38.早く起きて僕を見て

 うっかり眠っていた。ぐしゃりと髪を乱し、服の襟をわずかに緩める。そんな雰囲気を作り上げ、まだ眠るトリシャの隣に転がった。離れる前と同じように手を握り、病的に白い肌を優しく撫でる。


 ねえ、目覚めたら一番に僕を見てよ。誰より何より先に僕に微笑んで。そんな君を想像するだけで、どんな状況にも耐えられるから。


 調査の報告書は次々と僕のところへ舞い込む。トリシャの両親のことも、人質に取られた後の話も。すべて、全てだよ。トリシャに関しては、誰より詳しくなくちゃ納得できない。誰も知らない君を暴いて、それもすべて吸収したいんだ。トリシャ自身も知らない君を手に入れたら、僕は安心できるのかな。


 トリシャと大賢者の妻は人質に取られた。王家預かりとなった妻は、徐々に痩せ細り衰えて亡くなったと記録されている。実際には殺されたんだけどね。毒を盛ったなら説明がつく症状だ。僕が耐性をつけた毒薬や麻薬は、ざっと50種類前後。その中で聞き覚えのある症状だった。


 毒への耐性は強くつける必要はなくて、飲んだ後の反応や味を覚えるだけの王族も多い。だから王族や上位貴族は毒に詳しかった。王家預かりがトリシャでなくて良かったよ。もし君を知らない間に殺されていたら――想像だけでぞっとする。


 この僕の渇きを癒す者は現れず、退屈を忘れさせ興味を持たせる存在が消えるんだ。しかも僕は奪われたことすら知らずに生きる……この世の地獄だね。


 ともあれ、妻を失った大賢者は狂ったように報復に乗り出した。民もそれに協力し、王家は殺したことを悔やんだだろう。邪魔な女を処分しただけで、ここまで追い詰められたなんて。帳簿や納税記録を見るだけで状況が手にとるように掴めた。


 大賢者を大人しくさせるため、王家が選んだ道はトリシャを王太子の婚約者に据えることだった。娘が公爵家に人質に取られ、その上、王家の婚約者になる。簡単に王家を滅ぼせない状況を作り上げたわけか。だが甘い。この程度なら突き崩せたのにね。


 大賢者は娘可愛さに手を引いた。僕なら彼女を取り返すまで抵抗するけど、逆に僕はお礼を言うべきだろうか。大賢者が煮湯を飲んで我慢したお陰で、トリシャは生きていた。僕の手に飛び込んでくれたんだから。


 冷えた指先を温めるように、両手で包んで僕の頬に押し当てる。君の与えてくれる冷たさが、徐々に僕の体温に溶けていくのは、どことなく甘美な気がするよ。もし僕が先に死んだら、君に食べてもらいたいな。いや、彼女を遺していったら誰かに奪われるね。それくらいなら僕が死ぬ時に、君の息も止めてしまおう。


 有能で様々な功績を残した大賢者は、夫として父として足りなかった。だからトリシャは公爵家の養女となり、王太子の婚約者に押し込められる。大賢者が死しても王家が婚約を破棄しなかったのは、民の目があるからだろう。大賢者に恩を感じる商人や農民、官僚、他国の支持者の数は膨大だった。一国の王家が抑え切れる数じゃない。


 トリシャは死なせず、しかし活かすこともなく、ただ生きていればいい人形だった。でも僕が見つけ、拾ったからには……もう安心していいよ。トリシャの未来は僕と共に歩むために存在して、大賢者の娘ではない役割がある。さあ、目を開けて――僕の最愛の囚われ人。

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