第4話 汚れちまった悲しみに
『家出JK。いっしょにタヒんでくれる人、募集』
そう出会い系アプリに書き込んだのは、あたしの抱える怒りがどこまでもいっても空っぽのものだったからだ。
「汚れちまった悲しみに――」
すぐさま何十人もの男たちからのメッセージで埋まったスマホの画面を、スワイプさせながら無表情でながめていると、不意にその文字が目に入った。
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れちまった悲しみに
たとえば狐の皮衣
汚れちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる
「あたしは、生まれちまったのが悲しみだよ――」
涙が頬を伝った。空っぽの涙だった。
『悲しみを終わらせよう』
だからあたしは、このメッセージに返信をした。
『終わらせて。それが最高』
*****
ヘッドライトの明かりしか見えない夜の底を、五味の運転する車は潜るように走っていた。
カーステレオもつけずに走行音しかしない車内で、あたしと五味はずっと黙っていた。話すことがないからだ。だけどあたしは機嫌がよかった。この車がちゃんと終わりにむかって走っているという実感が、この最後のドライブの沈黙も心地よい空気に感じさせてくれたからだ。街から離れてだだっ広い畑のあいだの高速道路を突っ走る車の窓には、流れ去っていくまばらな家々の明かりを見つめるあたしの姿が映っている。
「いい感じじゃん」
「なにが?」
「雪」
夜空をおおっていた雲がちらちらと雪を散らし始めていた。フロントガラスに落ちた雪はワイパーに払われて、汚れも悲しみもごちゃごちゃに混ざり溶けた水滴を残して消えていく。
「汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる――」
あたしが口ずさむと、窓に映る五味があたしに目を動かすのが見えた。
「随分と気に入ったんだな」
「うん。汚れて悲しいのがキレイなのエモくて好き。……って、あたしゴイリョク死にすぎでウケるわ」
笑いながら、けれどこの詩のひとつだけ当てはまらないところを想って、あたしは自嘲といっしょにつぶやきをこぼした。
「――まあ、あたしは生まれる前から汚れてたから、悲しくなかったころなんてなかったけどね」
こぼして後悔した。五味の顔がこちらにむいたからだ。
「……それが理由か?」
「きかないでよ。ドージョーやキョーカンですくわれるような話なら、この車にのってなんかいないっての」
五味の目を見て突き放す。あたしはあたしの死ぬ理由を他人に評価なんてされたくなかった。これはあたしの百点で、絶対な理由で、だから死ぬまでだれにも聞かせてなんかやるものかと思っていて、それはあたしの人生の価値を決めつけた、あの人にだって言ってやるつもりのないものだった。
黙り込んだあたしに、五味がさぐりを続けることはなかった。また沈黙になった。
この男のこういうところがあたしの疑念を増やす。いまさら意味のないことを何度も訊くし、まともな感性でものを言う。家出JKにあれだけ挑発されても結局ずっと手を出してこないし、それどころか喫煙者のくせにあたしが横にいるせいか車の中ではまだ一本もタバコを吸っていない。本当に死ぬ気があるのか疑わしくなってくるくらいまともなヤツだった。部屋に入った瞬間に押し倒されて、犯されて、殺されるぐらいのことは想像していて、それもアリだと思ってあたしはこいつに会いに来たのに、ホントに拍子抜けもいいところだった。
不機嫌に窓の外へ顔をそらそうとしたあたしは、そこでふと床に落ちているメモ紙に気づいた。
「なにこれ?」
「ん、それは――」
五味が慌てた声を上げる前にメモを拾って広げたあたしは、そこに書かれた文字を読んでいた。
葉が落ちた
土の上にうずくまる
その死骸を
雪が白く覆っていく
そのままずっと
白くきれいに
埋もれたままでいればいいものを――
詩だった。思いついた勢いで書きなぐったような乱れた文字だった。静かでキレイな詩なのに、その文字には怒りがあふれていた。
「これも中原なんとか?」
「いや――」
歯切れの悪い五味の返事に、あたしはこれが五味の作った詩だと直感した。
「悪くないじゃん。くらいけど」
だからあたしは思ったままにそう言った。五味が押し黙る。あたしはほほえんだ。
「やっぱりロマンチストだね」
少しこの男のことがわかった気がした。こいつはキレイに死にたいのだ。こんなに怒りに満ちた文字で書いているのに、それでも言葉はキレイに死にたいのだ。こんなのカッコつけに過ぎないなんてこと、あたしは知っている。ウソっぱちだ。でもそれをバカにする気は起きない。どうせキレイも汚いも死ねば全部洗い流してくれる。だから気が済めば、それが一番いい死に方なのだ。
「もらうね、これ」
詩の書かれたメモ紙を丁寧に折りたたんで、服のポケットにしまい込む。
「どうして?」
そう訊く五味の困惑した顔がかわいく見えた。
「死体にそえる言葉としてはキレイじゃん?」
そうニヤリと笑ったあたしに、五味は「好きにしろ」と小声で言って前をむいた。
車は夜の底を潜るように走る。
流れていく景色には、少しずつ雪が積もっていた。
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