130.君は怖がらないんだね

 思わぬ解決をみた肉泥棒を連れて、僕は離宮の玄関をくぐった。当然入り口を守る騎士や、勤める侍女達には説明済みだ。トリシャは部屋着に近い薄いワンピースに上着を羽織っていた。


「エリク、お帰りなさい……その子がお話に出てきた狼ですか?」


 怖がるかと心配したけど、トリシャはすぐ近くまで歩いてきて膝をついた。視線を合わせて微笑み、匂いを確認するルーの好きにさせている。髪や肌の匂いを確認すると、くーんと鼻を鳴らしてからぺろりと頬を舐めた。


「きゃっ、あったかい」


 嫌がらずに笑うトリシャの無邪気な様子に、ほっとした。悲鳴を上げられたらどうしようかと思ったよ。僕にとって今はトリシャが一番だけれど、ルーも大切な友人だからね。追い出すことはしたくない。


「夕食は用意しておりますけれど、生肉の塊も追加しましたの。足りるといいのですけれど」


 急だったので大きな塊が用意できなかった。そう話す彼女に手を貸して立ち上がるのを助け、僕は事実を少しだけ誤魔化して話した。


「ありがとう、助かるよ。ルーは自分で狩りをしてきたみたいだから、たくさんは食べないと思うよ」


 狩りの内容が物騒なので濁す。ニルスは穏やかな笑みを貼り付け、ソフィは斜め後ろでじっと動かなかった。もしかしたら動物が苦手なのかも知れないね。


「ルー、上に行きましょう」


 トリシャは人間に対するように狼に接し、ルーも大人しく従う。まるで昔からトリシャの飼い犬だったみたいだね。嬉しい誤算に心が弾んだ。


 足元で肉を齧るルーの口元から、時折ボキッと骨を折る音が聞こえる。細かい骨は噛み砕き、大きく太い骨は残すらしい。野生の獣特有の臭いにも、トリシャは嫌悪感を示さなかった。


「トリシャはルーが怖くない? これでも野生の狼だ」


「いいえ。私、大きな犬が好きなんです。以前に飼っている方に見せていただいて、それから憧れていましたの」


 その時に飼い主の男性が犬に対して視線を合わせ、相手が匂いを確認するまで動かないことを教えてくれたという。


「どんな人?」


「ふふ……嫉妬しなくても、お爺ちゃんですわ。元将軍だった方で、時々愛犬と顔を見せてくださいました」


 尋ねる僕の声のトーンが下がったのを感じ、笑いながら教えてくれる。優秀すぎるトリシャも困ったものだ。僕が負かされてしまうね。君の手のひらの上なら踊るのも悪くない。


 足元で丸くなって眠り始めた狼を見るトリシャの眼差しは柔らかかった。ルーも自分に危害を加えないと理解しているようだ。野生の狼だから飼うことはしないけど、たまに遊びに来てくれるとトリシャも喜ぶだろう。


「陛下、お茶のご用意が出来ました」


 ニルスが丁寧に声をかけて誘導する。どうやら噂をばら撒いた女達の追跡に、何らかの進展があったようだね。僕が頼んでから、半日も経っていない。有能な部下に頷き、トリシャとソファに移動する。ぱたぱたと尻尾を揺らして付いてくるルーが足元で再び丸まった。


「今日は泊まっていくかい? ルー」


 鼻を鳴らして応える狼のために、大きめの絨毯を用意してあげなくちゃね。そうだ、折角だから噂をばら撒いた女達を軽く脅してやろうか。衣類に使われる毛皮より硬い毛を撫でながら、僕は頬を緩めた。

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