61.証拠は揃ったよ
「皇帝陛下のご気分が優れないようでしたのが……心配で」
濁した語尾に滲んだ欲情の色に、僕は口角を持ち上げた。笑みに近い表情に受け入れられたと勘違いした娘が入り込む。アレスに合図して、わざと通過させた。
胸元が大きく開いたドレス、体が熱くなる……毒。いや、毒ではなく媚薬の類だろう。つまり媚薬で興奮させた僕が、銀髪の娘に興奮して襲いかかる、と?
くつりと喉を鳴らした僕の前に、マルスが立ち塞がった。視線を寄越した彼に頷く。アレスが後ろ手にドアを閉めて、出口を塞ぐように寄りかかった。さあ、準備は整ったよ。あとは君の出方ひとつだ。
「陛下、その……苦しそうですわ。私でよければ、お慰めいたします」
「君が? それくらいなら我慢するよ」
喉を震わせて笑った僕に驚いた顔をする娘が、膝をついて手を伸ばす。随分と慣れてそうだけど、こんな女の手に慰められる気はない。
入ってきた侍従が、封の開いたワインをニルスに見せた。にっこり笑ってみせる侍従の手には、先程のグラスも握られている。
これで証拠は揃った。まずはルーデルス伯爵を落とそう。黒幕はもう調査させている。合図する前に、マルスが動いた。すらりと抜剣した剣が光を弾き、銀色に光る。手入れのされた剣先が、女の首に当てられた。
「それ以上近づくな」
「ひっ、私、あの」
「片付けていいよ」
少し乱れた息を整えながら、寛げた胸元のタイを引き抜いて放り出した。まずいな、思ったより効くね。血が沸騰するような感覚に、熱を孕んだ息を吐いた。
「お、お許しを……きゃぁ、いやああ」
引き摺られて廊下に出された伯爵令嬢の声が響く。後ろでお茶を用意したニルスが、苦そうな緑の薬湯を差し出した。香りのいい湯気を立てているのに、ひどい味の薬湯だ。苦い味を思い出して顔を顰めるが、このままではトリシャの顔を見られない。
襲いかかって嫌われる訳にいかないからね。ぐいっと一気に飲み干した。吐き気がする匂いが鼻に上がってきて、咳き込む。背中をさするニルスが、そっと別のカップを出した。
「なに? これ」
「甘いお茶です、お口直しに用意しておきました」
気がきく執事で助かるよ。微笑んで、そちらも一気に流した。喉に絡んだ苦味がすっと消える。ほっとして息をつくと、口の中に甘さが残った。普段はあまり甘いものを好まないけど、この味は悪くない。蜂蜜かな。
「ありがとう、ニルス。もういいから下がって休んでよ」
「お言葉に甘えて失礼いたします」
ニルスの傷もまだ塞がったばかりだ。休養が必要だからね。休むように促した僕は、マルスに叱られて長椅子に横たわった。
「もっと自分を大事しろ」
「わかってる、ごめん」
素直に謝罪が口をついた。部屋を出るニルスを見送り、怠い体を起こす。発散しないと収まりそうにない。解毒剤が効くまで長くかかるなら、吐き出してしまおう。自分のマントを外して僕を包んだマルスが抱き上げた。
「動くな、話すな」
乱暴に肩に担いだマルスは、戻ったアレスに目配せした。笑ったアレスが僕の頭をマントの中に隠す。運び出された僕は、風呂の床で解放された。ほっとしながら、気の利く部下の背中を見送る。僕はあの執務室から出ていない。そう工作するのだろう。
慰めるときに誰の姿を思い浮かべたか。言うまでもないよね。
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