52.稀有な髪色が意味するもの

 移り香を疑い、誰かと親密になったのではと心配する。トリシャの言動は僕に対する嫌悪がなかった。


「この香りは僕の部屋にあるよ。侍女に持ってきてもらおうか」


 机の上のベルをちりんと鳴らして命じる。部屋から持ってこられる香水を待つ間に、事情を説明した。


「さっき、トリシャが心配した外の騒動だけど……僕への襲撃があった」


「っ! おケガは?」


「ない。安心して。でもニルス……僕の執事が庇ってケガをしたんだ。僕の失態だよ」


 隠すことなく話し、心配に表情を曇らせるトリシャの頬を撫でた。少し体温が低いかな。そこへ運び込まれた香水を差し出す。冷えた指先で蓋を開ける彼女の確認を待った。この香水は普段使わないから、選んだのは不用意だったね。


 血の匂いを隠すために使ったことも説明し、トリシャはほっとした様子で瓶を返した。まだ不安そうなトリシャは、魔女の謂れが気になっているのだろうか。もう少し後で話した方がいい。いや、また失敗するのか。もう後はないのに。


 迷った末、離れて座るトリシャとの距離を詰める。真横に腰掛けたことで、布越しに彼女の体温が伝わってきた。声を掛けてから彼女の肩を抱き寄せる。僕の肩に頭を預けたトリシャを見つめながら、僕は言葉を探した。どこから話せば誤解なく伝わるだろう。


「トリシャ、僕は……君のことを調べさせた」


 びくりと肩が揺れる。不安そうに揺らぐ濃桃色の瞳が、悲しそうに伏せられた。逃げるように身を離そうとする腕を拒み、さらに引き寄せる。美しい銀髪に接吻けた。紫かった虹のような髪色は、特別な意味があった。


 大賢者が豊富な知識を持っていたのは、かつてこの世界を支配した一族の末裔だからだ。先祖が残した古代遺産を吸収し、貴重な書物を読み漁った結果に過ぎない。別の子供であっても同じ環境で育てば、似たような知識を持つ者が育つだろう。だから彼自身に特殊な能力はなかった。


 圧倒的な知識を生かす実行力は素晴らしい。だがこの程度の才能ならば、帝国にも王国にも優秀な者はいる。彼が特別扱いされた最大の理由は――その生まれにあった。かつて大陸を制覇した一族の直系、それも最も濃い血を受け継ぎ、遺産となる書物や財産が隠された扉を開く権利を持つ者。


 彼はその財と知識を一族の復興ではなく、人々の救済に充てたが……。この一族が持つ特別な色こそが、髪の色だった。銀髪に見えて銀ではなく、紫でもない。光の具合によって色を変える虹を纏う髪は、支配者の血族にのみ遺伝した。その色を数千年を経て今に伝える、近親婚の賜物だ。


 大賢者の母は己の父との間に子を為した。


「すべて……ご存じ、なの、ですか?」


 怯えたように両手で顔を隠すトリシャの指に、そっと唇を押し当てた。白い肌は冷たくて、小さく震えている。肯定せず「知らない」と言いたい。安心させたいのに……僕は君に嘘を吐かない誓いを立てた。


「ああ、知っているよ」


 君が己を穢れていると感じていることも、大賢者の妻が血の繋がる妹だったことも……おそらく、君より詳しく知っている。


「私、もう……おそばに、いられません」


 消えそうな細い声が、トリシャの喉から絞り出された。

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