第12話 現代?/すこしふしぎ/セリフがない
人から人へ、無差別に感染していく強力なウイルスが発見された。飛沫感染、空気感染といったものではなく、半径十メートル以内で目と目があった、一方的に認識された、電話越しに名前を呼ばれた、そんな些細なきっかけで感染していく、病というよりも呪いのような代物だった。
けれどそれが現実に起こっているのだから、呪いだろうとなんだろうと対処しなくてはいけない。政府は急ピッチで『蜂の巣』の建設を始め、国民を一人ずつ安普請のカプセル内に隔離した。
カプセルは一室五畳で高さは二メートル半。採光のため天井近くに窓があるが、万が一の事故を防ぐために嵌められているのは曇りガラス。ドアのロックは行政が管理しており、住民からの申請を、役所用に多少の便宜が加えられたカプセルルームに閉じ込められた役人が、AIシステムを通して調整し、決められた時間にだけ解除する。国民は蜂の巣に入居させられる際に首筋にマイクロチップが埋められているため、時間内に戻らないと武装ドローンが出動する。
感染し、発症するとインフルエンザに似た症状が出るが、基本的にはカプセル内で自力で対処しなくてはいけない。感染通報パネルを押せば、必要な薬や消耗品がドローンよって運ばれてくる。高熱や全身の痛みで、与えられた物資を活用できない者も多かったが、人と人を接触させるわけにもいかず、病人の看病という繊細な作業はまだ機械には難しく、病の治癒は各人の努力に委ねられてしまった。
その頃病院はほとんど機能していなかった。治療に当たる医師も当然のように感染するから、まだ感染していない医師の中にはどんな病人の治療も拒否する者が現れた。感染していても、危険な現場から離れたいと考える者が増えていった。人命救助を自らの使命としている志の高い者だけが病院という場を守っていたが、それもどんどん数を少なくしていった。立ち去りたい者は既に立ち去った後であり、減っていく医師は皆、病に倒れていった。
カプセルに軟禁された人々は、老若に関わらず政府による適正審査の上で映像講義を受けた。もちろん、人間の講師は一切映らないし、通信は一方的だった。質問は文字にまとめて教育省宛に送る必要があった。回答までには、長いと一週間ほどかかった。
求められていたのはウイルスに対抗し、いずれは駆逐する能力、そこに至るまでの人類の生活を支えるための能力。そのため、教育はいわゆる『理系』分野に偏った。
しかし一握り、いわゆる『文系』分野の教育を受ける者もいた。呪いのように感染する病が本当に呪いであった場合に備えた、宗教的、超自然的学問である。
無論、ごく少数の強硬派が頑として意志をまげなかったために設けられた枠であり、学問の実用性は皆無とみなされ、被教育者は適正診断における落伍者たちばかりであった。その時、国民の総数は一億を割り込みおよそ九千八百万人。荒唐無稽なオカルト教育を受けることになったのはたったの二千人だった。
結局、十八年の月日をかけて感染症は科学的に解決され、国民はカプセルから解放された。けれど、病との戦いに最適化された世界は、広大な廃墟と化していた。人々もまた最適化の結果、この環境をどう整えて暮らしていけばよいのか途方に暮れてしまった。
そこで頭角を表したのが、件のオカルティストたちだった。彼らが学び、継承したものは、いびつながらも『文化』だったのだ。
文化を持つ彼らは、最適化された人々に自然との交流を思い出させた。植物に、獣に、昆虫に、触れて活用する術を思い出させた。それらはいささか怪しげな論説に偏っていたが、かつての記憶を呼び覚ますには十分であった。隔離前の記憶が不確かな若者たちはオカルティストの言葉を鵜呑みにしがちであったが、害というほどのものでもなかったため、新たな文化様式の一部として黙認された。
こうして、一度滅びかけた文明は巨大な壁を乗り越えて命脈を継いだ。
ただ、行政に関わる者は総じて高齢であり、十八年の歳月は多くの関係者の命を奪っていた。当時の混乱から、残っている確かなデータも少なく、呪いの実在を強行に訴えたのが誰だったのかは、記録に残らなかった。
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