第8話 神隠し
立ち上がった僕の目の前には、まるで今塗装を終えたかのように真っ赤な鳥居が建っていた。そこから白い石畳が伸びており、その先の石段を越えると、小規模ながらも立派な拝殿があった。その拝殿を含め、境内全体はとても清潔な印象があり、神社というものが古めかしい印象を持ちやすいためか、逆にどこか浮世離れして見える。
そんな美しい神社の中にいると、コンの巫女服も一層似つかわしい。もはやコスプレとは呼べまい。
目の前の光景に目を奪われ、ボーっと眺めていると、急に寒気を覚え、僕は大きく身震いした。
「おお、すまぬな。お主にはこっちはちと寒かったかもしれぬ。ま、あっちはあれだけ暑いのじゃ。ちょうどよかろう」
そんな僕の様子を見て、コンが苦笑交じりにそう言った。今僕がいるこの場所は、屋外なのにも関わらず、何故か全く暑くない。それどころか、先ほどまで汗をかいていた身体には肌寒いくらいだった。どれくらい肌寒いかっていうと、夏場のスタバくらい肌寒い。スタバは冷房効かせすぎ。環境問題を考えろ、環境問題を。
「コン、ここは一体どこなんだ」
「今さっき言ったばかりじゃろ。我の神社じゃ」
いや、お前の神社って何だよ。この歳で土地持ちなわけ? 何それ将来安泰じゃん。結婚してもらおうかな。
「こんな綺麗な神社、この島で見たこと無いんだけど」
「そうじゃろうな。我も誰もまだ招待したことがなかったからのう。喜べ! お主が第一号じゃ!」
「あー、そりゃどーも。超光栄」
ふぇぇ。こんな小さい子の初めてを奪っちゃったよぉぉ。これはもう責任とって結婚するしかない流れだよぉぉ。
などと、ふざけている場合ではない。さっきからこいつの言ってることがちっとも理解できん。なんで島の外から来た人間が島に綺麗な神社持ってて、招待とかわけのわからないことをぬかしてるんだ? 熱中症か? 僕は熱中症で倒れて変な幻覚でも見てるんか?
「つーか何で僕をこんなところに連れてきたんだよ。お礼の話はどこ行ったんだよ」
「ありゃ? なんじゃ? お主がここに連れてこられた理由はお主もよく理解していると思っていたが」
そう言うとコンは、何が面白いのかふふふと笑い始めた。今までの微笑みとはまるで異なったその不気味な笑い方に、背中に冷たいものが走る。
「『あの島の神社に近づいた者は、神隠しに遭う』じゃったかの……?」
やばい、と思った時にはもう身体は動き出していた。
僕は、鳥居に向かって一目散に駆けた。逃げなければいけないと、本能が叫んでいる。
相も変わらず冷たい外気を切って走る。この冷たさ、何か身に覚えがあると思ったのだ。つい十分程前のコンの言葉。
『お主たちとは違う世界じゃ』
あのときに感じた、夏が死んだような感覚は、僕らの世界のものではなかったのだ。
あれは、あの感覚は。
こっちの、コンの世界のものだ。
僕はこの世界にいてはならない。あっちの世界に戻らなければならない。
半ば身体を投げ出すようにして、僕は鳥居の外に出た。
……はずだった。
「無駄じゃぞ」
鳥居の外に出たと思った次の瞬間、僕の身体は拝殿に続く石畳の上を駆けていた。まるで、拝殿に向かうために鳥居をくぐったかのように。
そんな僕の姿をコンは先ほどまでと変わらぬ位置で楽しそうに眺めていた。その笑みは不気味なままだ。
僕はもう一度、鳥居を飛び出る。しかしすぐにそれが無駄な抵抗だと気づかされた。何度鳥居を出ても、僕の身体は再び神社の前に戻されてしまう。
「じゃから無駄だと言うておろうに。ゆーたも諦めが悪いのう」
チューペットの空容器を口に当てペコペコ膨らませて遊びながら、コンは僕を呆れたように見ていた。
「結界を張っておるからのう。我が結界を解くまでは出られぬぞ」
「……僕を神隠しに遭わせたってわけか?」
乱れた呼吸を整えながら、僕はコンに問いかける。
僕がこんな場所に連れてこられた理由として一番自然なものだろう。確かに僕は、村上商店に向かう前、この島の言い伝えに背いてあのさびれた神社に近づいた。だから僕はこうしてコンの手によって神隠しに遭わされた。シンプルな話だ。
コンが僕達人間とは異なる存在であることには、もはや疑いの余地はないだろう。こんな仕業、人間ごときにできてたまるか。
「まあ待て待て、落ち着けゆーた。すまぬ、我も悪ふざけがすぎた」
「……は?」
睨みつける僕の視線の先で、コンは突如として平謝りを始めた。
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