第148話「カニの鳴き声とは」
次の日の朝。
オレは日課になっているジョギングとシャワーと朝食を終えると、自室に戻ってベッドに横になった。
今日のプレイ時間でやるべき事は、取り敢えず次のイベントが発生するまでに、できるだけレベル上げを頑張る事。
いつものように「ゲームスタート」と口にして、蒼空は冒険者ソラとして〈アストラルオンライン〉の大地に降り立つ。
真っ暗な視界は切り替わり、昨日最後にログアウトした貸し部屋のベッドの上で目を覚ました。
ゆっくり身体を起こすと、真横には同時にログインした黒髪の少女──クロがいて、二人は真正面から視線が合う。
「ほとんど同時だったね」
「ああ、そうだな」
彼女の花のような笑顔を直視できなくて思わず目をそらすと、ソラは少しだけ頬を赤く染めて同意する。
現実世界で彼女の容姿は、ロシア系の銀髪碧眼だ。
しかしこのゲームでは、アバターのカラーリング設定のところに銀や白等の色は存在しない。
故に日本人である父親に合わせて、クロは黒髪黒目のアバターを使用している。
元が可愛いから、黒髪も実によく似合う。
口に出すと恥ずかしいので、心の中で思うだけにして、ソラはベッドから起き上がる。
二人でストレッチをした後に、クロは可愛いネグリジェから、装備をバトルドレスに切り替えた。
正直に言って、このゲームで着替える意味は全く無い。
しかし現実世界にはないデザインの服を着れるのが楽しいと、最近クロはログアウトする前は毎回違う服を着たり、メイン装備のバトルドレスに合わせてタイツの色を変えたり、色々とファッションに力を入れている。
その様子はオレに見せるためにやっているような気がするけど、万が一間違えていたら恥ずかしいので、未だに聞いてはいない。
今日は小道具にクロはカチューシャを身に着けて準備を終えると、腰にオレは白銀の片手用直剣を、クロは鮮やかなラベンダーカラーの片手用直剣を下げた。
「ソラ、どうかな?」
「ああ、今日も可愛いよ。それじゃ行こうか」
「うん!」
嬉しそうに笑って
目的は今日から日課にすると決めている、港の管理者に話をする事で受けられるカニ型モンスターの討伐クエストだ。
タイトルは【カニの大発生】というもので、8月から9月にかけて限定的に発生するイベントらしい。
ちなみに限定クエストだからか、これに出現するカニ型モンスター〈インクリーシィン・クラブ〉は獲得できる経験値がかなり高いらしい。
教えてくれたのは自称VRジャーナリストのリンネで、あまり戦闘が得意ではない代わりにこういった形で冒険者達に貢献すると、昨日メッセージのやり取りで何やら意気込んでいた。
一体どういう心境の変化なのやら。
全く心当たりのないソラは、とりあえず今後入手した情報を提供する代わりに、良い情報を教えてもらうことを約束している。
「うわぁ、いつ見てもワクワクするね」
思考にふけっていると、緩やかな坂道を足早に下りながら、隣に並ぶクロが目を輝かせた。
二人の前には、ファンタジーでは定番の中世のヨーロッパの下町と大きな港、それと海上に並んで停泊しているいくつもの
歌と海の国〈エノシガイオス〉。
歌は代々王族の姫が継承しているもので、月に一回港で海に感謝を捧げる歌唱が行われるらしい。
その美声は各国の王族がわざわざ足を運んでくる程で、その日だけは歌姫の声だけが街と海に響き渡ると言われている。
そして海は分かりやすく、目の前にある港だ。
面積はとても広く、形状は分かりやすく例えるのならば『く』の字になっている。
漁業が盛んな朝の街は賑やかで、出店では捕れたての魚を
後は運び込まれた輸入した野菜とか果物とか、取引を終えた店が並べて販売を始めている。
それを目当てに国の人々が港に集まってきていて〈ヘファイストス王国〉の朝市に負けず劣らずの賑やかな景色がそこにはあった。
しかし、オレ達の目的は物を買うことではない。
視線の先にあるのは、横並びにずらっと並んでいる中世の大型船。
それらは
ファンタジーでよく出てくる定番の海の大型モンスターなら、クラーケンとかそこら変だろうか。
活気に溢れる人混みの間を巧みに抜けながら、港であれこれ指示を出している年老いた男性の前で、ソラとクロは足を止めた。
「すみません、クエストを受けたいんですけど良いですか」
「ああ、お嬢ちゃん冒険者様か。もしかしてジャマなクラブ共の間引きをしてくれるのかい?」
「はい、そうです」
ソラが答えると、青い髪の老人は嬉しそうにシワだらけの顔に深い笑みを浮かべた。
「そいつは実に助かる。どいつもこいつも忙しくて、面倒なクラブを放置するしかなくて困ってたんだ」
言われて見たところ、周囲にそれっぽいモンスターは見当たらない。
クエスト用のセリフといったところか。
目の前に二択の選択肢が出てくると、オレは迷わずに【Yes】をタッチしてクエストの受注を済ませる。
「それじゃ奴等が食いつくエサと釣り竿を、そこのお嬢さんとアンタに10セットずつ渡しておく、20体倒したらわしに報告してくれ」
「わかった、行こうクロ」
「はい、がんばります」
二人は作業の邪魔にならない場所を陣取ると、釣り竿を手にウィンドウ画面を開き、何も設定していない左手に〈使い古された釣り竿〉を装備する。
釣りなんてVRゲームでするのは実に久しぶりだが、ガイドが出現してお手本を見せてくれるので、問題なく使えそうだ。
エサをセットして、周囲に気をつけながら細長い竿を振りかぶり、そこから全力で投げる。
オーバースローで投じられたエサは、海にポチャンと落ちる。
真横で見守っていたクロも、見様見真似で同じようにエサを投じようとすると。
オレの投げた竿がいきなりしなり、ピンっと糸が真っ直ぐになる。
何かが引っ張るような強い動きを見せると、竿を手にしていたソラは驚きを口にした。
「はっや! もう引っかかった!?」
ビックリしながらも、視界の端に出るガイドに従って竿を立てて糸を巻く。
中々な力だったが、ソラは徐々に逃げようとする獲物を引き寄せていった。
すると途中でエサに食いついた主は、あと少しまで来ると、何を思ったのか方向転換をして此方に向かって来た。
「クロ、戦闘準備!」
「りょーかい!」
海上に浮上してきた相手は、そのまま勢い良く海中から飛び出して、空高く舞ってクルクルと二回転して地面に着地する。
ソラ達の前に現れたモノ。
そのシルエットは紛れもなく──カニだった。
品種は店なんかでよく見かける、真っ赤な
だがなによりも、ソラ達を一番驚かせたのは。
『カニーッ!』
「他に鳴き声なかったのかッ!?」
やる気満々な顔?をする〈インクリーシィン・クラブ〉レベル59を、ソラは三つの強化付与を施してある白銀の剣を抜いて駆け出す。
敵は迎撃に〈クラブ・シザース〉を発動するが、オレは顔面を狙うハサミをしゃがんで回避して懐に飛び込むと、雷属性を付与した刃を上段に構える。
垂直強撃とレベル5の雷属性付与の複合スキル、その名は──〈サンダー・バーティカル・スラッシュ〉。
天から落ちる雷の如く、全力で振り下ろされた一撃が、モンスターの硬い
『カ、カニィ!?』
そんなバカな、と叫んだように聞こえたのはきっとオレの気のせいだろう。
均等に左右に分割された〈インクリーシィン・クラブ〉は、
はぁ、と何だかツッコミ疲れしたソラは、肩で大きく息を吐いて白銀に輝く剣を鞘に収める。
大量の経験値とカニのハサミっぽい物がドロップした後に、
すると辺りが、何やらシーンと静かになっている事に気がつく。
一体どうしたのかと周囲を見てみると、そこには運搬作業をしている船員達、荷物を確認しに来た市場の者達、先程クエストを受けた爺さんが目を丸くしてオレの事を凝視していた。
彼らは皆、ガタガタ小刻みに震えた指で怪訝(けげん)な顔をするソラの事を指すと、大声で叫び声を上げる。
「「「あのクソ硬カニを一撃で倒しただとッ!?」」」
その叫びで、全てを察する。
どうやらオレは、また何か非常識な事をしたようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます