54.『はい』以外はやり直しだよ
ベアトリス・カルネウスではなく、ローゼンタール公爵令嬢でもなく。ただのベアトリスとして僕の妻になって欲しい。アストリッドは皇妃に与える洗礼名のようなもの。フォルシオンは我が皇家の家名。どちらも君の物だ。誰も異論を唱えさせはしない。
「……私」
「残念だけど『はい』以外は何度でもやり直しだよ」
くすくす笑いながら、トリシャに念を押す。そう、君がいいえと首を横に振ったら、まずはその足をもらおうか。この離宮から逃げられないようにね。それでも拒んだら、次は瞳? 綺麗なのに損なうのは勿体ないから、部屋に閉じ込めるといいね。
鎖で繋いで部屋に閉じ込めて、僕以外は世話をする数人の侍女しか近づけさせない。騎士も姿を見なくても守れるから扉の外に待機だ。いっそお披露目なんてやめてしまおう。僕以外の男を見ない。声も聞かせないし、話しかけさせない。素敵だね、そんな箱庭を用意したくなる。
「エリク、あの」
「お願いだから頷いてよ。僕は君に優しくしたいんだ」
濃桃の瞳に睫毛がかかって影を作り、色が赤く見える。白っぽい銀髪に赤い瞳なんて、伝説の女神のようだね。美しいトリシャに似合いの色だった。僕という壊れた皇帝を正しく導く女神だ。さあ、頷いて僕を喜ばせて――。
「はい、私はエリクのものですわ」
恥ずかしそうに頬を染めたトリシャの言葉は、僕の心臓を止めるほどの力があった。聞きたくて焦がれた承諾が、ついに彼女の唇から零れた。見開いた目を和らげて、僕は自然と浮かんだ笑みに困惑する。作らないのに笑顔になる。
「愛してる、トリシャ。大切にするから」
抱き寄せた彼女の細い腰に手を回し、髪に唇を押し当てる。君が穢れの証だと思っている髪も、この額や頬、唇さえ……全部僕の宝だ。辿りながら
「ふ……んっ、ぅ」
物慣れないトリシャの手が肩に置かれた。押し戻そうとしたのか、少しだけ力が入る。でも抵抗する気はないみたいで、すぐに縋るだけになった。いきなり深く重ねたら驚かせてしまう。トリシャにいろいろと教えていくのは僕の特権で、怖がらせないようにしなくちゃ。
「トリシャ、ありがとう」
自然と口をついたお礼に、彼女はふふっと笑った。その笑顔に心が埋め尽くされる。枯れてひび割れた隙間に、彼女の与える感情が沁みた。惜しみなく与えられる温もりと微笑み、優しい眼差しが胸を高鳴らせる。
「私こそ、エリクに拾っていただいて」
余計な卑下を声にしそうな唇を指先で押さえる。柔らかい唇に触れると、もう一度奪ってしまいたくなるね。出来たら僕はひたすらにトリシャに与えたいのに。君が持つ優しさや愛情に触れると欲しくなる。こんな感情は知らないから、怖いより嬉しくなった。
さらりと指先で髪に触れる。銀髪は虹のように光を弾き、紫がかった艶を帯びていた。この美しさを世界が受け入れる間は、僕も世界を壊さないでいられる。うっそりと笑う僕の頬を、トリシャの指が撫でた。
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