第3話 本気ならなんでもいいのだ
シャワーから出てくると、五味はあのほこりっぽい部屋着から白シャツと黒ジャケットに茶色のチノパンと、まともなよそ行きの服に着替えて、開けた窓にむかって優雅にタバコをふかして待っていた。
「ここでやらないの?」
「……色々と迷惑もあるから外に行こう。車を出すよ」
「ふーん、車あるんだ。リッチじゃん」
あたしがわざと鼻につくように笑ってあげると、五味はクラスの女子にからかわれたドーテー男子みたいな動きでメガネを直し、タバコを携帯灰皿に押し込みながら苦々しげに言った。
「……まさかそのまま行くとか言わないよな?」
バスタオル一枚のあたしにむかって、本当にこの男はいまさらなことばかり言う。
「それもいいかもね。てかズルくない? 自分はいい服着ちゃってさ。あたし着替えないんですけど」
挑発するつもりでバスタオル姿のまま出てきたあたしは、五味が嫌がるとわかってワザとタオルの胸元をはだけさせる。思った通りに目をそらした五味を、あたしは鼻で笑ってやる。
「……インナーのシャツぐらいならやるよ」
「なにその返し。笑えるわ。それよりドライヤー貸して。濡れてるとアタマ凍えるからさぁー」
五味の不服そうな顔を背中にして、洗面台のある脱衣所へ戻る。鏡の前でドライヤーとブラシを使って髪を整えながら、あたしは無意味なことに時間を使っているなと思った。五味はつまらない抵抗ばかりしているように見える。どこまで本気であたしに声をかけてきたのか疑わしい気持ちになってきた。なにが色々と迷惑だ。そんなのすべて終わったあとには全部どうでもいいことになってるだろうに。あたしはなにがどうなってもいいって覚悟で、尊厳なんてなんだって全部踏みにじられたっていいってつもりで、たくさんの知らない男たちの中からコイツを選んだっていうのに。
ブラシが髪に引っかかる。
「くそっ」
意地になってきた。あたしは今夜、なにがなんでも絶対にやってやる。五味のヤツが逃げ腰でその気がないなら、あいつの目の前で一人でもやり切ってやる。あたしはからんだ髪が切れるのもかまわずに、無理やりにブラシを抜き下ろす。
「服、着たよ。で、どこまで行くの?」
脱衣所から服を着直して戻ると、コートを投げ渡された。五味はもう自分のコートを着ていて、さっさと玄関へと歩いていく。
「ねえ、どこ行くのよ」
「……山。雪のある峠の山道」
「ふーん、いいじゃん。雰囲気あって。ロマンチストなんだね」
座って靴を履く五味の背中をそう笑うと、この男は不快気な顔であたしに振り返った。
「……さっきからなんだ? ケンカを売りたいのか?」
「買えばいいじゃん。オトナぶってさ」
あたしはさらにケンカを売った。ガキっぽく、生意気そうに腰に手を当て斜めにかまえ、バカにした目で五味を見下ろす。ほら、買ってみろ。あたしの期待を叶えてみせろ。あたしを救いのないゴミだめの底へと連れていけ。
なのに五味の顔色は落ち着いていて、フッと自嘲気味な笑みをこぼした。
「……そうかもな」
「なにそれ。つまんないヤツ」
聞き流すように五味が玄関を出ていく。本当につまんないヤツ。あたしはイラ立ちながらも仕方なくあとに続く。
「あんた選んで失敗したかも」
外は冬の夜だった。雲のある夜空には星ひとつなく、冷凍庫みたいに冷え切った空気が肌にひりつく。アパートの階段を下りながら五味は、あたしの冷えた言葉に同じくらいの冷えた声で答えた。
「失敗もなにも、もうすぐどうでもよくなるだろ?」
「その気があるなら、あたしはなんでもいいよ。見直してあげる」
五味があたしを見上げる。階段の踊り場を照らす蛍光灯の、白く無機質な明かりの下に立つ五味は、夜の影と冷気に侵されるようにその輪郭が揺らいで見えた。五味が量るような目であたしを見ている。あたしも同じ目で五味を見下ろす。本気ならなんでもいいのだ。この場でやったってかまわない。本気なら、このチリチリとした蛍光灯のイラつく明かりなんて叩き割って、ここで全部終わりにしてみせろ。
そこで五味が白く息を吐き出して笑った。
「なかなかの上から目線だな」
「これからのあたしたちにはどうでもいいことでしょ?」
「そうだな」
あたしのイラつきをかわすように肩をすくめた五味は、そのままアパートの駐車場に止めてある自分の車へと歩いていく。
「キミの評価はどうでもいいが、最後くらいは穏やかな気持ちで終わりたいものだ」
黒い軽自動車が五味の車だった。鍵を開けた五味は助手席のドアを開いて、カノジョを車にエスコートするカレシみたいなポーズで手を広げ、あたしを招いた。
「さあ、人生最後のドライブだ。仲良くやろう」
「それいいね。うさんくさい死神みたいでホントにあの世にイケそうじゃん」
あたしたちは死にに行く。あたしとコイツとは、それだけのための出会いだった。
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