64.鳥籠へ入り込む悪意
「今もお幸せそう。ふふ……早く皇帝陛下にお時間が出来るといいですね」
「ええ。早く会いたいわ」
聞こえてきた会話に、あやうく扉を蹴破るところだった。取り乱した僕の横で、止める手を差し出すマルスが苦笑いする。楽しそうな彼女達の会話に割って入ったら恨まれそうだ。護衛騎士からの報告は受けている。侍女であるソフィと一緒に食事をしているんだよね。
妬かないと言えば嘘だけど、トリシャにとって唯一の友人も兼ねているんだから仕方ない。そうだ。いっそソフィに貴族の称号を与えようか。どうせ肩書きは大量に余っているし、先日も数人吊るしたから伯爵でも公爵でも選び放題だった。
トリシャに誰かが悪意を持って近づいた場合、ソフィが平民だと押し切られる可能性がある。身分を盾に騒ぐ連中は多い。皇妃の専属侍女は、騎士と同じだ。一代限りだが準貴族扱いに相当した。平民相手なら通用するが、高位貴族では太刀打ちできないだろう。
手を打とうと扉から離れようとした僕は、思わぬ言葉に眉を寄せる。
「これ、酸っぱいわ」
「珍しいですわね。皇帝陛下がお持ちになる果物は甘いものばかりですのに」
トリシャの食卓に積む果物に酸っぱい物?
「本当に酸っぱいですわ。これはやめましょう」
嫌だわと感情を滲ませたソフィの声が決定打だった。合図に頷いたアレスが侍女に、手を付けた残りの果物を回収するよう命じる。一階の部屋に移動した僕は、焦っていた。ワインに含まれた媚薬があったからだろう。嫌な予感がする。
さりげなく片づけに入った侍女が、大急ぎで果物を回収した。小ぶりな赤い皮の果物は、歯を立てた跡と切った跡が残る。黄色い切り口が変色し始めていた。プラムの一種だろうが、彼女らが顔を顰めるほど酸っぱいはずはない。
齧った跡がついた脇に歯を立てた。檸檬に似た苦みの強い酸味が広がる。取り出したハンカチに吐き出し、マルスが差し出した水を飲んで薄めた。
「急げっ! 気づかれるな」
僕の命令に頷いたアレスが用意したのは、解毒剤を溶かした水だった。そこに甘い桃や柑橘を入れて果実水にして、薬の味を誤魔化した。トリシャに知らせて薬を飲ませれば早いが、怯えさせることはない。ようやく安心して食事が出来るようになったのに、少食に逆戻りされては困る。
護衛騎士に持たせ、差し入れの形で渡すことになった。夕食は一緒に食べられると記した手紙と、花束も添えた。これで不自然な時間の差し入れに理由を持たせる。食後だが、僕からの手紙と差し入れとなれば口を付ける筈だった。
息を飲んで待つ僕は、運ばせた書類を1階の部屋で処理する。半分ほど片付けたところで、トリシャもソフィも水をコップ1杯以上飲んだと報告があった。安堵の息をつく。食べた量が少なかったからか、毒を盛った部位を齧らなかったのか。2人に体調不良は見られないと言う。
「アレス、ソフィに毒に関する教育を施せ……大至急だ」
僕に毒の授業をした知識者はすでに鬼籍だ。他の教師を探すしかあるまい。それも含めての根回しと身辺調査を命じ、マルスを振り返った。本当はこういう手配はニルスが得意なのだけどね。
「果物の搬入経路と毒見の有無を確認させます」
マルスが自ら口にした内容を頷きで命じた。全身が震え、驚くほど寒い。もしトリシャを失ったら? 鳥籠の小鳥は与えられる好意を疑わない。その純粋さがこれほど恐ろしいと、想像もしなかった。
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