第5話 愛が無い
「最後の晩餐くらいさせてくれ」
雪の降り積もる山道に入ってから、五味はまたそういうまともなことを言った。
「で、どこでどうやって死ぬの?」
途中で見つけた深夜営業のドライブインの食堂で、湯気を上げるラーメンを息で冷ましながらあたしは訊いた。五味はその声の大きさに眉をひそめながら小声で答える。
「……睡眠薬がある。人の来ない行き止まりの山道の奥まで行って、そこで睡眠薬を大量に飲んで車の暖房を切って眠る。薬と寒さで必ず死ねる」
「へー、よく考えてるじゃん。それならキレイに死ねそうだわ」
あたしの褒め言葉に、五味は難しい顔をして無言でラーメンをすするだけだった。バカにされたと感じたのかなと思ったが、気にせずあたしもラーメンをすする。こいつのキレイに死にたいという美意識を理解した今となっては、こういう反応もほほえましいものに思えてきた。
「あんたってさ、なんかかわいいよね」
「は?」
「それ。そういうの」
「バカバカしい」
あたしがからかって笑って、五味がくさりながら笑って、二人でラーメンをズルズルとすすって、最後にスープまで飲み干した。
胃に落ちたこのラーメンの熱を抱えたまま車に戻ってしまったから、あたしは死ぬまで話すつもりのなかったことを、ついもらしてしまったのかもしれない。
「ここから山道にむかうが……最後に教えてくれないか?」
エンジンが温まるのを待つあいだ、五味は車外にちらちらと降る静かな雪を見つめながら、そう切り出した。
「また理由の話? しつこいね、あんたも。自分の話はしてこないくせにさ」
五味が黙る。あたしにとっては五味の理由なんて別にどうでもいいことだったけれど、こいつの美意識ではとても重要なことなんだろう。そういう五味の人間性を知った今なら、あたしの話をするのも少しはフェアなものになるのかなと思えてきた。
「ま、いっか」
そう言って、あたしは五味の前に手を突き出し、指を二本立てた。
「かわりにタバコくんない? ずっとガマンしてるでしょ? いっしょに吸おうよ」
だけれどタダで話すのはシャクなので、ちょっと意地悪に五味の美意識を少し汚してやることにした。五味は迷う表情を見せながら、長いため息とともに折れて、あたしにタバコを差し出した。
「ひさしぶりだわ、タバコ」
くわえたタバコに火をつけてもらう。深く肺に入る煙の味にクラッとくる。五味はいつもの難しい顔であたしを見ながら、自分もタバコをくわえて火をつけようとする。それをあたしが手で止める。
「火、うつそうよ」
助手席から身を乗り出し、顔を寄せてせまる。あごを引く五味を追いつめるようにくわえたタバコを近づける。
「いっしょに死ぬ仲じゃない――」
恋人よりも浅いけれど、恋人よりも深い仲。だからキスではなくてシガーキス。観念した五味がくわえたタバコを、あたしのタバコの熱に触れさせる。うつる火に増える紫煙が、車の中を天国の雲のように満たして白くただよった。
「母親に産まなきゃよかったって言われた」
離したタバコの先から落ちていく灰みたいな言葉で、あたしは約束を果たす。
「よく言われたけど、最後に言われたのはケッサクでさ、おつかいでトイレットペーパーのダブルとシングルを間違えて買ってきたってヤツでさ、ウケるっしょ?」
思い出せば笑える話。トイレの紙を買わせるために、あんたはあたしを産んだのかとツッコミたくなる。だからあたしは笑って言った。空っぽの笑顔だった。
「生まれてからずっと、いらない子って言われてた」
ずっと、ずっと、ずっと――理由なんて知らないけれど、いらないはずの子供をあの人は、ずっと文句を言って育ててきたのだ。本当にふしぎな笑える話。
「それだけ」
最後まで笑顔で話した。だけど五味は笑わずに、じっとあたしの顔を見て、そして信じられないことを口にした。
「あてつけか」
「……は?」
なにを言われているか一瞬わからなかった。
「そうか……だから『愛が無い』か。キミは降りろ。僕はひとりで死ぬ」
「は? ふざけんな」
理解が追いついてきて怒りが込み上げてくる。あてつけ? あたしが? だれに? ふざけるな。
「金はやる。朝になればどうとでも帰れる」
「ふざけんなつってんだよ!」
怒鳴る。差し出されたサイフを払い落して、くわえたタバコが落ちるのもかまわずに、あたしは五味の胸ぐらをつかんだ。
「僕にだって選ぶ権利はある。そんな理由に利用されたくない」
「そんなのしらねぇよ!」
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、あたしの理由はあたしのもんだ。だれにも否定なんてされてたまるか。やめろ。そんなかわいそうなものを見るような目であたしを見るな。ふざけんなっ!
「キミの人生はまだ狭い。もう少し生きてみるべきだ」
あたしの剣幕にも動じずに、五味はまたしてもこういうまともなことを言う。こんなつまらない、どこにでもある説教をするために、こいつはあたしをこんな雪の下にまで連れてきたのか? バカにするのもいい加減にしろ!
「ふざけてんじゃねぇんだよっ!」
だからあたしは強引な手段に出た。五味を押さえつけるようにその身体の上に乗った。そしてサイドブレーキを外し、シフトレバーをドライブに入れ、アクセルに足を伸ばした。
「なっ!?」
走り出した車はドライブインの駐車場から車道に飛び出した。あわてた五味がハンドルを操作してガードレールへぶつかるのを回避する。
「ブレーキ――!」
「ダメ!」
ブレーキを踏もうとする五味の足を押さえつけながら、あたしはさらにアクセルを踏み込む。車がぐんぐんと加速していく。ハンドルを取るのに必死な五味は、もうサイドブレーキやシフトレバーやエンジンキーなんかにまで手が回らない。
「ゼッタイに死んでやる!」
「――落ちるぞっ!」
そこで五味の足があたしをどかしてブレーキに届いた。けれど、もう手遅れだった。
「ダメだっ!」
五味の悲鳴。急ブレーキで激しくスピンした車がガードレールに突っ込む。
――衝撃。
あたしは「やった!」と思った。これで終わる。全部終わる。衝撃の反動で浮き上がった身体の浮遊感が、あたしの心を解き放つ。生まれたことが間違いだったいらない子が、ここでやっと怒りも悲しみもとどかないところへ、なにもかもまとめてキレイさっぱりいなくなる――。
けれど、そこで手が伸びた。
浮き上がったあたしの身体を五味の腕が抱きとめて、そこで世界が回って、落ちて、もう一度衝撃が走って――そこであたしは意識を失った。
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