第117話「白銀の休憩」
日付が変わる前にログアウトして、そのままベッドで眠った蒼空は奇妙な夢を見た。
場所は竜国の城にある、大きな庭園。
その中心にある木製の椅子に腰掛け、顔を両手で覆いむせび泣く赤髪の女性がいた。
彼女の隣に腰を掛けて、肩に手を置いて慰めの言葉を掛けている男性には見覚えがある。
──竜王オッテル。
という事は、隣で泣いている女性はアリスの母親だろうか。
このタイミングで何で自分の中に存在するはずの無い映像を見ているのか疑問に思っていると、女性は泣きながら何かに対して謝罪していた。
『ごめんなさい、ごめんなさい……』
『君のせいじゃない。君のせいであってたまるものか。……まさか僅か1パーセントのハズレを引いてしまうなんて、誰だって思わないだろ』
『でもアナタ……』
『全ては私の不徳の致すところ。この件で体調を崩した君を咎める事なんて、誰も出来ないし私がさせはしない』
何やらとてもシリアスな雰囲気。
1パーセントのハズレを引いてしまうとは、一体どういう意味だろう。
目の前の二人からもたらされた情報に対し、オレは理解する事ができなくて困惑してしまう。
唯一考えられたのは、もしかしたらこれが今後のクエストに関する、重大なヒントになるかも知れない事。
幸いにも側にいるオレは二人に干渉することができないので、ここはじっくり話に耳を傾ける事にした。
しかしそれ以降、竜王と王妃は謝罪の言葉しか口にしてくれない。
君は悪くないだの貴方は悪くないだの、何かの罪が自分にあると繰り返すばかりだった。
これはどうしたものかと少しばかり困っていると、不意に誰かに背後から肩を叩かれる。
びっくりして飛び上がり後ろを振り返ったら、そこには以前にお城で見た肖像画のモデルとなった、美しい赤髪の女性が立っていた。
『お見苦しい所を見せてしまい、申し
訳ありません。どうやら繋がった際に、記憶が一部見えてしまったようです』
……え、嘘だろ。
今のアリスを少しだけ大人にしたような容姿、凛とした佇まいからは育ちの良い気品を感じられる。
蒼空は首を傾げて、ベンチに座ったまま動かなくなった二人と、目の前にいる女性を交互に見た。
自分の見間違いでないのならば、どこからどう見ても彼女はアリスの母親だ。
そんなオレの困惑に対し、彼女は優しく微笑みかけてお辞儀をした。
『初めまして、世界に光を
『は、はじめまして。ソラです……』
美しい美貌もさることながら、手本のような綺麗な挨拶に、思わず此方も戸惑いながらも挨拶を返す。
ミーメは頭を上げると、笑顔を崩さずに続けてこう言った。
『ソラ様、竜国に今再び魔竜の脅威が迫っています』
『魔竜の、脅威……』
『はい。これを退けるには、貴方様の力と二人の巫女の祈りが必要となるでしょう』
『二人の巫女……。まさかとは思うけど、アリスとサタナスの事か?』
『私は世界に縛られているので、詳しい事を教える事はできません。ですが聡明な貴方様なら、何をしたら良いのかは分かってくださると思っています』
そこまで口にすると、彼女の身体がつま先の方から、徐々に光の粒子に変わっていく。
『ああ、もう刻限なのですね……』
『ミーメさん、貴女は』
『……英雄様、頼み事ばかりで申し訳ありません。“娘”を宜しくお願いします』
それはつまり──〘ワールドサポートシステムより警告。リアルワールドにて〈竜の巫女〉による〈光齎者〉との一時的接続が終了します。一部情報の開示を確認。適切に処理いたします〙
急に無機質な少女の声が辺りから聞こえてきて、蒼空の意識が遠くなる。
とても強い拘束力。抗う事を一切許さない絶対的な力が全ての自由を一瞬にして奪ってしまう。
思わず手を伸ばすが、目の前にいた筈のミーメに指先が触れる事はない。
彼女の身体は光の粒子になると、蒼空の意識は夢の世界から覚めた。
◆ ◆ ◆
「──さんッ!」
誰かの名前を口にして、右手を伸ばす。
「え……オレ、今なんて……」
伸ばした手をぼんやりと眺めて、自分の奇怪な行動に対して疑問を呟く。
パッと思い出せるのは、誰かから竜国に危険が迫っている事。巫女を守ってほしいとお願いされた事の二つだけ。
誰かが誰かと悲しんでいるような光景が脳裏に思い浮かぶが、輪郭がハッキリしなくて何なのか全く分からない。
ただ一つだけ言えるのは、とても大切な事を頼まれた気がする。
でもそれを思い出す事は出来ない。
所詮は夢の中の事だと思い捨てるのは容易だけど、この胸に引っ掛かる何とも形容し難い気持ちは何なのか。
蒼空は深い溜め息を一つ、それから寝付くことができなくて、とりあえず一階のリビングに降りる事にした。
大きな物音を立てないように自室を出て、それから廊下、階段を通って一階に降りる。
最近は詩乃と
たまにソファーでファッション雑誌と真剣に向き合っている、美意識が高い詩織の姿は、どこにも見当たらない。
最近は〈アストラルオンライン〉でちょっとした趣味クエストを始めたと言っていたので、恐らく今頃は自室で集中してプレイしているのだろう。
たしかタイトルは〈ヤラれる前にヤレ〉という、何だか物騒な名前の料理クエストだったような気がする。
開始する為の条件は、最初の王都〈ユグドラシル〉の隅にある小さなNPCの個人店で、シェフのオススメ料理を食べること。
レベル制限はなく、誰でも簡単に受けることができるお手軽なクエストだ。
受注した冒険者は最初に〈料理〉スキルを与えられて、そこから数々の料理人達と戦い、全てに勝利する事で最後に〈極めた料理人〉という称号を獲得できる。
効果は、料理を食べた時の疲労度の回復量アップと、作った料理の効果量アップと趣味スキルにしては中々に面白いモノ。
先にクリアした詩織のクランの者いわく、いつの間にか小さな店の店主が何も指導していないのに、後方腕組で師匠ヅラしてきてウザかった事以外は、楽しいクエストだったらしい。
蒼空は一息つくために麦茶のペットボトルを冷蔵庫から取り出すと、リビングのソファーに腰掛けた。
中身を口に流しこみ、喉を潤した蒼空はぷはぁ、と一息つく。
それから頬杖を付いて、気を紛らす為に小さな声で呟いた。
「疲労度を回復できる、料理スキルか」
この〈アストラルオンライン〉というゲームで疲労度は、長旅の徒歩移動の時にはどのプレイヤーでも問題になる部分だ。
数時間以上も歩けば、疲労度は半分まで蓄積されて、警告と共に最初は〈
この時にプレイヤーの身体の動き、突進、移動系のスキルは、その効果が全て半減。
それでも〈疲労〉を蓄積させると、最終的には〈
疲労度の管理は難しい上に、デメリットはとてつもなく大きい。
前回の〈精霊の森〉で、その部分でどれだけ苦労したことか。
しかしその管理の部分を〈料理〉スキルでカバーできるのだとしたら、それは今後のプレイで必須枠になるかもしれない。
「でもなー、料理か。あると便利なんだけど、オレには取得できそうにないな。現実と同じレベルの作業を要求されるのは、流石にしんどいわ……」
今の所発見されている、優秀なスキルと称号を獲得できる趣味クエストは、料理、
裁縫は防衣を作る事ができるようになり、掃除は状態異常に対して少しだけ耐性が上がる称号を獲得できる。
こういったお遊び要素のあるクエストでも、有用なスキルや称号をくれるのは面白いと思う。
「だいぶ急ぎ足でプレイしているから、魔竜王の1件が終わったら一度〈ユグドラシル〉に戻って、黎乃とお遊びクエストで遊んでも良いかもな」
「ほんとお兄ちゃん、黎乃ちゃんとべったりだね」
「当たり前だろ。両親が戻ってくるまでハトコの兄兼保護者として、少しでもあの子が寂しくないようにするのが、オレの役目なんだから」
「ふーん、そう言って実は黎乃ちゃんの事が好きなんでしょ」
「まぁ、好きか嫌いかで聞かれたら好きだけどさ。黎乃は両親が不在で寂しい思いをしてるんだから、そんな人の心の隙をつくような真似……」
そこまで口にして、つい〈アストラルオンライン〉で最近サポートシステムの〈ルシフェル〉とやり取りするような感覚でいた蒼空は、ふと気がつく。
ここは現実の世界で、ゲームの中ではない。
ならば自分が今やり取りをしている相手は、一体誰なのか。
答えなんて一つしかないので、恐る恐るといった感じで振り返り、真後ろに立っている人物を見る。
するとやはり、そこにいたのは黒髪の幼い少女、妹の
身に纏っているのは、最近一緒に洋服店に行ったときに買った、ノースリーブのワンピース型パジャマ。
水色の涼やかな色合いが実に似合っていて、一体どこのお嬢様だと思ってしまう。
長い黒髪をゆるく三編みにしている彼女は、隣りにある椅子を動かすと、肩が触れるほど間近に腰掛けた。
詩織は「少し貰っても良い?」と、一言ことわってから、オレの飲みかけのペットボトルを手に中身を二口ほど飲む。
「ありがと、お兄ちゃん」
礼を言って、蒼空の前に中身が半分になったペットボトルを戻す妹。
昔から飲み物とか食べ物とかをシェアするくらいには、オレと詩織の関係は良い部類なのだが、今日は何だか様子がおかしい。
……距離感が、近いな。
いつもなら適度に距離をあける子なのに、今日は相手の吐息が聞こえそうなくらいの距離にいる。
詩織の体温は暖かく、実の妹とはいえ女の子の香りに、少しだけドキドキしてしまう。
何か落ち込む事でもあったのだろうかと思い、左腕を上げて妹の頭を撫でてみた。
すると彼女は笑顔を浮かべて、こう言った。
「お兄ちゃん、最近あんまり元気ないね」
「……え?」
「昔ほどじゃないけど、だいぶしんどいって顔してるよ」
「あー、そんなに酷い顔をしているのか」
「うん、もうバレバレ」
「バレバレかぁ、それは参ったなぁ」
指摘されて、苦笑する。
どうやら妹には、隠し事はできないらしい。
実はここの所、常にダンジョンで制限されていない時は〈感知〉範囲を最大限まで広げて、20メートルもの距離を見ている。
その目的は、イリヤを見つけるため。
ただ、それだけの為に。
当然だけど、人間が引き出せる脳のスペックを越えているので、ここの所ゲームが終わるとオーバーヒートして気絶するように寝ているのは、主にそれが原因である。
流石にヤバい時はサポートシステムの〈ルシフェル〉の力も借りているが、やはり彼女の事は自分の力で探したい。
つまり上條蒼空が追い詰められているのは、ただの自業自得であって、とても褒められるような行動ではないのだ。
だからこの件を彼女に話すつもりは全く無かったのだけど、詩織はオレの反応を見てどこか納得した顔をした。
「そっか、お兄ちゃんがそこまで頑張るって事は、イリヤちゃんが関わってるんだね」
「……まぁ、詩織には分かるよな」
「お兄ちゃんの妹だもん。分かるに決まってるじゃない」
妹は苦笑すると、オレの頬を小憎らしそうに、ぷにぷにと軽く指で突っつく。
それを甘んじて受け入れながら、蒼空は申し訳なさそうな顔をすると、彼女に一つだけお願い事をした。
「悪いけど、みんなにこの事は……」
「うん、言わない。約束するわ」
「ありがとう、助かるよ」
「どういたしまして」
世話が焼ける兄の頼みを聞いてくれた詩織は、軽く手足を伸ばすと椅子から立ち上がった。
「さて、それじゃ私は最後の一人を倒しに行ってくる」
「おお、料理クエストもう終わりそうなのか。流石は我が家の料理長だな」
「もう、おだてても何も出てこないわよ」
そう言って、詩織は背中を向けて2階にある自室に向かい歩き出す。
歩き去る彼女の後ろ背中を見送っていると、詩織はふと立ち止まり、オレを見るとこう言った。
「お兄ちゃん、無理はしないでね」
「……ああ、分かった」
「もしも無理したら、ヘッドギアを取り上げて、黎乃ちゃんと二人で一日ピッタリ監視するんだから」
「りょ、了解した」
なんて恐ろしい事を言うんだこの子は。
返事を聞いた詩織は、前を向くと振り返らずに2階に上がって行った。
残された蒼空は額の汗を拭うと、ため息を吐いて天井を見上げた。
まったく、詩織には敵わないな……。
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