第123話「竜の少女の夢」


 赤髪と小麦肌の竜の少女は、いつもの悪夢を見ていた。


 真っ白な世界を、真っ暗な闇が塗り潰そうとする夢。


 真っ暗な闇の中には、大きな竜がいる。


 逃げても無駄だと言って、自分をしつこくどこまでも追いかけてくる。


 〈レッサードラゴン〉や〈グレータードラゴン〉なんか比較にもならない。


 とてもとても大きな竜。


 それに追い掛けられながら、まだ闇に侵されていない真っ白な大地を少女は走る。


 けして捕まらないように、全力で走る。


 走って逃げる、逃げる逃げる逃げる。


 真っ暗で自分を手招きする闇に飲まれないように。


 必死に闇と共に迫ってくる、巨大な竜に対して背中を向けて。


 手を大きく振り、ただがむしゃらに足を前に運ぶ。


 でもどれだけ逃げても、背後からそれは追いかけてくる。


 怖くて誰かに助けを求めるけど、この場所にいるのは自分だけ。


 とても強いソラお兄ちゃんはいない。


 仲良くしてくれるクロちゃんはいない。


 そして側にいると、とても心が安らぐ優しいアリスお姉ちゃんもいない。



 誰か助けて、誰かぁ。



 少女は逃げる。


 だがそれはムダだと言わんばかりに、大きな竜は背後から迫ってくる。


 距離は間近、大きな手を伸ばせば届くだろう。


 怖くてたまらなくて、少女は目を閉じてその場にしゃがみ、小ぢんまりとうずくまる。


 するとどうだろうか。


 いつもは捕まって終わるはずなのに、いつまで待っても竜の前足は、自分の事を捕まえない。


 一体どうしたんだろう、と少女が顔を恐る恐る持ち上げると。


 今日は結末が、少しだけ違った。


 誰かが少女を守るように立っている。


 それは白装束を身に纏った、二本の角と尻尾を揺らす、長い赤髪の竜の女性だ。


 巨大な竜は、女性と相対して動きを止めている。


 いつもは見下すように自分を見下ろしているその双眸そうぼうに、今は忌々しそうな色を宿していた。


『き、貴様……!?』


 自分と竜の間に、立ち塞がるように立つ女性は、手にした杖を天に向けて何かを叫ぶ。


『悪しき傲慢ごうまんなる魔竜よ、純粋無垢なる幼き子を、夢で追い詰めるのは私が許しません』


 静かで力強い糾弾きゅうだんと共に、杖から放たれた光が闇を払った。


『グヌゥ、オノレ竜ノ巫女ォ──────ッ!?』


 叫び声と共に、魔竜は真っ暗な闇と共に世界から消える。


 残ったのは真っ白な世界で、自分と女性だけ。


 女性は振り向くと駆け出し、少女の小さな身体を愛おしそうに抱きしめた。


『ああ、サタナス……“私が零れ落としてしまった愛”……』


『……だれ?』


 少女、サタナスは首を傾げる。


 何故だろう。


 彼女の腕の中にいると、不安な気持ちが薄くなり、とても心が安らぐ。


 この感覚には、覚えがある。


 大好きなアリスお姉ちゃんに、ギュッと抱きしめられているのに似ていた。


 女性は泣きそうな顔をすると、それを懸命けんめいに笑顔に変える。


 嗚咽おえつを我慢するように、彼女は震える唇で謝罪した。


『ごめんなさい、貴女のその問に答える事は許されていないの。でも信じて、私は貴女の味方よ』


『……うん、しんじるよ』


 ソラお兄ちゃんと、アリスお姉ちゃんからは万が一、一人になった時には知らない人は信用しないで逃げるように教わったけど。


 この人は、信用できる。


 そう思ったサタナスは、女性の抱擁ほうようを受け入れた。


『ありがとう、サタナス。時間がないから手短に教えるけど、今から私が言うことをちゃんと守ってくれる?』


 女性は何か焦るような顔をすると、続けてこう言った。


『竜王祭で絶対に天使様から離れないで。あの方なら何が起きても、貴女の事を守ってくれるから』


『ソラお兄ちゃんから離れなければ良いの?』


『ええ、そうよ。天使様ならきっと、貴女を魔竜の崇拝者達を退ける事ができるはずだから』


『うん、わかった! それに、いつも離れないように言われてるから、サタナスだいじょうぶだよ!』


 満面の笑顔を浮かべるサタナスを見て、女性は瞳から涙を溢れさせる。


 少女は、そんな彼女の頬にそっと触れた。


『どうしたの? どこかいたいの?』


『……いいえ、どこも痛くないわ。ただ貴女が生きてくれている、その事が嬉しくて……』


 女性の言っている言葉の意味が分からなくて、サタナスは小首をかしげる。


 彼女はそんな少女の頭を愛おしそうに、優しく撫で下ろした。


 すると夢の中だというのに、急に眠気が襲ってくる。


 意識が朦朧もうろうとして、サタナスがふらふらすると、女性は地面に座って彼女の身体をゆっくり横に寝かせ、頭をその膝にいざなう。


『ふぁ、なんか疲れちゃったのかな、きゅうにねむく………』


『ええ、眠りなさいサタナス。今はまだ、その時ではないのだから』


 女性の膝枕で、瞳を閉じる少女。


 サタナスは深い眠りにつく寸前に、一言だけ呟いた。


 お母さん、と。





◆  ◆  ◆





 竜王祭まで後2日と迫り、残りの時間でできることをする為に、最後の街〈エウテニアー〉を訪れたソラ達。


 メンバーはオレを含めた、クロとアリスとサタナスの四人。

 シオは〈串ドラカツ〉のソース作りを試みているらしく、キリエの店にいる。


 〈魔竜王〉ベリアルの復活イベントも近づいているからなのか、ここのところ長距離移動をすると〈レッサードラゴン〉の襲撃が酷くなった気がした。


 サタナスを生き餌にしているような気分で、とても手放しで喜べたものではないが、食材はあればある程良い。


 先代の竜王を屋台対決で倒すために、こちらも手段を選んでいられないのだ。


 そんな言い訳を自分にしながら、ソラは露店ろてんで購入した〈レッサードラゴン〉の串焼きを頬張る。


 うーん、ジューシーな肉汁と共に容易に噛み切れる食感は、実に素晴らしい。


 他にも香草焼きとか、甘辛いタレ焼きとか、塩コショウでシンプルに焼いたものとか、バリエーションも中々に豊富。


 レッサードラゴンの肉を使った、ソーセージっぽいモノを焼いたのも先程食べたが、それも中々に素晴らしかった。


 他にも面白い露店の食べ物というと、マグマを養分に成長する〈リフラクトリィの木〉が〈リフラクトリィの実〉というモノをつけるのだが、これが中々に美味である。


 ビジュアルで分かりやすく例えるのならば〈赤いトウモロコシ〉だろうか。


 最初はこれ口にして大丈夫?


 身からマグマ出てきて、内側から溶かされない?


 と不安になったものだが、実食するとそんな思いは、真っ赤なマグマの中に親指を立てて沈んでいった。


「いやはや、まさかあんなにも美味いとは……」


 食感もトウモロコシで、口にするとマグマから吸い取った激流のような旨味が暴れる。


 味で例えるのならば長い時間をかけて、旨みを凝縮させたような深味。

 

 醤油しょうゆをかけてあみで焼いたら、最高に上手いんだろうなぁ。


 そんな事を思いながら、ソラはクロと手を繋いで〈エウテニアー〉の街を散策する。


 隣ではサタナスに腕に引っ付かれて、アリスがやれやれといった感じで歩いていた。


「いやぁ、ほんと姉妹のように仲がよろしいことで」


「ほんとだねー」


 と、感想を口にするソラとクロ。


 それを聞いたアリスは苦笑した 。


「我も最近はその言葉に、違和感が無くなってきているわ」


「アリスお姉ちゃん?」


 視線を向けられて、少女はキョトンとした顔をする。


 竜の皇女はオレに視線を向けると、彼女の頭を空いている左手で撫でながら、こう言った。


「実はサタナスの正式な身元の引受けを、父上にお願いして我等〈王家〉がすることにしたのよ。すべてが終わっても、一緒にいられるように」


「おお、それって……」


「アリスがサタナスのお姉ちゃんになるって事?」


 クロの言葉に、アリスは深く頷く。


 そしてサタナスを見ると足を止めて、状況をいまいち理解していない彼女に対して、わかりやすいように言った。


「この旅が終わっても、サタナスは我と一緒にいてくれる?」


 その問に、小さな少女は目を光らせて満面の笑顔を浮かべた。


「うん! サタナス、アリスお姉ちゃんと一緒にいる!」




 オレは、この二人を死んでも守ろう、と自分の胸に誓った。



 

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