第5話 五家宝を食す

 海岸沿いのコンクリートの堤防は、この島のいたるところで見られる。


 村上商店の向かい側の堤防に腰かけながら、獣耳少女は半分に割ったぶどう味のチューペットに夢中になっていた。


「うむ! やはり我の目に狂いは無かった! 紫の五家宝を選んで正解じゃった!」

「チューペットな」

「そんな些末なことはよいではないか! お主も早く食べないと溶けてしまうぞ」


 そう言いつつ、少女はがじがじとチューペットを噛む。足元では真っ赤な袴と下駄を楽しげにぶらぶらさせていた。


 僕は少女に与えたチューペットの片割れをかじりつつ、海の方を見やる。ここからは秘密基地も、そこで遊ぶガキどもの姿も見えない。そのことに何故かホッとしてしまう。上司にバレるのを恐れつつネットカフェで仕事をサボる営業社員ってこんな気持ちなのだろうか。


 潮の香りをまとった海風が頬を撫でていく。隣に座る少女の髪もふわりと舞う。


「そういえばお主、名前はなんというのじゃ?」


 底の方に残ったチューペットを指でぐいぐい押し出しつつ、少女が何の気なしに聞いてきた。


「悠太。山井悠太」

「ほお、ゆーたか。良い名前じゃ」


 満足げに頷く少女。音の響きが気に入ったのか、ゆーた、ゆーたと小さく何度も呟いている。


「そういえば、お前は? なんて名前なの?」

「我か? 我に名などないぞ」

「は?」


 こんな所でもコスプレ設定順守かいな。もうプロになれプロに。


「じゃから、我に名前などない。お主の好きなように呼んでくれればよい」

「んじゃ五家宝で」

「そ、それはちょっと……。別の名前はないかの」

「んー……じゃあ、海坊主」

「嫌じゃ! なんであんな奴と同じ名前なのじゃ! あいつを追い払うのだって結構大変なんじゃぞ!」


 バタバタと足をバタつかせつつ、駄々をこねる。何だよ、お前が好きに呼べって言ったんじゃん。不審者とかモブとかワクワクさんとか呼ばれないだけ感謝しろよ。ワクワクさんは蔑称じゃないんだよなあ……。


「まったく、お主には名づけのセンスというものがないのか! もっと可愛い名前を付けてくれたってよいではないか。それともなんじゃ? ゆーたから見て我は可愛くないとでも言いたいのか?」

「いや、そうは言ってねーけどさ……」


 俯いて唇をむうと尖らせる仕草に、少しだけ心が痛む。


 確かに、可愛い可愛くないの話で言えば、この少女はめちゃくちゃ可愛い。見た目だけでなく、仕草や表情など、いろんな要素がさっきからずっと可愛い。……けど、お前は僕のチューペットを一本強奪してるからね! その事実は忘れちゃいけないよね! あくまで僕の方が立場は上だよね! そこんところ理解しておこうね!


「というか、お前が普通に本名教えてくれれば済む話なんだけど。それとも何? 僕に名前を知られちゃマズイわけでもあるの?」


 そう言うと、少女は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局ため息をついただけだった。


「……まあよい。そうじゃ。お主に名前を知られると我はひじょーにまずいのじゃ」

「……ふーん」


 じゃあやっぱり不審者じゃん、とは言わなかった。少女の様子を見るに、これ以上訊いても有益な情報は得られまい。こんな小さな子供だ。まさか指名手配中の凶悪犯ではあるまいし、別に名前を知らなくたって困ることはないだろう。


「じゃ、コンちゃん……とかは?」


 僕の新たな提案に、少女はしばらくポカンとしていたが、突如プフッと噴き出した。


「……なんだよ」

「いやいや、何でもない何でもない! ぷぷっ、お、お主安直じゃの~」


 少女は笑いをこらえるのに必死だ。


「お主どうせ我の耳を見て、狐、コンコン、コンと連想していったんじゃろ。ばればれじゃ」


 ついには腹を抱えて笑い始める始末だ。けど実際その通りでご名答すぎるから何も言えねぇ……。


「なんだよ文句あるなら五家宝にするぞ」

「すまぬすまぬ、そんなつもりじゃないのじゃ。文句などない。コン、可愛らしい名前じゃ。我は気に入ったぞ」


 言いながらコンはよしよしとばかりに僕の頭を撫でてくる。あーもーやめろ鬱陶しい邪魔くさい愛くるしい! いやもうほんとにやめて。変な性癖植え付けられそう。もし僕が将来女児に手を出して捕まったらお前のせいだからな。


 苦し紛れに、僕は別の質問を繰り出す。


「だいたいコン、お前どっから来たんだよ。この島の人間じゃないだろ」

「この島の人間……か」


 僕の問いに、コンは僕の頭に伸ばしていた手を引っ込め、足元に目線を落とした。心なしか、耳も垂れているように見える。


「どうかしたか?」

「いや、何でもないのじゃ。えーと、どこから来たのか、じゃったか。うーむ……説明が難しいの……」


 コンはすぐに顔を上げ、僕の質問に対する答えを考え考えしはじめた。……そんなに難問か? これ。


「そうじゃな、強いて言えば……」


 コンは何やら遠くを見つめたかと思うと、しっとりとした声で答えた。


 どこかで鳴いていたセミたちが一斉に鳴き止み、一瞬世界が止まる。




「お主たちとは違う世界じゃ」

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