70.違う意味で失えない存在

 トリシャをお披露目する舞踏会は10日後に迫っていた。準備は万全、最終チェックをするニルスはまだ休養中なので、自ら確認する。違うな、ニルスが居たとしても僕は自分で確認しないと気が済まなかったはずだ。


 警備は皇帝騎士のアレスとマルスが指揮を取る。近衛を総動員するため、離宮の警備を考えなくてはならない。皇帝と皇妃の寝所という価値を考えたら、一般兵士を配置できなかった。


 とんとんと指先で計画書を叩きながら、マルスとアレスを分けて配置する方法を考える。しかしどれもイマイチだった。こういう調整はニルスが得意だったな。休養の邪魔をしたくないけど、トリシャのためだ。僕は立ち上がり、ニルスに充てがった部屋に向かった。


 隣室で僕が動き回れば、休養中でも彼は気にして起きてきてしまう。それを防ぐために、本宮の客間を使わせた。ノックして入ると、ニルスはきっちりとリボンタイを整えていた。


「……何してるの」


 思わず声が低くなる。休養中は楽な格好するはずだよね? どうして仕事中と同じ服装で、タイまで締めてるのかな。おかしいじゃないか。


 咎める僕の声に、ニルスは満面の笑みを浮かべて一礼した。その態度は堂々として、まったく悪びれていない。


「本日より出仕いたします」


「医師の許可は?」


「もちろん、書面にて預かっております」


 常に用意周到な男のすることだ。書類がないとは思わない。だけど、傷はもういいのか?


「ご心配をお掛けいたしました。傷も塞がり、こうしてご挨拶をしてもふらつく無様を晒さずに済みます」


 完全に穴を埋めてくるニルスの言葉に、僕は苦笑いするしかなかった。実際困って助けを求めにきた立場としては、強く言えるはずがない。


「助かる。だが仕事は半日だけだ。舞踏会が終わったら、通常業務に戻ってくれ」


 心配していることを匂わせつつ、妥協した結果は中途半端に思えた。しかしニルスは小さく頷き、心得たように手を伸ばす。おや、見抜かれたようだ。相談する検討内容を手にしたまま入室した、僕のミスだね。


「悪いが警備の見直しを頼めるか。やはりニルスがいないとね」


 嬉しそうに返事をするニルスの顔を見ながら、後半部分を付け足した。警備の心配は消えた。飲食物から小物やドレスまですべて準備は完璧だ。残るは……ソフィに継がせる貴族家の選定か。


「空いた貴族家の中で、使えそうなのはどれ?」


 名門と呼ばれる家名は簡単に潰せない。罪人であれば当主を処分し、その家族を追い出すことは可能だった。大抵はそこで放置して、家名だけが残る。歴史が古い家ほどいい。ソフィが侮られず、トリシャの力になれる貴族……。


「皇妃専属の侍女となれば、侯爵家以上が相応しいかと。すぐ使えるのは、オーバリ侯爵家とシュルストレーム公爵家です」


 相談事を悉く見抜かれた上、完璧な回答だ。僕は愚鈍な皇帝として名を残さないために、ニルスは手放せないな。トリシャとは違う意味で、僕にとって必要な存在だった。


「公爵家で」


「手配いたします。最短で明後日の授与式が可能です」


「任せる」


 そこまで手を打つなら、ニルスは早い段階でソフィを認めていたんだろう。すべてを任せると言い切った僕は肩の荷が降りて、トリシャの顔を思い浮かべる。


 帝国の法律が書かれた専門書が欲しいと言ってたっけ。僕が使った教材が分かりやすかったね。持っていってあげよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る