第139話「竜の庭園の決戦③」


 赤髪の竜皇女りゅうこうじょアリスは、天蓋付てんがいつきの白いベッドの上で横たわり、いまだ動けないでいた。


 ベッドのそばには自分の手を握り、小さな少女サタナスが祈るように、メイドが気をつかって設置してくれた椅子に腰掛けている。


 あれから一体、どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 部屋の大きな窓の向こう側に視線を向けると、そこからは激しく何かがぶつかる音と共に、窓ガラスが小刻みに振動する程の衝撃波が何度も起きていた。


 外では冒険者達と〈魔竜王まりゅうおう〉ベリアルによる激しい戦いが今も尚、繰り広げられている。


 相手は一年前に倒す事が出来なくて〈竜の巫女〉の力を持つ母が、その身を犠牲にして漸(ようや)く封印する事が出来た怪物。


 世界に七体だけ存在する〈大災害〉の一体〈傲慢ごうまんの魔竜王〉ベリアルだ。


 城の者の会話を聞いていた限りでは、ソラ達冒険者は精鋭とはいえ、たったの43人で挑んでいるとの事。


 1万の兵ですら壊滅寸前まで追い込まれた、あの〈大災害〉を相手にするには余りにも少なすぎる。


 自分も手練の兵を引き連れて加勢に行きたい所だけど、手足は鉛のように重たくて、今は指先一つ動かせる気がしなかった。


 ………悔しい。


 どうやらあの女が与えた呪いは、体力だけでなく疲労度も最大まで蓄積ちくせきさせたみたいだ。


 限界まで疲労度が溜まると、身体が動かなくなる事は、この世界では子供から大人まで知っている常識である。


 この状態になると、疲労度を回復するアイテムですら効かなくなる為、滅多な事ではならないのだが……。


 身体が動かないことが、こんなにももどかしい気持ちになるなんて。


 アリスは、サタナスに視線を向ける。


 いつも可愛らしい笑顔を浮かべている彼女の顔は、今は涙で瞳は真っ赤にれて、ぐしゃぐしゃになっていた。


 今の自分は疲れて動けないだけだというのに、座ったままで全く休もうとする様子がない。


 あの灰色の女に切られた時から、どうやらサタナスは、ずっと側で手を握ってくれているらしい。


 今は離席しているメイド長から「休んで下さい」と言われても、彼女はかたくなに休もうとはしなかった。


 アリスがサタナスを大切に想うように。


 それだけ、サタナスにとっても自分という存在が大切だと想われている。


 その事が嬉しくて、今は小さな手から感じるぬくもりが、とても温かくて心地よい。


 すると、


「おねぇちゃん……」


 と、心の底から、アリスの事を心配する声をもらす少女。


 本来ならば頭を撫でて安心させてあげたい所だけど、それが出来ない今の自分が、とても情けなくて腹が立つ。


 後で思いっきり、抱きしめてあげよう。


 胸に誓いながらしばらくそうしていると、外で何やら一際大きな音と、何か大きな生き物が咆哮ほうこうする音が聞こえてきた。


 何事かと思っていると、部屋が大きく揺れて、それに驚いたサタナスが椅子から転げ落ちてしまう。


「ひゃう!?」


 視界から消える小麦肌の少女。


 大きな物音から察するに、受け身も取れずに床に倒れたらしい。


 びっくりして彼女の身を案じると、すぐに何事も無かったかのように、サタナスが立ち上がって再びベッドの横に戻ってくる。


 怪我は無いようでホッと一安心するアリスだが、一目で様子がおかしい事に気がつく。


 サタナスじゃない。


 出会ってからずっと、彼女と一緒にいたからだろう。


 ベッドの端に立つ少女のたたずまい、浮かべる優しげな表情、その一つ一つが先程まで手を握ってくれていた少女とは異なっている。


 そして、自分はそれを知っていた。


 


「“一年ぶり”ね、アリス」


 


 なんて事だ、と彼女の言葉を聞いたアリスは大きく目を見開く。


 忘れない。


 忘れるわけがない。


 この喋り方、この柔らかな物腰。


 瞳に涙を浮かべるアリスの頬を少女ではない者が撫でると、急に身体のスタンが解かれる。


 身体が自由になったアリスは、一瞬だけ驚くも直ぐに起き上がり、自分を嬉しそうに見つめる少女を、力一杯に抱きしめた。


「母上……ッ!」


「アリス、こんな形で再び会えるなんて、これも全ては天のみちびきね」


「夢見たいな出来事だわ。嬉しいけど、なんでサタナスの身体に?」


 娘の包容を受け止めながら、竜王女ミーメは目尻に浮かべた涙をぬぐい取り、アリスの質問に答えた。


「それは、この子が10年前に私のお腹の中で亡くなった、貴女の実の妹だからよ。今は疲れと床に衝突した衝撃で気を失っているけど、直に目を覚ますから安心しなさい」


「………やっぱり、そうなのね」


 母からあっさり明かされたサタナスの正体を聞いても、アリスは驚かなかった。


 むしろ本当の姉妹である事が分かった事の方が嬉しくて、自然と笑みがあふれる。


 ミーメは嬉しそうなアリスの様子に微笑を浮かべると、続けてなんで死んだはずのサタナスが、此処ここにいるのか説明した。


「先ず言わなければいけない事は、今から数週間前に、封印そのものになった私に世界の神様が取引を持ち掛けてきたのよ。

 神様が求めたのは、冒険者達と〈魔竜王〉を戦わせる舞台を作る為に、封印を徐々に弱める事。その代わりに私は、この子を生き返らせて欲しいってお願いしたの」


「だから〈魔竜王〉の封印が弱まっていたのね。でも母上、その条件で生き返らせただけじゃ、サタナスは知識もなんにもない赤ん坊になるんじゃないの?」


年相応としそうおうの知識を身につけてるのは、神様にお願いしたからよ」


「なるほどね、そういう事だったの」


 納得したアリスは、改めて母が入っている少女を見つめる。


 なるほど、言われてみれば肌の色以外は、殆ど自分と母に似ていた。


 これでサタナスの件については、全て納得できた。

 残る現状の問題は、ただ一つだけ。


「母上、このタイミングで、サタナスの身体を借りて出てきたということは……」


「ええ、そうよ。感動の再会に浸っている時間は無いの。〈魔竜王〉と戦っている冒険者達に危険が迫っているわ」


「危険……?」


 首を傾げるアリスに、ミーメは真剣な眼差しを向けた。


「今彼等は〈魔竜王〉を追い詰めているけど。体力が残り三分の一になると〈傲慢プライド〉のスキルが発動されて、レベルが〈魔竜王〉より下の者の攻撃を全て無効化する事が出来るの」


「攻撃を、全て無効化……」


 それでは、文字通りの無敵ではないか。


 愕然がくぜんとするアリスの手を、ミーメはそっと両手で包むと、敵の能力を打破するための方法を伝える。


「これを無効化するには、アリスとサタナス、二人の〈竜の巫女〉の力が不可欠よ」


「我と、サタナスが?」


「ええ、二人が協力して〈魔竜王〉のスキルを無効化し続ければ、冒険者達はダメージを与える事ができる」


「……分かった。つまりソラ様達を助けるために、我とサタナスの二人で〈魔竜王〉の元に向かう必要があるわけね」


「物分かりが良くて助かるわ、アリス」


 そう言うと、サタナスの身体が淡い光の粒子を放ち始めた。


 ミーメはどこか、名残惜しそうな顔をする。


 彼女の表情から、アリスはお別れの時がやって来たのだとさとった。


「母上、もう行くの?」


「神様との約束ですもの、仕方ないわ。それに二度と会えないと思っていた貴女と、亡くなった筈のこの子に会えて、これ以上の喜びはないわよ」


「父上は……」


「あの人なら大丈夫。貴女とこの子がいれば、寂しくないでしょう」


「母上、我は……」


 胸に溢れる思いを、あの時伝える事の出来なかった言葉を。


 アリスは、消えようとする母親に伝えた。




「我は、母上にずっと、ずっと側にいて欲しかった……」




 ミーメは最後にアリスに、ごめんなさいと言って抱きしめると。


 彼女の魂は光の粒子となって、天に還った。


 後に残されたのは、彼女が生きていた証である二人の娘。


 サタナスがキョトンとした顔をして、泣いているアリスに「どこか痛いの?」と尋ねる。


 アリスは首を横に振って否定すると、彼女の身体を強く抱きしめ、枯渇こかつ気味の気力をためて立ち上がった。


「行こう、サタナス。ソラ様達を助けないと!」


「う、うん! なんだかわかんないけど、わかった!」


 けして離れないように手を繋いだ二人の竜姫は、決意を胸に戦場に向かって駆け出した。

 

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