第6話「リアル性転換」

 ゲームが終了すると、ヘッドギアとユーザーの接続は安全を確認しながら順番を経て解除される。

 全ての接続の解除が終わると、本体の電源は自動で落ちて視界は真っ暗になった。

 そこでようやくヘッドギアを頭から外した蒼空は、大きく深呼吸した。


 ……メチャクチャ楽しかった。


 言葉にならない感想を胸に抱いて、まず最初にするのは手足を伸ばしての身体の動作確認。

 両手良し、両足良し。

 嗅覚良し、喉は乾いた。

 何だかいつもより良好な視界に首を傾げながら、側に準備していた500mlのスポーツドリンクのペットボトルを手に取る。

 蓋を開けて中身を口に流し込むと、少し甘い液体が口中と喉を潤してくれた。


「ふぅ……」


 蒼空は吐息を一つ。

 心臓がドックンドックンと、はっきり聞こえるくらいに大きく脈動していた。

 バグで初っ端から魔王と戦うことになった上に呪いで性転換したのは予想外だったが、そのおかげで現在のプレイヤーレベルは17だ。

 スライム達との戦いも実に迫力があり、スキルを駆使しての戦闘は楽しかった。

 欲を言うのならばメタルスライム以外は基本的に一撃で倒せてしまったので、もっと強いモンスターと戦いたいところ。

 だが真司と志郎の事を考えると、今の攻略組の最前線である山一つ向こうの国に行くのは難しいか。

 そう考えていると、ふと一つだけログアウト前にやり残した事を思い出した。


 ……あ、そういえば〈ルシフェル〉の効果を見るの忘れてたな。


 後回しにして、そのまま忘れる。

 それは自覚していても昔から治らない、自分の最も悪いクセの一つだ。

 蒼空は「しまったなぁ」と頬を掻くと、手にしていたペットボトルを元の位置に戻した。

 まぁ、楽しみは後に取っておこう。

 今は休息の時間で、妹の手料理が待っているのだから。

 そう考えて、蒼空は意識を切り替える。

 するとタイミング良く扉がノックされて、妹の上條かみじょう詩織しおりが声を掛けてきた。


「お兄ちゃん、ちゃんとログアウトしてる? お昼ごはんのナポリタン出来たよ」


「ありがとう、すぐに行くよ」


「……え、お兄ちゃん。女の子のお客さん来てるの?」


「うん?」


 扉の向こうにいる妹に指摘されて、蒼空は気がつく。

 何だか、声の感じがいつもと違う。

 この鈴のなるような声は、今の〈アストラルオンライン〉で自分が使用しているアバターの声に酷似している気がする。

 それとログインする前と比べて、先程から身体に対して服が一回り大きくなっていないか。

 例えるのならば、家で飼っている7キロ近いポッチャリ猫のシロが入りそうなくらいの隙間がそこにはある。

 こんなにもぶかぶかな服を、ゲームを始める前に自分は着ていた覚えはなかった。

 少し腰を浮かせば、緩い短パンはトランクスと一緒にずり下がってしまう。

 立ち上がれば全部、そのまま足元まで落ちそうな気がした。


「…………っ」

 

 まだ鏡で姿を見ていないというのに蒼空は、今の自分の顔が真っ青になっていくのがハッキリと分かる。

 先程の高揚していた気持ちは冷めてしまい、今の胸中を締めているのは不安だった。

 そんな、まさか。

 否定したい気持ちを呟きながら、恐る恐る頭に触れると長いクセのある髪が手に取れる。

 色は日本人の証である黒色ではない。

 そこにある髪の色は、“美しい銀色”だ。

 

 ……ウソだ。


 震える唇で、蒼空は呟く。

 だって、アレはゲームの中での出来事。

 確かに魔王の呪いで男から女の子になったが、それはあくまで仮想空間が作り出した幻想に過ぎないのだ。

 まさかオレは、まだ仮想空間にいるのだろうか。

 そんな事を思い立ち上がろうとした蒼空は、足をもつれさせてベッドから床にスッ転ぶ。

 ドスン、と大きい音が鳴って心配した妹が「どうしたの、お兄ちゃん!?」と驚いた様子で扉を開けようとした。

 しかしVRゲームをする時には、いつも鍵を掛ける癖をつけているので扉は開かない。

 ガチャガチャと音が鳴る中で無防備な状態で床に肩から落ちた蒼空は、目が覚めるような激痛に顔を歪ませる。


「痛……ッ」


 これは仮想空間ではあり得ない、現実的な痛みだ。

 つまりは夢でも幻覚でもない。

 頑張って立ち上がると、短パンはトランクスと共に床に落ちてしまう。

 それを気にする余裕すら無くなった蒼空は、最後の“よすが”である最低限の身だしなみ用に置いてあった折りたたみ式の手鏡を手に取る。

 するとそこには、期待を裏切り予想していた通りの今の自分の姿が映し出された。


「……マジかよ」


 ぺたんと尻もちをつく蒼空。

 みんな、信じられるだろうか。

 手鏡の中に映るそれは、いつもの冴えない黒髪の少年の面影はどこにもない。

 そこにいるのは、紛れもなくアストラルオンラインで魔王によって変貌した。





 銀髪碧眼の少女、ソラだった。





◆  ◆  ◆





 ダイニングテーブルの前に着席して、妹の詩織が作ってくれたナポリタンが乗った皿を前にオレはお通夜のようになっていた。

 フォークを手に、クルクル回しては口に入れる作業をひたすら繰り返す。

 味はナポリタン独特のベッタリとした食感と、トマトの甘くも深い味わいが合わさって実に美味だ。

 具材の厚切りのベーコンと、細切りにされたピーマンのほろ苦さのアクセントも実に合っている。

 流石は母さん仕込みの腕前だ。これならばいつでもお嫁にいける。

 しかしいくら料理が美味しくても、自分の胸を締め付けるような不安感は全く消えない。

 ハッキリ言ってお先真っ暗だ。

 そんな暗い顔をする蒼空に対して、青いワンピース姿と天然の茶髪をツーサイドアップにした中学二年生の妹は、実に心配そうな顔をしていた。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


「うん……ごめん、大丈夫じゃない」


「だよねぇ……」


 男の子から女の子になってしまった兄のなんとも言えない姿に、詩織はため息を吐く。

 あの後に合鍵を使って入ってきた彼女は、Tシャツ一枚だけの姿の銀髪少女の姿に驚きの余り気を失った。

 それで冷静になった蒼空は先ず気絶した妹の無事を確認して、一階のソファーまで運んだ。

 一応本当に女の子になったのか自分で確認をしたのだが、恐ろしいことに本来あるべきものがなくなり、平たい身体には2つの膨らみが出来ていた。

 この身体は、紛れもなく女の子だ。

 とんでもない事態に見舞われた蒼空は、流石に下半身に何も着ないのは変態だと思い、自分の下着入れにあったスポーツパンツを履くことにした。

 人間として最低限の服を着るという仕事を終えると、その後に訪れたのは三大欲求の一つ“食欲”である。


 こんな状態でもお腹って空くんだなぁ。


 と感心しつつ、とりあえず蒼空はテーブルの上に用意されていた妹特製のナポリタンを食べることにした。

 詩織が目を覚ましたのはつい先程の事で、気絶をしたことで今は落ち着いているようだ。

 そんな彼女に蒼空は、アストラルオンラインで自分に起きた事を包み隠す事なく全て語った。

 長い沈黙の後に、詩織は小さく頷いた。


「……なるほどね。魔王の呪いで性転換して、オマケにその魔王を倒さないと元に戻れないと」


「もしもゲームとリアルが連動してるのなら、そういうことになるとオレは思う」


 ゲームの事がリアルに反映されるなんてバカげた話しだ。

 これが自分に起きた事でなければ、絶対に信じないと蒼空は思う。

 でも兄である蒼空が現実世界で性転換した姿を見てしまった詩織は、素直に受け入れているようだ。


「状況証拠だけで考えるのなら、それしか道はないね。でも魔王と戦うなんて、どれくらい掛かるのか分からないよ……」


「そうだなぁ、まだ次の国までしか攻略は進んでないんだっけ?」


「うん、これでもかなりハイペースで進んでるんだけど、次の妖精国から先に進むのにみんな足踏みしてるかな」


「足踏み? なにか問題が起きたのか」


 蒼空が尋ねると、彼女は実に困ったような顔をした。


「妖精国のお姫様が精霊の森に入って帰ってこないらしいの。それを助けないと、王様が次の火山地帯に行く為の門を開けてくれないのよ」


「なるほどね、それは大変だ」


 門番の人からは、精霊の森は道を逸れて入ると元の地点に戻されると聞いた。

 つまり姫様を探すには、先ず最初に精霊の森に入る方法を探さないといけない。

 ソファーに腰掛けている詩織はテーブルに突っ伏して、そのまま脱力した。


「私はとりあえず妖精国のクエストを片っ端から受けているんだけど、手掛かりは今のところ見つかってない。道中を探索してる人達からは、モンスター以外は何も見つからないって報告しか来てないし」


「そうか、頑張ってるんだな」


 詩織はトッププレイヤーのクランの一つに加入している。レベルと腕前はかなり高い方で、クラン内でも指折りの実力者として活躍しているそうな。

 蒼空が感心していると、詩織はチラリと此方を見る。

 そして勢いよく立ち上がり、彼女は真向かいまで歩いてきて身を乗り出した。

 顔が間近まで迫り、思わずナポリタンを口に運ぶオレの手が止まる。

 詩織は蒼空に縋るような視線を向けると、こう言った。


「お兄ちゃん、ユグドラシルでそれっぽいクエストが見つかったら私に教えて」


「そっちに人はいないのか?」


「今は妖精国のクエストに回ってて、ユグドラシルの人員は全くいないの」 


「なるほどね、でもフラグが立ってない俺が探してもダメなんじゃないかな」


「わかってる。それでも手掛かりとか手に入るかもしれないからね」


「うーん」


 唸りながら蒼空はフォークを手にして、クルクル回すとナポリタンを口に頬張る。

 ゲームのRPGでは“困っている”本人から話を聞かないと、そこから先に進めないのは常識だ。

 だからこの件でオレがユグドラシル中を走り回っても、恐らくはなんの手掛かりも得られないだろう。

 詩織もそれは理解している筈なのだが、どうやら切羽詰まっている様子。

 しかたなく「わかった」と頷くと、彼女はパッと笑顔になった。


「ありがとう、これ私のフレンドコードだからログインしたら申請してね」


 台所に置いてあるメモ用の用紙に、数字とアルファベットが交互に並んだコードを記入すると、詩織はオレの前に置いた。

 こやつ暗記しているのか。

 流石は学年一位の頭脳を持つ妹だ、オレには出来ない事をさらっとやってのける。

 蒼空がやや引いていると、そのまま詩織はテーブルを挟んで向かい側に座った。

 そして脱線した話を本題に戻す。


「それでいつ病院に行く?」


「………………」


 しばらく沈黙した蒼空はフォークを皿に置くと、テーブルに両肘をついて考えるように手を組んだ。


「やっぱり行かないとダメだよな」


「当たり前じゃない。体調は悪くないみたいだけど、放置してて良い問題じゃないからね?」


「とりあえず、心の整理をしたいから来週の月曜あたりにしたいかな」


「わかった。病院はアストラルオンラインを一緒にプレイしてるお姉さんが、近くの総合病院でお医者さんをしてるらしいからその人に相談してみるね」


 兄が性転換をして女の子になったから診てほしいなんて言ったら「頭大丈夫? ゲームのしすぎじゃない?」と心配されないだろうか。

 でも此方から病院に電話するのも気が引けるので、ここは情けないが詩織に任せるか。


「でも一番の問題はアレだよな……」


「うん、お父さんとお母さんに何て説明したら良いんだろ……」


 二人して沈黙してしまう。

 理解力のある詩織ですら初見で気絶したのだ、この事を両親に話したら大変な事になりそうな気がする。

 それに今は旅行中なのだ。幸せな時間に水を指すどころか、爆弾を放るような真似はしたくない。

 そう考えていると、詩織と視線が合う。

 彼女も同じ考えに至ったらしく、オレは口を開くとこう提案した。


「二人が帰ってくる日、向こうから電話が来た時に話すことにしよう」


「うん、そうね。問題を先延ばしにするのは良くないけど、話したら絶対にすぐに帰って来ちゃうと思うし」


 こうしてオレと妹は、性転換の事を両親に秘密にすることにしたのだった。

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