第168話「真紅の槍使い」

 大技を使った反動で、ソラは少しの時間だけ硬直を強いられる。

 確認できる〈バースト・チャージ〉のクールタイムは600秒。つまり今から10分間は、このスキルを使用する事が出来ない事を意味する。


 60秒のスキル硬直を終えて、小さな吐息を一つ吐くソラ。

 ストレージから取り出したミネラルウォーターみたいな素朴な風味のポーションを飲み干し、自身のHPを全回復させると、倒れたまま動かない敵を見据えた。


 見たところHPゲージは一本削れただけで、まだ二本も残っている。


 これがボス戦ならば、まだ序盤が終わったばかりで、中盤から終盤に向けての戦いはこれからといったところ。


 しかし、一向に倒れたまま敵に動きが見当たらない。


 罠なのか、それともこれで本当に終わったのか。

 光の粒子になっていない所から察するに終わってはいないのだろうが、どちらにしても確かめないといけないか。


 警戒しながらソラは、ガントレットをクイックチェンジで収納して片手用直剣の〈白銀の魔剣〉を再度右手に装備。


 何が来ても対応できるように慎重になって、灰色の少女に向かって歩み寄る。


 すると残り5メートルという距離で「ガハッゴホッ」と咳き込むような音を出して、灰色の少女がゆっくりと頭を持ち上げた。


 その表情には、拳を貰った事に対する怒りや憎しみは微塵も浮かんでいない。


 誰もが分かりやすく言うのならば、喜びの感情だ。


 まだHPが二つ分残っているのだから、敵に余裕があるのも当たり前なのだろう。


 やはり様子見をしないで、動かない内に止めを刺すべきだったか、とソラは少しだけ慎重になったのを後悔した。


 自身の華奢きゃしゃな身体を両腕で抱いて身悶みもだえる少女は、その彩色の違う二つの目に劣情の暗い闇を宿す。


 これまで自分に向けられたことのない──いや、ヤンデレゲームの少女という名の悪魔があんな目をしていたか──感情を見て、ソラは少しだけ身震いする。


 少女は熱い溜め息を吐き出し、生理的に拒否感が出るような視線を向けながら、オレに対して告白した。


「ああ、好き、大好きですよ。たった一人でイヴと……イヴリースと此処まで戦えるなんて、やはりアナタは強いですね……ルシファー」


 ぶつけられるのは戦意ではなく、もっとおぞましい熱の入った愛の眼差し。


 歩みを止めて身を守るために剣を構えながら、ソラは彼女の名を口にした。


「イヴリース、それがおまえの名前か」


 名を呼ばれると、少女は嬉しそうに笑った。


 手にしていた剣を消して、まるでお姫様のように上品にスカートをつまみ上げ、綺麗にお辞儀じぎをした。


「改めて自己紹介します。イヴの名前はイヴリース、世界より生み出された闇をもたらす者です」


闇齎者やみをもたらすもの……」


「はい、光齎者ルシファーの対となる存在、それがイヴです」


「対? オレとオマエが?」


 さらっと自分と目の前の天使との関係を教えられて、ソラは眉をひそめる。


 つまりライバル的な関係なのかな、と思っているとイヴリースは爆弾発言をしてきた。


「対となるイヴとアナタは、いずれは赤い糸によって結ばれる運命です」


「急に何を言い出すんだオマエは」


「天上に住まうアナタには、分かり辛かったですか。分かりやすく言うとつがいになるんですよ」


「つがい?」


「はい、番です」


 そういえば出会った時に伴侶だとか何とか、わけが分からん事を言っていた気がする。


 確かにこのゲームは説明で、結婚したり色々と出来るというのは記載されていたけど、相手は言うなればボスモンスターだぞ。

 出来るできない云々以前に、倒さないといけない筈なのだが。


 もしかして、どこかでイヴリース攻略ルートのフラグ立てでもしてしまったのか。


 考えられるとしたらユニークスキル〈ルシフェル〉を獲得した事なんだろうが、それにしたって順序というものがある。


 過去にヤンデレの恋愛シュミレーションゲームで、初っ端から婚姻こんいん届をヒロインから出されて困惑した時を思い出す程の急展開だ。


 あの時は断ると即座に拉致らちされて監禁エンドでゲームオーバーしたが、まさかコイツも似たような事をしてこないよな。


 戦うのと違ってこういう展開は苦手だ、先程とは比較にならない程に緊張してしまう。


 一体いつの間にヤンデレゲームの中に迷い込んだのだろう、と思うほどの話の展開に戸惑いを隠せないソラ。


 とりあえず返事としてオレは、こう答えといた。


「番とか付き合う云々は、もっとお互いの事を知り合ってからでも良いんじゃないかな……」


「それなら剣で語り合いましょうか」


 バサッと、イヴリースの背中に白と黒の羽が生える。

 少女の身体は浮力を得て、数十センチ程船から足が離れて空中に浮かぶ。


 頭の上に出現したのは、どのゲームでも天使に見られる円形の輪っか。


 第2ラウンドの戦闘が始まる、と思った時の事だった。


「───な」


 羽ばたくと同時、一瞬にして距離を詰められたソラは首を右手で掴まれ、そのまま勢いよく投げ飛ばされた。


 不味い、受け身間に合わなッ!?


 背中から船のマストに叩きつけられたソラは、三割ほどのダメージを受けて呼吸が止まる。

 更にイヴリースは羽を数枚自身の双翼から抜き取ると、それを鋭い刃に変換。

 何が来るのか察したソラは、慌てて回避する為にソニックステップを発動させようとするが。


 無数の閃光が、それよりも速く空間を駆け抜ける。

 いくつかは切り払う事に成功したが、漏らした内四本が両腕と両足に半ばまで突き刺さる。


「が、……ッ!?」


 HPが減少して残り四割に。

 鮮血のダメージエフェクトを撒き散らして、ソラは片膝を付いた。


 身体はスタンしていて動けない。


 強いなんてもんじゃない。


 これが〈闇齎者イヴリース〉。


 最初の戦いが児戯じぎに思えるほどの、圧倒的な速度と物量を兼ね備えた強さに、ソラはここから勝機を見出す事が出来なかった。


「ふふ、少し本気を出しただけで、もう終わっちゃいましたね。やはりまだ今のルシファーでは、ここが限界ですか」


 止めを刺さずに、イヴリースは背を向けると、船内に入るための扉に向かってゆっくりと歩き出す。


「それではだいぶ時間を掛けてしまったので、今から船内にいる海の姫を抹殺して、天上の世界に闇を届けるとしましょう」


「ま、て……ッ」


「スタンしているのに動こうとするなんて、素晴らしい英雄気質です。アナタが武を極め神域に至る時を、楽しみにしています」


 そう言って彼女は、もう振り返らない。


 ラウラを殺す為に船内に向かおうと足を運び、そしてドアノブに手を掛けようとすると───


「ッ!?」


 イヴリースは何かに弾かれたかのように動き、バックステップをして天空から飛来した一筋の真紅の閃光を回避した。


「これは、まさか!」


 進路を塞ぐように、地面に突き刺さった真紅の槍を見て、イヴリースの声に焦りの感情が生じる。


 槍の到来から少し遅れて、夜空から漆黒の髪の女性が飛来してくると、女性は突き刺さった槍を引き抜き地面を駆けた。


「あらあらあら、一人優雅に船旅していたら、まさかこんな所でイヴちゃんに会うなんて思いもしなかったわね」


「なんでこんな所に──〈千之槍サウザンドランサー〉がいるんです!?」


 驚きの声を上げるイヴリース。

 先程ソラを倒した時と同じように羽を複数周囲に展開させて、女性に向かって一斉掃射する。


 しかし赤と白の法衣を纏う漆黒の髪の女性は、無数の羽の刃を難なく槍で打ち落としながら、楽しそうに笑った。


「それは私も聞きたいところだけど、どうせ〈闇齎者〉として良からぬ事でも企んでいるんでしょう!」


 信じられない事に、女性はイヴリースの攻撃を全て防ぎ、避けながら進軍していく。

 その大胆かつ繊細な動きは、どこか師であるシノの面影を重ねた。


「お互いに混乱しているけど、とりあえず一発殴っておくわ!」


 なんと脳筋思考。


 羽の刃を突破した女性は、鋭い突き技を放ってイヴリースの胴を貫かんとする。


 危ないところで鋭い槍の一撃をステップ回避したイヴリースは、そのまま地面を蹴って天高く飛翔して停止。


 彼女の表情には、悔しさがにじみ出ていた。


「……そろそろルシファーも復活する頃合い。アナタ方二人を相手にしても負ける気はしませんが、タイムリミットが迫ってます。今回は撤退しましょう」


「あら、それは残念ね」


「また会いましょう、ルシファー。その時には挙式をあげたいものです」


 色々な過程をスキップする気か、とツッコミを入れる間もなくイヴリースは背を向けて夜空に飛翔して姿が見えなくなる。


 静寂が戻ってくると、残されたソラは女性と二人っきりになった。


 洞察スキルによると、彼女はベータプレイヤーである事が分かる。

 見た目が十代後半っぽい女性は優しい微笑を口元に浮かべて、ソラにこう名乗った。


「はじめまして、このアストラルオンラインに〈光齎者ひかりをもたらすもの〉冒険者ソラ君。貴方の事はメッセージでハルト君から聞いているわ」


「貴女は……」


「私の名前はアリサ、貴方とお付き合いしているクロちゃんのママよ」



 ナ、ナンダッテー!?



 ソラの心の底からの叫び声は、夜空に響き渡り、気絶していた船員達の意識を覚ます程の衝撃波を引き起こした。

 

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