53.世界は思うより単純だよ

 掠れて聞き取りづらい拒絶を、僕は穏やかな気持ちで受け止めた。だって、最初から言われると分かってる言葉に傷つくことはない。トリシャなら、自分を卑下して穢れていると距離を置くだろう。とっくに予測していた刃は、僕に刺さらないよ。


「トリシャ。僕はね……」


 ごくりと喉を鳴らしたトリシャの髪に接吻けた。この髪色も好きだけど、それは大賢者の血筋をたっとんだわけじゃない。僕の愛した女性が持つ色だから。


「君がどんな過去を持っていても、関係なく愛してる。逃げ出す気なの? 今になって、僕が君を逃がすとでも? 逃がさない。僕の隣にいる権利は、僕があげるよ。だって僕は最高権力者だよ? 誰が逆らえるの」


 だから諦めて、僕の隣にいて。そう囁いて、もう一度髪にキスをする。君にとってのコンプレックスなんだろう? そんな劣等感は不要だ。僕が美しいと賞賛すれば、最高の髪色と称されるようになる。ねえ、君は今まで古い価値観しか知らない。僕が全部……そう、トリシャを新しく塗り替えてあげる。


「……エリ、ク」


「ごめん、先に謝っておく。トリシャに選択肢はない。君は僕に愛されて、僕を愛するんだよ。ずっとこの腕に抱かれて、幸せに笑ってくれればいい。もし生まれをどうこう言う奴がいれば始末するし、君が人目を気にするなら離宮を出なければ問題ないさ」


 緊張した面持ちで震える哀れな美女を、僕は逃がさない。鳥籠の意味をよく理解してね。君がここから逃げ出そうとすれば、僕は何をするか分からないよ。優しい僕でいるために、トリシャは籠の鳥でいてくれなくちゃ。


「父親が大賢者で、その妹が母親で……だから何? 僕はトリシャの気高く美しい横顔に惚れた。心を奪われ、初めて興味を持った。僕の大切な蝶を一夏の戯れで手放す気なんてないんだ。トリシャは大切な存在で、僕の一部だよ」


 ぽろりとトリシャの頬を伝う涙を追って、唇で触れる。塩気のある涙を吸い、濡れた頬にキスを降らせた。その間にもあふれてくる涙は、ついにドレスへ滴っていく。なんて勿体ない。君の涙も血も、感情の僅かな揺らぎでさえ、僕のものなのに。


「私……っ」


「トリシャが知ってる常識もルールも、書き換える力が僕にはある。何も隠さないで、全部明け渡してくれ。愛してる」


 震える肩は細く、その腕はか弱い。敵だらけの王国で戦い抜いた君の強さは、僕が理解して褒め称えよう。だからもう、頑張る必要はないだろう? 耐える痛みも、悲しみも、怒りもすべて――僕が引き受ける。小鳥の羽には重すぎるからね。


「古い慣習に縛られた連中の言葉に、君が苦しむことはない。新しい世界で、僕は悪逆皇帝にだってなれる――わかるよね? 救世主はトリシャだけだ」


 トリシャが苦しみ、僕から離れようとするなら世界を壊そう。それを止めて救えるのはトリシャしかいない。君は支配者達の末裔から、人々に崇められる救いの女神になる。


「ベアトリス・アストリッド・フォルシオンに……なってくれる?」

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