129.肉泥棒の正体見たり

 死体を盗んだ連中は、ヨアキムの死体を狙ったんじゃない。誰でもよかったのだ。吊るされた死体を盗んだという実績さえあれば、それが賊でもヨアキムでも関係なかった。そう考えると辻褄が合うね。


 離宮へ戻る廊下を歩く僕の前で、アレスが剣の柄に手をかけた。また賊か? そう思ったが、違う!


「待って」


 アレスが用心しながらも柄の手を離す。いつでも握り直せるようにしているが、外側に半歩ほど移動した。右側の茂みがごそごそと揺れ、大きな犬が飛び出してくる。


「久しぶりだね、会いに来てくれたのかい?」


 攻撃する意思はないと示すためか、尻尾を大きく左右に振りながら近づいてくる犬……これは狼だったね。ずっと知らずに相手をしていた。ぺたぺたと近づいてきた狼の硬い毛を撫でながら、トリシャに紹介する話を思い出す。


「ニルス、悪いけどトリシャを呼んで……別にいいか」


 以前は皇族の一人に過ぎなかった僕も今は皇帝だ。狼を離宮に入れるくらい、問題はなかった。トリシャを外へ出すより、狼を中に入れる方が安全だなんてのも、どうかと思うけどね。


「この子も中に入れる。先に連絡してくれる?」


「はい、陛下」


 ニルスの指示で動く侍従を見送り、狼の前に屈んだ。万が一の事態を考えて近くに立つアレスの靴を、クンクンと臭った狼は大人しく座る。左右に揺れる尻尾の速さが変わったくらいで、威嚇する様子もなかった。


「ねえ、ルー。一緒に離宮へ来てくれる? 僕の大切なトリシャに会って欲しい」


 ぐぅう……喉を鳴らした狼を撫でながら、僕は言葉が通じたような気がした。


「そう、ルーの言う番だよ」


 立って歩き出すと、ルーは隣についてくる。時折僕の顔を見上げながら、足に体を擦り寄せた。


「陛下が以前に話しておられた通り、賢い狼ですね」


 感心した様子のニルスに、僕は笑う。あの頃、誰も頼れなかった。皇太子の暴力を受け、皇帝の庇護がない子ども――無力だった僕を励ましたのは、ニルスとこの子だ。体を鍛えて勉学に励み、僕を支えることに必死だったニルスを、それ以上追い詰めたくなかった。だからあの頃の僕が愚痴った相手は、ルーだけ。


「ん? ルーの口に何かついてるね」


 口の端についた小さな欠片を指で摘む。赤い肉片? 食事の後に訪ねてきたのか。くすくす笑った僕の手を、ニルスが差し出したハンカチで拭う。間に挟んで、肉片を片付けた。良く見るとまだ口元が汚れている。


「ルー、どこでそんなに肉を……え?」


 汚れた口元を拭うと、さすがにルーも顔を背けた。ぺろぺろと自分の毛繕いを始めたが、その最中にこぼれ落ちたのは、髪の毛だ。動物の毛皮より長く、明らかに人毛だった。


 伸ばした指先で口元の毛を引き抜き、よく観察する。白い布の上に置いて、じっくり眺めた僕は吹き出した。


「ふふっ、なんだ。肉を持ち帰ったのは狼か!」


「え、では……」


「ああ、噂と肉泥棒は関係ないね」


 思わぬ犯人の自供……と呼んでもいい行動に、僕は声を立てて笑った。後ろで複雑そうな顔をするニルスも、表情を和らげて苦笑いする。アレスは驚いた顔をした後、いつも通り周囲の警戒をする振りで後ろを向いた。その肩が震えてるけど、笑っていいんだよ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る