60.ゆっくりと毒は回る
緊張しているのか、銀髪の娘は震えていた。それを玉座から見下ろしながら、僕は不思議な感覚に口元を緩める。同じ銀髪なのに、どうして嫌悪感しかないのか。震えるのはトリシャも同じだったのに、この娘には何も感じない。親に利用される同情も、哀れに思う気持ちの欠片もなかった。
やたらと胸元を強調するドレスは、親の意向か。本人の趣味か。どちらにしろ品がない。真っ赤な口紅も気に入らないし、ワインの試飲に香水をふんだんに着ける神経がおかしいよ。ワインの香りが飛んでしまう。侍従の表情も同じような嫌悪が滲んでいた。
封の開いたワイン瓶を手に近づいた彼女が、そっと瓶の口を傾ける。グラスを持つ僕の前で瓶からワインを注いだ。空気が抜けるコポコポという軽い音、そして慣れた所作でワイン瓶を戻した娘は微笑んだ。
「ご苦労、下がれ」
冷たい声が響く。これがトリシャだったら、注ぐのは僕だっただろう。彼女の細い腕にワイン瓶など重すぎるし、僕は彼女に酌をさせる気はなかった。だから僕が「美味しいよ」と注いで……いっそ口移しで飲ませるのも悪くないね。上手に飲めたら褒美のキスを、もし溢れたらそのワインを舐めて、首筋に赤い刻印を刻もうか。
銀髪を見て浮かんだのは、そんな妄想だった。銀髪というだけでトリシャを思い浮かべる。考え事をしながら口をつけたワインの味に、僕は眉を寄せた。腐っているのとも違う、妙な痺れが残る。見下ろした段下の伯爵の口元が歪むのを見て、事情を悟った。
即効性じゃない毒か。毒見役を見ると真っ赤な顔で呼吸が荒い。口の中で転がしたワインを、僕は意味ありげに飲み干した。弱みを見せるくらいなら、多少の苦しみは耐えてみせる。少しでも弱点を晒したら、あっという間に突かれる宮廷を生き抜いた僕に、馬鹿な真似をしたものだ。
「いかがでしょうか、皇帝陛下」
「僕の口に合わない」
一言で切り捨てて、ひとつ溜め息を吐いた。毒見の反応からして、病に見せかけて殺す毒みたいだね。なら早めに部屋に戻って、解毒用の薬草を……そこまで考えた時ニルスが先に動いた。
「陛下、急ぎの書類がございます」
抜け出す口実を用意した執事に頷き、僕は立ち上がった。
「ご苦労だった。今回の
じわりと体に熱が溜まり始める。ちらりと視線を向けた伯爵は、娘に何かを囁いた。口元が見えず、話が読めない。しかし構う時間が惜しかった。立ち上がって歩き出した僕は廊下の涼しさに、襟元を指で乱暴に緩める。
熱い。
「毒消しを大至急だ。あのワインをすぐに回収させろ。それから……」
指示を出すニルスの声が遠い。倒れることはないが、体が怠かった。
「陛下、しっかりなさいませ。なぜ飲まれたのか」
吐き出してやれば良かったのです! 憤るニルスに、口角を持ち上げて笑った。執務室に戻り、長椅子に重い体を放り出す。シャツを乱暴にくつろげ、乱れ始めた息で大きく胸元を揺らした。
「そう怒るな、伯爵の後ろに誰かいると思わないか」
臆病な小鼠が、わざわざ巣穴から出てきた。それも卑屈な作り笑いを引っ提げて……誰か後ろで操る者がいる。黒幕を引き摺り出すためだ。そう告げた僕の前に、さっとマルスが進み出た。
アレスが扉の脇に身を寄せ、ドアノブに手をかけた。頷く僕の合図で、ドアが開く。たたらを踏んで飛び込んだのは、銀髪の娘だった。
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