑を浮かべて受け止め、祈理の言葉に頷く。
祈理は、どこか緊張した面持ちで黎乃をジッと見つめる。
その様子から彼女がこれから何を話すつもりなのかを察した蒼空は、黙って見守ることにした。
「く、黎乃ちゃんにわれは、……見てもらいたいものがあるの……」
「祈理ちゃん、どうしたの?」
唐突な話に小首をかしげる少女に、祈理は左目を隠している長い髪を横にどける。
するとそこにあったのは、黒い瞳ではなく碧い色をした瞳だった。
──オッドアイ。
小学校の時には、左右の目の色が違うことでイジメられた事がある祈理は、それ以降自身のコンプレックスになり髪を伸ばして隠すようになった。
それを今この場で黎乃に見せたのは、友人として接してくれる彼女にずっと隠し事をしたくないから。
全てを晒した少女の手は、小刻みに震えていた。
もしも小さいときに、自分を拒絶した者達と同じ反応をされたら。
そんな可能性を考えてしまい、祈理は額に薄っすらと汗を浮かべる。
でもオレは何の心配もしていない。
だって相手は黎乃だから。
少女は緊張した顔をしている祈理を見て、何か察したかのような顔をすると、次にくすりと笑った。
「綺麗な目だね、まるで宝石みたい」
「……っ、りょ、両親や蒼空君からも、同じ事を……言われたの……」
緊張していた顔は一転、泣きそうな顔になる。
黎乃は座席を軽く移動して祈理の隣に腰掛けると、彼女の手にそっと触れた。
「祈理ちゃん、教えてくれてありがとう」
「……う、うん」
本当の意味で友になった少女達を見守りながら、蒼空も温かい気持ちで満たされる。
さて、これで今日から始まる海底神殿の攻略も、より一層に頑張れそうだ。
そう思った矢先の事だった。
学校の前で車が止まると、学生達の悲鳴が外から聞こえる。
弾かれたように動いた蒼空は、車の外に出るとソコで信じられないモノを見た。
赤い甲殻に鋭いハサミ。
二つの目で此方を見据えるソレは。
紛れもなく〈アストラルオンライン〉のモンスター〈インクリーシィン・クラブ〉だった。
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