77.何事も事前準備が重要なんだ
皇妃となられるベアトリス姫――その名が公表されたのは、舞踏会の前日だった。それまで「姫」とだけ呼称される婚約者は、ようやく隠すヴェールの一端を開いたのだ。公表を遅らせたのは、彼らが手を打つ時間を短くするため。同時にわずかなりとも情報を与えて、処罰する理由を作る。
囮にするようで申し訳ないけど、代わりに必ず守るから安心して欲しい。そう告げたいけれど、素直なトリシャは表情に出てしまうだろうね。だから隠すことを許してくれ。
美しく着飾るため、女性の支度はほぼ1日かかりだ。母上の時も大変だったけど、トリシャは今回が初めて尽くしだから余計に大変だろう。前夜は普段より早めにベッドへ入るよう促した。微笑んで従う彼女の姿は、何も知らなければ深窓のご令嬢そのものだ。実際は芯のしっかりしたお姫様だけどね。
「準備は出来た?」
自室に引き上げて右手を差し出す。用意された報告を受け取って、目を通した。動きそうなのは、公爵家がひとつ、伯爵家と辺境伯もひとつずつ。一番危険性が高いのは辺境伯か。地位が高いだけの公爵や伯爵はトリシャの肩書きで追い払える。だが辺境伯は侯爵家と同等の地位に加えて、軍事力があった。
僕にかかれば何てことない相手だけど、ソフィにはまだ荷が重いかも。ちらりと視線を向けた先で、ニルスは珈琲を淹れていた。僕が報告書への手配で徹夜になると理解してるんだね。もちろん、君も一緒だけど。
渡された珈琲を一口、それから辺境伯の資料をソフィに渡すように命じた。彼女も徹夜させたいところだけど、今回は初めてだから対応のみ覚えさせよう。
「対策をしてあげて」
「承知いたしました」
僕が目を通し終えた報告書を返すと、ニルスは外へ出て行った。残る国内外の問題に目を通し、明日の舞踏会に思いを馳せる。美しい小鳥を自慢するイベントだ。それも滅多にお目にかかれない最上級の姫君に、誰もが感嘆の溜め息をつくだろう。
帝国の貴族がどれだけ手を伸ばそうと届かない、安全な鳥籠の住人を見せてあげるんだから感謝して欲しいね。結婚式まで二度目はない。繊細な小鳥が楽しめるよう、場を整えるのは鳥籠の主の仕事だった。僕の手腕次第で、トリシャに与える記憶の質が変わる。
楽しかったと微笑んで欲しい。それこそ最高の褒美だった。でもね、僕個人の醜い欲を口にするなら……二度と出たくないほど傷ついて僕に縋って欲しいんだ。そうしたらトリシャを外に出さない理由が出来て、鳥籠から逃げようとしなくなるだろ?
分かってる。こんなの身勝手で、トリシャに傷を残す行為だった。僕は自分の欲より、トリシャの喜びを優先する。そうじゃないと父だったあの男より最低になるからね。
手にしたペンで、指示をいくつか書き記す。必要な命令書を作って押印した。一通りの作業が終わる頃、ようやくニルスが戻ってくる。
「ご安心ください、まったく問題ございません」
完璧に指導した。そう言い切る君の黒い笑みを見て、普通は不安になるだろう。でも僕は心から安心した。だって、ニルスが断言したんだから。頷いて書類の内容にいくつか提案する。王族を失って荒れた隣国の状況に派兵する手配をしながら、僕はひとつ欠伸。寝るのは朝食を終えてから半日ほどかな。
明日は、トリシャの支度が離宮で一番の仕事になる。その間に仮眠をとらせてもらうけど、起きたら美しいトリシャに出会えるなんて、最高の睡眠時間になりそうだね。
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