最終話 その島に神はもういない

 今でも僕は、不可思議な体験をしたあの暑い夏の日のことを、時折思いだす。今日みたいにセミがうるさく鳴いている蒸し暑い日には特に。


 あの出来事の数日後、島は大きな地震と津波に襲われた。


 沿岸付近の建物は全て津波に呑まれ、跡形もなくなってしまった。津波の被害を受けなかった家屋でも、地震によって倒壊したところがほとんどであり、凄惨な状況であったことを今でも鮮明に覚えている。


 幸いなことに、小高い丘の上に建っていた学校だけは大きな被害も無く、そこを避難所とすることができたため、本州から援助がくるまで、なんとか生き延びることができた。


 島民が少ないことが有利に働いたのか、大きな怪我人や死者は一人も出さずに済んだ。そのことは「離島の奇跡」としてメディアに取り沙汰されたりもしたが、まあ、そんなことは些末なことだ。


 その後、インフラも失われた島に残るという選択をした人間はおらず、あの島はすぐに無人島となってしまった。十年なんていう時間的猶予は無かった。僕には何もできなかった。


 あのボロボロな神社は、津波に呑まれ、そこに鳥居があったのかさえわからなくなってしまっていた。小さな祠も、恐らくは海の藻屑となったのだろう。


 僕は、あの島で死人が一人も出なかったのは、コンがあの島の神としての最後の力で僕達を守ってくれたからであろうと確信している。「離島の奇跡」? ふざけるな。全てコンの、あの島を守り抜いた素晴らしい神様のおかげだ。


 ただ。


 ただ、僕やガキどもや、あるいは他の島民たちが感謝するべきその神様は。


 あの島には、もういない。




「の~う、ゆ~た~暑いからエアコンつけようぞ~」

「電気代がかかるのでダメです。特に、あなたが勝手に二十度まで下げたりするのでダメです。扇風機で我慢してください」

「えぇ~? ゆ~たのけちぃ~ばかぁ~おたんこなすぅ~……」


 狐耳を風にはためかせつつ、扇風機に向かってうあうあ言いながら、巫女服少女は僕に向かって文句を垂れる。誰がおたんこなすだ。


「ゆ~た~、五家宝は~?」

「それぐらい自分で取ってこいよ。冷凍庫、引きだしのいつものところにあるから。あと、五家宝じゃなくて――」

「ちゅーぺっと。まったくお主も毎度毎度しつこいのう……」


 ぶつぶつ呟きながら、コンはチューペットを取りに立ち上がる。僕はその後ろ姿を見送り、部屋の天井付近にある神棚に目を向けた。


 島が地震に襲われた後、僕は家族とともに再び都内で暮らすこととなった。


 僕は自分の部屋が決まるとすぐに、人生で最大のおねだりを親にすることにした。それがこの神棚だ。

 突如神棚を自分の部屋につけたいなどと言い出したものだから、僕が怪しい宗教に引っかかっているのではないかと両親はかなり気をもんでいたが、なんとか神棚を入手することができた。そして、その神棚にコンを呼びだした。


 コンはあの日、神様には再就職のための期間があると言っていた。

 地震で崩れた鳥居を見て以来コンのことが気がかりで仕方がなかった僕は、なんとかその期間のうちにコンを呼び戻せないかと考えた。


 ただ、新しく神社を建てるなど、一介の中学生には到底無理な話である。悩みに悩んだ僕は苦肉の策として神棚を利用することにした。上手くいくかは正直賭けだったが、何とかコンを呼び出すことに成功した。


 神を必要とする人間がいなければ、神は消えてしまう。


 であるならば逆に、神を必要とする人間、つまりこの場合僕がコンを必要としている限り、神は存在が許されるのだ。


 あとは神の世界とこちらの世界をつなぐ門である鳥居や神棚さえあれば、僕とコンはともに時間を過ごすことができた。


 それからおよそ十年。親元を離れて一人暮らしを始めた今もなお、僕はコンと共に生活している。引っ越しの際にはわざわざ偉い宮司の人まで呼んで神棚を移動してもらい、平和な二人暮らしを実現させた。


「はい、ゆーた。五家宝じゃぞ」

「ん。サンキュー」


 コンが二つに割ったチューペットの片方を渡してくる。相変わらず、コンはぶどう味が一番のお気に入りらしい。


 暑い暑いとあれだけ言っていたくせに、コンは僕のすぐ隣にぴったりとくっつくように座った。そのままコテンと首を傾げ、僕の肩に柔らかくてふわふわな頭を預けてくる。暑いし鬱陶しいし可愛いしでたまったものではない。


 もしかしたら僕がコンにしたことは、儚い延命治療に過ぎないのではないかと思う時がある。


 けれど、こうやって二人で幸せな時間を過ごして、そして僕の寿命が尽きたその時に一緒にこの世を去るというのも。


 まあ、案外、悪くないんじゃないかと。


 コンが幸せそうにしている姿を見ると、そう思うことができた。



 僕はチューペットを一口かじる。


 隣からもシャクリという心地良い音が聞こえてきた。




 ――どうやら僕は、いつの間にか夏が好きになっていたようだ。

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