154.離してやれなかった
夜明け直前の紫色の空は見えない。離宮はしんと静まり返り、隣に眠るのは愛しい妻だった。皇妃と認められたばかりのトリシャは疲れから目を覚さない。
貪るように美しい天使の羽をもいだ。口付けて息を奪い、首や胸元に僕の刻印を散らし、二度と天上に戻れないよう縛りつける。柔らかい声で鳴く彼女を導き、純潔を散らした。刺繍の入った布で純潔の血を拭い、枕元に置いた。
これは彼女が天使であった証拠だ。皇族の妻が後継者を産んだ時に、臍の緒と一緒に保管される仕来りだった。僕はこんな仕来りは不要だと思うけど、万が一にもトリシャの子を別の種と疑われる事態は避けたい。
まだ目覚めないトリシャの銀髪を、ひと房手にとって口付ける。綺麗に結い上げた髪は解けて、髪留めは床に落ちたかな。夢中だったので覚えていないけど、彼女が起き上がる前に片付けないと。いや、座学で習った話では初夜の次の日は起きられないんだっけ?
このまま閉じ込めておけるね。今日は僕と一緒にベッドにいたらいい。食事は運ばせるし、トイレも風呂も僕が抱き上げるから安心してね。頬に触れたいけど、起こしてしまうね。
夜明けが近づくまで、彼女は僕を受け入れてくれた。優しくしたいのに暴走しそうな僕を食い止めたのは、トリシャの掠れた声だった。痛みが滲まないように、気持ちいいと感じてくれるように。最後は夢中になって無理をさせてしまったけど。
気を失うように眠ったトリシャを見て、ようやく自制が効いた。遅いけど、さらに貪る浅ましい姿は見せずに済んだよ。指先に触れる手触りのいい髪に微笑む。
やっと手に入れた。もう僕だけのトリシャだ。誰にも触れさせないし、彼女が愛するのは僕だけでいい。この鳥籠の中で、大切に慈しむ愛すべき存在だった。
「愛してる、トリシャ」
誰も愛せないと思ったのにね、僕は壊れているから。暴君になる寸前で出会った天使は、その輝きで僕を包んでくれた。魔女だと己を卑下するのに、輝きは誰より強い。
ベアトリス・アストリッド・フォルシオン――フォルシウス帝国2位の権力を持ち、悪虐皇帝を宥めることが可能な唯一の女性。僕は君のためなら何でもする。君が領地を欲しがれば、どこまでも広げてみせよう。穏やかな日々を望めば、平和に尽力する。どちらも僕で、どちらもトリシャの選択次第だ。
白々と明るくなる窓に目をやり、カーテンの隙間から差し込む光に口元を緩めた。早朝の寒さから無意識に擦り寄るトリシャを抱き寄せ、額と頬に口付けた。わずかに睫毛が震えたけど、寝息は途切れない。
ゆっくりお休み。鳥籠は僕が守るから、愛らしい声と微笑みで僕を愛して欲しい。魔女になっても隣にいると言ってくれた気持ちのまま、ずっと僕を愛してくれ。
目を閉じたら彼女が消えてしまいそうで、しっかりと引き寄せて銀髪に唇を押し当てた。
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