62.大きすぎる力は使いづらい

 嘆きの壁に伯爵を吊るした話を聞きながら、書類を淡々と片付ける。積まれた承認待ちの書類には、トリシャのドレスやお飾りの決済が混じっていた。それらを確認して、次は何をプレゼントしようかと考える。


 小鳥は何も欲しがらないから、出来るだけ先回りして準備してやりたいと思う。物より体験だろうか。離宮の玄関脇の大きな応接室を隣の部屋とくっつけて、ダンスの練習が出来るように直させよう。その書類もついでに書き起こして加えた。


「ニルスがいないと量が増えるな」


 呆れ顔のマルスが、僕が署名しなかった書類を拾い上げる。右は承認済み、左は差し戻しの箱だった。左側に積んだ書類は、よくわからない金の引き出しに関するものや、根拠のない装備備蓄の申請だったりする。ニルスが休養した話を聞いて、どさくさ紛れに通そうと思ったのだろう。


 こういう輩が普通に文官の席にいるのは、問題だ。彼が復帰するまでにある程度処理するか。いや、ニルスの担当する部門だから任せるべきか。悩むが、すぐにニルスの意見を聞く方へ傾いた。


 何らかの理由で、ニルスが泳がせた者が混じっているかも知れない。トップダウンも時に必要だが、この程度の問題で振るう力ではなかった。強大すぎる皇帝の権力は、一度振りかざしてしまえば簡単に収まらない。その怖さをニルスはよく知っていた。


 人としては壊れていたが有能だった父を思い浮かべ、顔をしかめた。ひとつ息をつき、無意識に右側の席を確認する。いつもならニルスが珈琲を入れてくれるタイミングだった。頼り切っていた自分の甘さに苦笑いし、マルスに珈琲の準備をさせる。


 道具はすべて部屋に揃っていた。毒や薬の混入を防ぐため、厳重に管理された棚を開けたマルスは、少しぎこちない手付きで淹れ始める。漂う香りに、ペンから手を離して椅子に寄りかかった。


 まだ怠さが抜けない。昨日の媚薬のせいだろう。間違いがあってはいけない、と昨夜はトリシャと夕食を取らなかった。それどころか顔を合わせられない。万が一、彼女をみて襲いたくなったら……ソフィが止めようとして失敗したら。想像するのも怖かった。


 彼女が眠ったのを見計らって、そっと部屋に入って眠った彼女の顔を見るのが手一杯だ。こんな状況に追い込まれた屈辱と怒りで、伯爵は即日吊ってやった。娘も同じように処分するつもりが、なんと腹に赤子がいることが発覚する。どうやら他の貴族にも似たような手を使い、騒動を起こしていたらしい。


 調査結果はまだ不十分だが、産まれる赤子に罪はない。親の罪を背負って産まれる前に殺す気はなかった。もしそれが許されるなら、僕自身が生まれていなかったんだから。


 産まれるまで処刑は一時中断とし、牢内でも妊婦にとって必要な物はすべて与えるよう命じた。僕の手はすでに血塗れだけどね、無垢な魂まで握り潰す非道はしない。差し出された珈琲に口をつける。いつもより苦い気がして、久しぶりに砂糖に手を伸ばした。

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